年末の慌ただしさは、相変わらずだった。たまに営業で外に出れば、クリスマス色に飾り付けられた店先や、サンタクロースやトナカイ、はたまた雪だるまの衣装を身につけている人を見かけると、思わず笑顔になってしまう。暗いニュースが絶えない近頃でも、クリスマスや正月といった行事ごとの時は自然と笑顔になるものなのだろう。

 今年になってやや景気が悪化しているとはいえ、年末年始の消費はそれなりみんなちゃんとやっているのだ。武史の部署でも、年末年始を海外で過ごすといった話を聞いていた。なぜ長期の休みになるとこぞって民族の大移動のようなことを毎年のように繰り返すのだろうか。一度だけ武史も年末に観光地に出かけたことがあったが、ただただ疲れて帰ってきて、年始早々つまらぬミスを起こしたことを未だに覚えている。それ以来、長期の休みがあってもせいぜい日帰り旅行くらいにとどめていた。

「飯島先輩は、正月はどこか行かれるんですか?」

 昼休み、そう聞いてきた後輩がいた。彼は気心の知れた仲間とハワイに行くと話していた。

「特にどこにも行かないよ。疲れるだけだしな」

「将太君はどこかに連れて行ってとか言わないんですか?」

 後輩は不思議そうに聞き返してくる。せっかくの休みに家にいることが信じられない、といった表情だった。

「今のところは何も言ってないなあ。正月はテレビも似たようなのばかりだし、アニメとか映画とかレンタルしてきて一日中一緒に観ることになるかもな」

「なるほど、それならあんまりお金かからないですしね」

 後輩は納得したのか、それ以上この話題には触れなかった。

 そう言えば…ふと気になって武史はカレンダーに目をやった。今年のクリスマスイブは土曜日であった。武史も休みだし、将太の保育所も休みである。泊りで外出は気が進まなかったが、日帰りでならどこかに行こうか、と思った。

 その夜。武史はエプロン姿で台所に立っていた。目の前のフライパンではハンバーグがいい焦げ目になってきたところであった。

「なあ、将太」

 リビングでおとなしく絵本を読んでいる将太は、一瞬なんのことかわからないという表情を見せた。

「何、パパ?」

24日と25日、どっか行きたいところない?」

「パパ、どこか行きたいの?」

 いやいや。俺は将太君、君に聞いているのだよ。

「パパが行きたいところなんて決まってるだろ?」

「映画館か温泉でしょ?」

「できればいっぺんに二つとも行けるところがいいけどな―――って、違う違う。せっかくパパも休みだし、一緒にどこか行かないかなって思ってさ」

「僕、遊園地に行きたい」

 はい、もう決めていたのですね―――武史はちょっと笑った。そうか、遊園地か。最近そう言えばゆっくりそういったところに足を運んでいなかった気がする。悪くないな、と武史は思った。

「じゃ、二人で遊園地行こうか」

 そう言うと将太は怪訝そうな顔をして見返してきた。

「パパ、忘れちゃったの?今年はママも一緒じゃない」

 将太の言葉に、武史はあっと思った。将太が保育園のクリスマス会の時にサンタクロースに送った手紙。【いいじまきよみ(ぼくのママです)にあえますように いいじましょうた】と書いたのだ。将太のお願いはサンタクロースに届いているだろうか。武史自身、そんな思いがしていた。淡い期待だとか、そういった次元ではない。切なる願いとでも言うべきなのか。もし本当にそんなことが―――奇跡が起きたならどんなにいいことかと思っていた。

「…そうそう、そうだったな。ママも一緒だった」

 そう言いながらハンバーグを皿に盛りつけ、その日の食卓は始まった。気を使っているのか分からなかったが、その後将太はママが帰ってくることについて、何も話さなかった。あと少し。あと少しで会えるかもしれない。武史自身も不思議とそう思うようになっていた。







1223日。祝日だったが、この日は家の大掃除をやっていた。ふだんからまめに掃除をしていることもあるが、どうしても簡単にすませがちになっていたので、今日は徹底的にやることにした。今日はありがたいことに、つばさも仕事が休みだったので手伝いに来てくれている。

「悪いな、せっかく休みなのに。旦那さんよくOKしてくれたね」

「大丈夫よ。旦那も友達と飲みに行きたいとかで早くから出掛けちゃったから。それにひとりでいたってつまんないし」

 つばさは武史ほどまめに家事をしたがらないのは知っていた。疲れていればスーパーの総菜のみで夕飯が出来上がる時代だし、掃除だってスイッチひとつでしてくれるようなものがあったりする。洗濯だって衣類を入れてスイッチを押すだけで乾燥までしてくれる。自分の時間は作りやすくなるのかもしれない。

「明日、本当に遊園地に行くの?」

「うん。将太が楽しみにしているからな」

「そうじゃなくて。聖美さんのことだよ」

 つばさは心配そうに言った。確かにつばさの気持ちもわかる気がする。将太は本当に母親が帰ってくる、会えると思っているのだ。疑うことを全くしていなかった。

「まさか、兄さんまで信じているんじゃないでしょうね」

 図星だった。武史と将太と聖美。親子3人で遊園地に行く。そんなささやかな幸せを願わない日は一日としてなかった。子供じみているとか、夢のような話だということはよく分かっている。将太がサンタクロースにしたように、武史も願いを聞いてほしかったのだ。

「兄さんはいいかもしれないけど、将太がかわいそうだよ。もし聖美さんが現われなかったらどう説明するのよ」

「そんなの、分からないよ」

「パパ、喧嘩しないで」

 見ると、将太が泣きそうなのを必死に堪えていた。すぐにでも声を上げそうだった。

「悪かった。喧嘩はしない。でもな。将太―――」

  武史はそこまで喋ると一瞬、言葉を失った。仏壇のある部屋から、強烈な光がさしていたのだ。

「あれ、何?」

 つばさも、何が起きたのか分からない様子で目を見開いていた。

「ママ言ってたよ。もうすぐ帰るから、晩御飯はみんなで食べましょうって」

 そう言うと先ほどとは打って変わって将太は満面の笑みを浮かべている。外は曇っているので、太陽の光が反射強いているとは考えられなかった。次の瞬間、目が明けていられないほどのまばゆい光が辺りを包んで、武史は思わず目をそらしていた。

 しばらくして、目が慣れてきたのか、部屋の様子がはっきりとわかるようになってきた。

「なんだ?今の?

ひとりの小柄なシルエットが浮かび上がる。そこにいたのは―――

「ただいま」

そこにいたのは紛れもない、3年前に亡くなったはずの武史の妻、飯島聖美の姿があったのである。



つづく