コイカイコのカイコその106:三木清、『それでもあなたの道を行け』etc.
2007/10/8
コイカイコのカイコ(恋かいこの回顧)その106:10月8日
★三木 清 『人生論ノート』
14年前の今日 1993/10/8
部屋に寝っころがっていたら脇の本棚のいちばん下に三木清の『人生論ノート』があるのに気がついた。だい
ぶ前に古本屋で買ったのだが読まずにいた本である。
本棚からとりだして読み始めたらひきこまれた。
「精神が何であるかは身体によって知らされる。私は動きながら喜ぶことができる。喜びは私の運動
を活発にしさえするであろう。私は動きながら怒ることができる。怒は私の運動を激烈にしさえするで
あろう。しかるに感傷の場合、私は立ち停まる。少くとも静止に近い状態が私に必要であるように思わ
れる。動き始めるや否や、感傷はやむか、もしくは他のものに変ってゆく。故に人を感傷から脱しさせ
ようとするには、先ず彼を立たせ、彼に動くことを強要するのである。(中略)
感傷は、何について感傷するにしても、結局自分自身に止(とど)まっているのであって、物の中に入
ってゆかない。批評といい、懐疑というも、物の中に入ってゆかない限り、一個の感傷に過ぎぬ。真の
批評は、真の懐疑は、物の中に入ってゆくのである」
――― 『人生論ノート』から「感傷について」より。
「自己を知ることはやがて他人を知ることである。私達は私達の魂がみずから達した高さに応じて、私
達の周囲に次第に多くの個性を発見してゆく。自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰
色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもって凝視し得た人の前には、一切のものが光と色
との美しい交錯において拡(ひろ)げられる」
――― 『人生論ノート』から「個性について」より。
★SION 『SION』
20年前の今日 1987/10/8
1人でいるとき、外を歩いているとき、いつもウォークマンでシオンのファースト・アルバム『SION』を聴いてい
る。
ウォークマンで聴くのは音楽なしにはいられないからなのではなく、人が話しているのを聴きたくないから。
邪魔なものから離れているためなのだ。
★THE RANKERS @新宿アンティノック
14年前の今日 1993/10/8
昨日の高円寺屋根裏Ⅱにつづくライブ。
昨日のライブは至高体験という面からいったら、もしかしたらいままでに私がライブハウスで聴いた何百とい
うライブのなかで、いちばんすごいライブだったといえるかもしれない。
ホームページ(http://koikaiko.com )の『宇宙即変化。人生即主観』 75号参照。
75号のそのほかの記事:Dr.WOLF、ヴァーノン・リード(リヴィング・カラー)。
★EAT RED MEAT @新宿アンティノック
12年前の今日 1995/10/8
ドラムがex.DOOMの錠一になったとのことなので楽しみにしていたが、強烈だった。
EAT RED MEATはギター・ボーカルの富田さんの存在がとびぬけていたのが、対等になった感じ。
ライブの後半は、みぞおちのあたりが冷たく震え、口を半分開けたままといった状態がつづいた。
ほとんど瞬きをしなかった。
はじめはすわって聴いていた人たちが、途中から何人も立って聴きはじめた。
ドラムとベースがジャスト・フィットしているから、ドラムの音もベースの音も聴こえず、ドラムとベースがいっしょ
になった音と、それに加えて富田さんのギター・ボーカルが響いている。
ライブが終わって、横のベンチにすわったら貧血をおこしそうになっていた。
身体全体が冷たくなって、気が遠くなっていくときのような感じになっていた。
ものすごいライブだった。
★『それでもあなたの道を行け』 ジョセフ・ブルチャック編
8年前の今日 1999/10/8
「大きくなったら、
質問なんかすることはいらない。
自分で見て、自分で聞いて、待っていれば、
答えは向うからあなたのところにやってくるだろう」
――― ラリー・バード(ラグーナ・プエブロ族)
『それでもあなたの道を行け』 P.44~45
「誰にも『なぜ』と尋ねることをせず、人の語ることに耳を傾け、自分で気づくようにしなさいと言われて育てられ
てきた」(ソージ・トラック/タオス・プエブロ族)ということ。
「インディアンの知恵と知識のすべては、夢のなかにやってきた」(チッペワ族のある老人)ということ。
こういう考え方、こういう生き方をもっと若いときに知っていたらどうなっていただろう、と思わずにいられない。