スピリチュアリズムに関心がある中の、少なくない人達が、霊視や霊聴などの、いわゆる霊能力に興味を持っていて、もしも自分がそのようなことができるなら、もっと、いろんなことが分かっていくだろうから、霊的世界への理解も深まるに違いない、と、「大きな誤解」をしています(^^;)。

何かが見えることと、その意味が分かることは、同じではありませんし、見えるのと、見分けて解釈することも、同じではありません。

また、霊視的に見えたものが、「正解」であるとも、限りません。なぜなら、どんなことがどのくらい、そして「どのように見えるか」は、その霊視者の波長や霊格、人格によって、変わってきます。

どんなことも、自分と同じものが引き寄せ合うという、「波長の法則」が関係してきます。

つまり、霊視や透視的な視点で何かを捉えることができる人でも、その人の波長が下がっていて、霊格、人格も低ければ、霊眼に映るものは、比例して、波長の低いものになる可能性があります。

好奇心がいっぱいの人は、好奇心というバイアスが掛かりますし、自分は特別の使命を与えられた救世主だ、と思い込めば、思い込みというバイアスが掛かる、というふうに、霊視の視野というのは、とても容易に歪んでいきます。

見えないはずのものが見えることと、それが解釈できることは、関係がありません。

たとえば、肉眼の視力で、1.5の人と、0.7の人がいたとします。その場合、高い視力をもっていて、細部までよく物が見える1.5の人のほうが、見ている出来事の意味するところや、動機となっていること、これから先の予測などが、分かる・・・などという、規則性はありませんよね。

霊視や霊聴なども、基本は同じです。分析力、洞察力などの感性は、たくさん見えること、よく見えることとは、必ずしも比例はしません。

そして、見える内容も、その霊視者の人格によって、変わってきます。すべての霊能力者が、同じ範囲のところを見ているわけではありません。波長の高い霊視者は、波長の高いところを捉えていけますし、波長の低い霊視者は、波長の低い霊と、引き合ってしまいます。

低い霊の伝えてくることは、まったく当てになりません(^^;)。それどころか、わざと、間違ったことを伝えてくる場合もあります。低い霊に、からかわれるのです。

つまり、自分自身のたましいの成長を差し置き、霊視や霊聴を手に入れたいと好奇心でいっぱいになったり、または、そうして仮に、そのような力を手に入れたとしても、自分の霊格が見合っていなければ、曲解と思い込みの世界の中で、生きていくことになってしまいます。

霊能力を獲得することが大事なのではなく、基礎となる、自分自身がもっとも大事です。そうでなければ、霊視力が身につくことで、むしろ、それ以前よりももっと、世の中の大切なことが、見えなくなってしまうこともあるのです。

霊視が出来る人にとっても、「見分ける」ことは、本当に大変で難しいものです。

ひとつ、例をあげて、考えてみます。

過去に何度も取り上げていることですが、「思うこと」も、想念というエネルギーとして実体を持ち、作用していきます。

この、想念も、霊視者には、可視化されて、見えることがあります。たとえば、「私は、将来、医師の●●さんと結婚したいわ」とか、「私の前世は、聖徳太子じゃないかしら」と、思っている人がいるとします。

・・・もう、これから書くことの予測はつくと思うのですけれど(^^;)、想念と霊を見分けられない霊視者は、「あなたの将来は、医者と結婚していますね~、そんな様子を守護霊が伝えてきています」とか「あなたの前世は、聖徳太子だったようですよ」などと、捉えてしまうことも、可能性としてはあり得るのです。

想念が可視化できるのって、普通に考えればすごいことです。けれど、それができることによって、むしろ、見る目がくもってしまうこともあるわけです。

一方、江原さんクラスの実力のある霊視者であれば、「あなたは、将来、医師と結婚したいという夢があるんですね?」とか「あなたは、自分の前世が聖徳太子だったらいいな、と、思っているんですね」とか、そちらのほうを、当てることができると思います。そこまで見分けられるというのは、相当の実力者でないと無理ですが・・・。

こういう例をひとつとっても、何かが見えたからといって、それが正しいとも、役立つとも、言えない場合もあると、分かると思います。(本来であれば、一定レベル以上の霊能があれば、「想念」と「霊」との波長の差は、見分けることができるものだと思います)

肉眼で見えることと、物事の本質を見抜くことは違うように、霊視で見えることと、霊的世界を見分けることも、(無関係とはいいませんし、霊視で見えるからこそ把握出来る要素があることも事実とはいえ、しかし)それらは、完全なイコールではありません。

過去にも何度も書いたとおり、とても優秀な霊能者でも、当たる確率は、60%くらいとも、80%くらい、とも言われていて、100%全開になっている人はいないものです。

そして、とても低い霊に操られているような霊能者であっても、まったく当たらないわけでも、低いところ「だけ」に波長があうわけでもなく、少しくらいは、守護霊の意向を反映していたり、役だったりするところも、するかもしれません。

だからこそ、難しいのですが・・・、自分が霊視をされる側であっても、「霊視者を、見分けていく」ことが必要で、なんでも盲信してしまうのは危険です。その人の人格がどうだろうか、という観点から、よくよく考えていくことが大切だと思います。

霊視が万能でもなければ、何かひとつが当たったからといって、すべてが当たるわけでもありません。そして、自分が霊視ができるようになっても、それで楽や得ができるか、といったら、そうでもないのです。

霊視が出来ても、見分けられない人もいれば、霊視できなくても、洞察力や思考力が高く、いろんなことを見分けられる人もいます。

霊視ができようと、できまいと、人格が変わらない以上、本質を把握できる深さについても、平行移動です。

何がもっとも大事なのか、という点を、見失わないようにしましょう。 その上で、過度にならない、適度な関心を持つのはかまわないと思います。関心や興味の気持ちが、探求を深めていく原動力となることはあるからです。

守護霊は成仏している霊体です。

人は成仏したことによってまず霊界に行きます。そこで、修行に入るのですが、道は二通りあります


選択は前の生き方や状況によって神様が行います。

【1】守護霊となるための修行を霊界で積む(普通は何十年の修行)
→守護霊となって現世に戻る
→現世で守護霊としての天命を果たす

→【2】の段階へ行く





【2】来世の生まれ変わりとなるための修行を積む→輪廻転生

守護霊はその人の足りない部分を補うための補習みたいなものです。別に劣っているわけではありません。その魂の鍛錬の仕方をどうするのかです。それを神様が決めるわけです。


守護霊は「もう一度現世で修行してきなさい」みたいなもの。
※決して悪い意味ではありません。

そこでしっかりやって、【2】の来世の生まれ変わりとなる修行をつむ形となります。
※来世に行ったからといっても偉いわけではありません


子孫に問題があり、神々から先祖が「守護霊としてしっかり見て、責任をとりなさい」と天命されることもあります。


守護霊は基本的に家系の先祖となります。
例外で守護神・おしゃか様がつく場合もあります。(その方の今の生き方によって)

基本的にちゃんとしている人には守護霊はつかず、どちらかというと危なっかしい人に守護霊がつく傾向があります。


守護霊がついている時
 ・判断の助けをしてくれたりする。直観力に作用する。
 ・事故を未然に防いだりしてくれたりする。
 ・病気を事前に知らせてくれたりする。
基本は本人の判断になるのですが、そこに色々とプラスの作用が出ます。


その他には、ギャンブル運が強い守護霊とかもいます。ある意味勘が鋭くなります。
もともと凄く健康な人だった守護霊がつくと病気になりにくかったりします。
つく守護霊の特性によって、ついた人の良い部分と悪い部分がどうカバーされるかです。

守護霊の方がレアなので、逆に守護霊がついている方が珍しいです。全員についているわけではありません。

除霊とは霊能力を持っている者(霊能者)が対象者の周り、もしくは体内に存在する霊を半ば強制的にその場所から追い払うことである。
除霊の能力を持っている霊能者は多数いるかと思います。しかし、そこに対話や納得が存在しません。
追い払うだけですので、霊魂は未成仏のままであり、この世に留まることになります。
それ故に逆に霊を怒らせて再度逆襲にくるケースも多く、除霊前と比較して状況が悪化する場合も珍しくはない様です。

除霊の対象となっている霊の強さにもよりますが、念が強い霊体・その方の家系に対してしつこくつきまとっている様な霊に対して除霊は逆効果になると筆者は考えます。
一般の方は「除霊したから大丈夫」と思うかもしれませんが、それは大きな間違いだと思います。テレビの影響もあるので仕方ないかとも思うのですが・・。
霊能者を探す場合は除霊だけではなく、浄霊も可能なのかが重要なポイントになってくると思います。

参考:霊能者が除霊に用いる力
霊能者の背後に存在する神仏の力(守護神・守護霊・背後霊等)
霊能者の潜在能力(霊体を自在に操る力《目の前のものを移動させる感覚》)
物理的な力(昔の狐払いなど)