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コイケンの旅

大好きな映画の感想を中心とした、日々の感動を思いのままに綴った何でもアリの自己満足ブログです

僕は1970年生まれで今年で52歳になるオヤジです。

世代的にはもう少し早く生まれた人達にとってカリスマ的な存在であった

伝説のシンガー。尾崎豊。

今年は尾崎豊の没後30周年ということで、僕が彼の楽曲で一番好きな曲、

「僕が僕であるために」について語りたいと思います。

 

僕が尾崎豊の楽曲に触れたのは、確か中学3年生の時だったかと思います。

今とは違い昭和の荒れた時代で、学校の風紀は荒れていました。

クラスメイトの特に男子は、こぞって尾崎豊について語り、卒業や15の夜を

口ずさんでいたものです。

尾崎豊はまぎれもなくそんな時代を生きた若者の代弁者として、自分達では叫べない

苛立ちや荒れた時代のなかで芽生えた小さな恋心や、まだ未熟な経験から生まれた

ひ弱な愛を、先生に、恋心を寄せる女子生徒に叫び、ささやいてくれていたのでした。

 

僕はたまに考えるのです。

尾崎豊は、自分の楽曲の中でどの曲が一番好きな曲だったのか、いや、最も思い入れのある

曲といったほうが当たっているかもしれません。

 

想像というより、願望といっていいかもしれませんが、僕はこの曲、

「僕が僕であるために」なのではと思ってしまうのです。

結局彼が何を伝えたかったのか。何曲も名曲があるなかで、最後に帰結する曲。

 

この曲で僕が一番好きな一節は

「少し心許しながら」という一節です。

尾崎豊の歌詞や語られる言葉によく登場する「真実」。

真実はこの一節の主語「正しいもの」と置き換えられます。

彼はずっとこの「正しいもの」を追求していた人だったと思います。

でも、彼はそれは永遠に分からないものと、この曲を書いた10代で

既に悟っていた。

それでも生きていかなきゃならない自分を「少し許し」

冷たい街、この世の中に自分は歌い続けている。

 

この曲を聴くと、尾崎豊がそう言って、はにかんで笑っている姿を

思い浮かべてしまいます。

 

ちなみに尾崎豊のアルバムのクレジットには、曲のタイトルが

和名・英名と並んで表記されてることはファンであれば知っているかと

思います。

 

多くの曲は和名の直訳の英語表記なのですが、

この「僕が僕であるために」の英語表記は何でしょう。

 

そこには「My Song」と表記されています。

 

僕が尾崎豊自身が一番好きだった、思いれがあった曲と想像したのは

このタイトルに影響されているのかもしれません。