記憶の曖昧な私のちっこい頃のことを思い出してみた。
父親の本の山に囲まれて育ったけど、あんまり本には興味をしめさなかった覚えがある。
小さい頃は字が読めなかったからからか、アニメ漬けだった。
家には漫画よりもアニメの方がたくさんあったなぁ。
でも、山の様につんであったから、ゴミの山にも思えてたと思う。
父も母も学生の頃アニメーション80とかいうサークルに入っていたからか、アニメをよく見せてた。
記憶が無いちみっこい頃は両親のお友達が集まったときに二階で子ども達の寝てる間に「鉄男」をみてるようなこともあったらしい。(大学に行って初めて見たら、かっこよかった!)
とはいえ、子どもには健全なアニメを見せたかったらしく、ディズニーアニメ漬け。(父曰く、顕然とは言いがたいみたい。なんたって、王子様が助けにきて、結婚がゴールなんだもんね。)
お姫様のひらひらとしたうごきとお話がお気に入りだったので、写真を見るとぷっくりした図体でほっぺに手をそえていた。
そんな写真と反対に自由奔放で近所では◯◯の原人とか太陽の子とか、妙ちきりんなあだ名がついてたり。気のいい近所のおじさんがつけたのは気に入ってるよ。とはいえ、面倒をおかけしました;
アニメを日常的にみているからか、「白蛇伝」とか「砂の城」とか積み木が城をつくって子ども二人が迷路のようなところを追われるとかアニメの時代がセーラームーンとかと混ざって曖昧。
今でも名前を覚えるのが苦手。
好きでもあまりタイトルで伝える必要がなかったからかも、だって家族に「海賊船の話で炭酸ジュースを飲んだ人が泡になるアニメ」っていえばもう一回みれちゃうんだ。
これは今のネットと同じようなもんかもしれない。
現実では曖昧すぎて、言葉足らずじゃ、現代人よりも原人、類人猿みたいな生き方しか出来ないって、最近は思う。反省。
初めてあった作家さんは記憶にある中では「砂の城」のコホードマンさん、アニメーションの印象道理良い雰囲気の人だった。はじめて外国の人と対面したかも。
子どもの城でアニメ制作体験とかしてたなぁ。
そう思うと、なにゆえこんなに引きこもり体質になったんだろか?
今は緊張すると握手からもにげそうだよ。
私にもわからない。
漫画については
小さい頃、記憶にある漫画といったら、「まんがみち」とか「火の鳥」とか、「墓場の鬼太郎」クーフーリンが出てくる少女漫画だとか。小学生の頃からは「モーニング」、「イブニング」、「コミックビーム」、、も階段の隅でみてた。ちみっこのお小遣いじゃ「ちゃお」を毎月見るのが精一杯。
あとは表紙が仮面のみで文字が無い漫画とか。
勝手に読みあさっていたので、情操教育によろしくないものもみてました。
小学校の途中からは引っ込み思案なおかめちゃんとなりました。
(友達の弟にモナリザをもじった◯ナリザってあだなをつけられたおぼえがある。)
入学当初は授業中に遊具遊びからかえってこないようなやつだったので、先生に遊具から引きづりおろされた記憶がある。先生、申し訳ない。
本当に類人猿みたいだっておもうと、あんまり思い出したくないなぁ。
今も記憶がさっぱり、おいてくるような人間です。時間軸もなんも曖昧。
でも悪いことも良いいこともした、気性の激しいそんな子どもである。
たぶん、人間は何回かに分けて、変化していく。
きっと途中で「はっ、私はにんげんだった!」って気づくんだとおもってます。
以上。