(画像は大峯奥駈け道より大普賢岳を望む)

 

先日、一日の例祭において、旧の釈尊降誕会を厳修しました。

本来はこの19日。

 

釈尊は佛教の開祖ですが、苦悩が多い現世の実相を説き開かされました。

 

よくある神の啓示に基づいてではなく、現実世界の真相を明かすことによって人間の錯覚、迷いを除き、苦悩を除くのが釈尊の教えです。

 

抜苦与楽、と言って苦しみを払うことで、真の幸福が得られる。

逆に言うと苦しみを除くことが真の幸福であると言えます。

 

弘法大師の著書の般若心経秘鍵に「受持講供すれば即ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば道を得。通を起こす。」と説かれていますが、簡略に言えばこれが仏法の眼目です。

 

まず、現世は苦悩がついて回る世界だよ、と。

この世界は忍土とも表現して、大なり小なり。我慢しなくてはならない世界です。

まず、そこを無心に受け入れること。

 

けれども、現状は必ず変化していきます。

なるほど。

確かに楽しい事はあっという間過ぎてしまいますが、苦しみは常に付き纏うように思う。

 

ずっと常なる物事はありません。

自分にとって思わしくない出来事も変化していきます。

 

今が不遇である。不本意だ。

 

かならず状況は変化します。

 

かならず状況は好転します。

 

苦しい出来事や、不本意な出来事を通じてこそ、自分の悪因縁を消滅する事に繋がります。

そういう経験を通じて物事の味方も変化して、自らの成長にも繋がる事でしょう。

 

密教は大自然の働きを本尊の働きと捉え、それと一体になる。

大自然と一体になる事で、仏の大慈悲と一体になる事で奇跡は働きます。

 

それは読経や禅。

近場の神社仏閣の参拝。

自らのご先祖の供養でもいい。

 

いまのご時世はインスタント。直ぐに効果が上がる物事がもてはやされる風潮ですが、何事も積み重ねる事が大切です。

 

本当に価値ある事は積み重ねによる時間が必要です。

 

まずは、毎日。自分のご先祖に、お水とお線香を手向け手を合わす。

 

悪い事ではありません。

 

継続は力で、必ず神仏のご加護を頂く事ができます。

 

あなたが真理の世界に導かれ利益となりますようお祈り申し上げます。

 

合掌。