以下はマドモアゼル愛先生のブログ
の記事である。
とても素晴らしい内容だったのでそのまま転載する。
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人間が生きていくために必要なエネルギーは喜び。
カロリーや栄養素や空気は当然としても、それだけでは人は生きていけない。
なんらかの喜びがあるため、人は生きていくことができる。
これは人に限らず、存在するものすべてに言える共通項。
この喜びが発展し、さらに発展し、立体的発展となり、さらに複立体的発展となり、永遠に発展していく一方、喜びには終わりがなく、さらにさらに続いていく。
要するに歓喜である。
歓喜がこの世の本当の姿。
また、面白いことに、喜びは前の次元の喜びに戻らない。
人を殺して喜んでいた者が人を活かすことに喜びを感じてしまうと、もう元に戻れなくなる。
物事を悪く言うことに喜びを感じていた人が、物事の可能性に目をつける喜びを持ってしまうと、もう皮肉には物事を見れなくなってしまう。
子供はそれこそ自分のことしか考えずに時には残酷に親の愛を求めるところから出発するが、やがて大人になり、自分が親になっていくと、今度は子供に一方的に与えることで満足し、喜びを感じるように発展していく。
最近ではそうした自然な成長がうまくいかないケースが多いには多いが、それでもなんであれ子供が育って行っているのだから、基本はやはり変わってはいない。
成長とは、その段階にそって、何を喜びとするかが違ってくることを言う。
そして人生の目的とは、喜びの質が次元アップしていくことに他ならない。
これほど簡単で率直な人生観はなく、また正しい。
いい大人になって自分のパンだけを懐に隠しておくことのでは、あまりに人生は寂しい。
ここに覚悟がいる。
次元を低めて生にしがみつくよりも死を覚悟する、これが武士道であり、人の道ということだろうが、それも時と場合ではある。
卑怯きわまりない織田の鉄砲の前に勇ましく散った武田の騎馬隊、また特攻隊で死んでいけた人たちは、ある意味幸福だったと思うが、何があっても生きて行かねばならない人もいたと思う。
小さな子供を残して逝けない、、、大義のためには行き恥じをさらしてでも生きて行かねばならない、、、
そういう人も大勢いたに違いない。
これは選択の問題であり、他人が軽々しく口をはさむべきものとは違う。
こうした矛盾極まりない世界に見えるが、基本法則は喜びにある。
喜びのない人生を求めてもうまくいくはずもない。
喜びの次元が高まっていく、、、そのためには、本当は自分を捨てなければならない。
なぜなら、自分の中に喜びが発生するのではなく、大きな喜びの中に私たちは生きているからだ。
大きな喜びに囲まれているにも関わらず、それをわからなくさせているのが、実は自我。
自分を捨てると喜びがやってくるという逆説的な不思議構造がこの世である。
このことがわからないと、簡単なエネルギー補充策にとらわれてしまう。
人がエネルギーを得るには、二つの方法しかない。
エネルギー自体は喜びであるが、それを得るには、自分よりも他に不幸をつくること。
これがひとつのやり方。
そしてもう一つは自分を捨ててでも他に喜びをもたらす意識。
この二つしかない。
なぜ世の中に不幸や悲劇がなくならないのかの理由もここにある。
そうしたものでエネルギーを得ている者が多いからだ。
親の子に対する虐待などは、それによってしか自分のエネルギーの補充方法がない悲劇なのである。
おそらく誰からもエネルギーが補充できずに生きてきた人が親になる。そうなると子から奪うしかなくなる。
いじめも同様の構造。
親に追い詰められ、親から十分なエネルギーが得られない子供は、周囲の弱そうな子をいじめて、その子を不幸にさせることでエネルギーを得るしかない。
こうした、悲劇、悲しみ、不幸、偽り、だまし、嫉妬など、、、
マイナスのエネルギーを相手にもたらすことで自分が喜びを得て浮上する、、、というやり方。
残念ながら、これがこの3000年の人類史の主流だった。
しかしそれが主流だと全体がいずれは滅びるので、喜びは一方で拡大していく。
というのは、虐げられている人類の中で、いやでも喜びの次元拡大が起きてしまう。
いじめられればられるほど、自分を捨てて全体の喜びを喜びとする次元に到達していく幾多の魂を生みだしてしまう。
いじめる方が世の支配者であるケースが圧倒的に多いのだが、それがかえって民衆レベルでの大きな喜びを生みだす装置としても働いてしまう。
意外にお互い様で助け合ってもいることになる。
こうしたおかげであらやる高度な文学や芸術が生まれもしたわけだが、原爆など絶滅兵器が出てきて、
圧倒的な力を上が持つにいたったような現代では、エネルギー補充が圧倒的にマイナスに行くようになった。
これを末法というのだと思うが、これに対抗するように、大きな覚醒が人類に起こってくる。
意外にラストシーンが迫っている構図。
これを見に宇宙から色々な宇宙人がやってきている、、、なんて考える人もいる。
私はそういうことはわからないが、ラストシーンの始まりの時代にいることは確かだと思う。
いじめやマイナスエネルギー補充策が最大値に達したので、そこのあなたもあちらのあなたも、もう格段にアップした喜び次元に入るしか生きられなくなっていく。
本当にすべてはよくできているのだ。
数千年前ならイエスは人類にひとりしかいなかったが、もしかしたら、よこちょのおじさんも隣の美代ちゃんも、苦しみの結果、大菩薩に、イエス様に生まれ変わって喜び次元アップを図ってしまうかもしれない。
というか、いずれそうなる。これは実は凄いことです。
話しがそれたが、とにかく私たちは、常に喜びが必要なので、それを得る方法を、周囲に不幸をまき散らすか、もしくは、形を捨てた喜びの次元をアップさせていくか、常に決断を迫られているわけです。
ここに選択の重要性がかつてないほど高まっている。
損して得取れという簡単なことわざでもあるが、確かに大勢の企業は利益を求めて求めて、そして最後には滅んでいき、人も幸福を求めて求めて、大勢の人が不幸になっていく。
損して得取れの実践を覚悟して行えば、誰もが大菩薩、イエスになれる時代が目の前にやってきている。
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