引っ越し荷物を前に、松永陽介は一息つく。ひとり身にしては、かなりの量の荷物を前に、さて、どこから手をつけようかと思案していた。
引っ越しを決めたのが半年前。物件が見つかったのが1月前だ。条件をいろいろ出すときりがないが、陽介にとってはさほど住まいに対するこだわりはない。
条件は3つ。職場が近いこと、交通の便がいいこと、そして何より、家賃が安いことである。
築15年の1Kのアパート。家賃も安く、申し分なかった。
段ボールを一つずつ開け、中のものを取り出しては手際良く配置していく。外はすっかりと日が落ちていた。時計に目をやると、19時を少し回っていた。
無心になって片付けていたのですっかり忘れていた陽介だが、さすがにこの時間になると空腹を覚えた。まだ 片付けも途中なので、簡単にコンビニに買いに行こうと財布を取り出すと、外に出た。
「おっ、寒い」
昼間とは打って変わって冷え込んでいた。ここ最近は寒暖の差が激しい。陽介は上着を取りに戻る。
再び外に出ると、意外に風が強いことに気が付いた。秋から冬へ、確実に季節は移っている。
陽介の新居は3階建てのアパートの2階の角部屋である。階段を下りようとしたちょうどその時、ちょうど階段を上がる人影があった。
「あ、すいません」
相手も気が付いたのか、軽く会釈するとそそくさと登ってきた。歳のころは20代前半の髪の長い女性だった。
「いえいえ、すいませんね」
そう言うと陽介は下に向かおうとしたが、ふと思いなおしてすれ違った女性を目で追った。ちょうど鞄から鍵を取り出して部屋に入ろうとしている。なんと驚いたことに、陽介の住む角部屋の隣ではないか。
(俺にも少しは運が向いてきたかな)
前回来た時は住人とはほとんどすれ違わなかったので、周りにどんな人が住んでいるかなど、気にも留めていなかったが、となりに若い女性が住んでいるというのは、ちょっとラッキーだな、と陽介は思った。
陽介は買い物を終えると、自分の部屋に戻る前に、隣人に挨拶しようと決めていた。手にはコンビニで買ったお菓子の袋を持っている。
チャイムを鳴らす。陽介は少し緊張していた。
「どちら様ですか?」
「すいません。今日引っ越してきた松永と言います。引っ越しの挨拶に伺いました」
ドアチェーンが外され、スウェット姿の女性が現れた。
「あ、あなたは確か先ほどの…」
「そうです。さっきすれ違った者です」
そう言うと陽介は少し笑った。
「今日引っ越しだったんですね。トラックが来ていたのでそうなのかなって思いましたけど」
そう言うと彼女も微笑んだ。
「あの、これ」
そう言うと、お菓子の入った袋を差し出す。
「え、いいんですか?すいません、気を使っていただいて」
「ひょっとしてお菓子とか、お好きじゃなかったですか?」
今になって陽介は後悔していた。女性と言えばお菓子が好きとばかり思い込んでいたのだ。人の好みなどさまざまなのだ。
「いいえ、大好きなんです。特にこのコンビニオリジナルのお菓子は気に入ってるんですよ」
「そうですか、良かった」
陽介はほっと胸をなでおろした。
「すいません、自己紹介まだでしたね。私は水谷麻衣って言います。よろしくお願いします」
「はい、どうかよろしく」
そう言うと陽介は隣人―――水谷麻衣の部屋を後にした。
自分の部屋に戻った陽介はえも言われぬ幸福な気分になっていた。コンビニで買った弁当とビールを広げて夕食に取り掛かる。まだテレビのセッティングをしていないので、部屋の中は静かである。
しばらくすると、チャイムがなった。
「はい、今行きます」
陽介がドアを開けると、そこには水谷麻衣が立っていた。
「ご飯、食べちゃいました?」
「いや、今ちょうど食べだしたんですけど」
「良かった。これ、よかったら食べてください。容器は捨ててもらって構いませんので」
彼女がとりだしたのは、容器に入れられたグラタンだった。
「すいません、わざわざ持ってきていただいて」
陽介は真剣に恐縮してしまった。
「さっきのお菓子のお礼です。それじゃ、私はこれで」
そう言うと彼女は自分の部屋へと戻っていった。陽介の夕食は、いっぺんに華やいだものになった。
これからずっとここに住むんだもんな。そう思うと自然と笑みがこぼれてしまう。きっと生活にも張り合いが出るだろう。そんなことを思っていた。