乞食 ホームレスとは異なる

 「さっき、近所の墓の御供え物を乞食が勝手に食べてたよ」「河川敷に乞食が段ボールハウス勝手に作ってしまって見苦しい」。こんな言葉を時々耳にするが、実は多くの場合、この表現は厳密には間違っているのだ。

 どこが間違っているのだろう。乞食とは物乞い、つまり他人に金や食べ物を乞い求め、それを恵んでもらうことを職業にしている人の事である。単なる浮浪者やホームレスのことではない。極端な事を言えば、ちゃんと家に定住して、普段はきれいな服を着ていても、仕事の時間だけぼろをまとって物乞いをしているような人は、立派な乞食である。

 東京の秋葉原に行くと、時々リヤカーを引いているホームレスのおっちゃんに出会う。しかし、要らない段ボールをリヤカーで運ぶ仕事をしていて、物乞いではない。そのおっちゃんが「哀れな乞食にお恵みを」と言いながら(本当にそんなこと言うのか?疑問だが)人々に金を恵んでもらっているなら「乞食」だろうが、そんなことをしているのは一度も見た事がない。単なるホームレスである。

あまりほめられた職業ではない

 「職業に貴賤無し」とはよく聞く言葉だが、私も同意する。人々から汚れ仕事とか卑しい仕事と言われている仕事をする人がいなくなった時、この社会はどうなるだろう。我々はまるで当たり前のようにごみ集積所にごみ袋を出し、当たり前のようにバキュームカーを電話で呼ぶ(最近は水洗化がかなり進んで少なくなったが……)が、仮にごみ収集車やバキュームカーの運転手がストライキをしたらどうだろう。パニックに陥るだろうことは間違いない。肉体労働をデスクワークより何か劣った仕事のようにみなす傾向も一部にあるが、そんなことはない。デスクワークなどいつも同じ机に向かっていて、体を動かせないで不健康だという人も多いし、その意味では肉体労働は健康的な仕事かもしれない。いくらコンピュータが発達したところで、建物を建てたり、物を運んだりする仕事は、ただ机に座っててはできないから、これも大切な仕事なのだ。

 しかし、私が思うに、乞食は、控えめに言ってもあまりほめられた職業ではない。「乞食以外でちゃんと働く能力があるのに、気楽な稼業だから人の御恵みに依存して生きている」というのは、怠惰の精神そのものである。そのような乞食に御恵みをしてやるのは、怠惰の精神を助長し、ひいてはその乞食の自立を、知らずして妨害しているのだ。

 もちろん、極貧や、過去には病気で見放されるなどの理由でなった乞食の場合は、やむにやまれぬ選択だっただろうから、それまで責めるつもりはない。それに、仏教僧の托鉢も宗教的意味があるのだろうから除外する。

 これはちょうど最近の「引きこもり」問題に似ているかもしれない。ちゃんと学校に行ったり働くことができるのに、親に依存する方が楽だからと「引きこもり」の道を選ぶことは、あまりほめられたことではない。もちろん、病気や重い障害のために介護が必要とか、鬱病のために元気になるまで療養するなどは問題ない。

 ちなみに、あまり知られていないことだが、乞食は軽犯罪法第1条22(こじきをし、又はこじきをさせた者)の違反である。その前に、日本には本当の意味での乞食は、今ではほとんどいないかもしれないが。




ホームレス

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ホームレスの一人(アメリカ合衆国ニューヨーク)

ホームレス : Homelessness)は、狭義には様々な理由 により定まった住居 を持たず、公園路上 を生活の場とする人々(路上生活者 )、公共施設河原架橋 の下などを起居場所 とし日常生活 を営んでいる野宿者 のこと。広義には、一時 施設居住家賃滞納再開発 による立ち退き、ドメスティックバイオレンス のため自宅 を離れなければならない人など住宅 を失う危機 にある人のこと。

日本では狭義のホームレスは、「浮浪者」と呼ばれていた。しかし、「浮浪者」という言葉が差別的であるとして放送禁止用語 とされたことにより、「ホームレス」という単語で呼び替えられることが多くなった。近年では更に「野宿生活者」「野宿者」「ハウジングプア」という呼称も使われるようになっている。

なお、広義のホームレスは「野宿者」より広い意味で使われ、「ネットカフェ難民 」や「マック 難民」と呼ばれる人々、車上生活者 も含まれる。