いままでの記事では、いかに著作権を守り使用料を徴収するかを書いてきましたが今回は真逆です。
音楽リスナー、映像などの音楽を必要とするクリエーターも知っておくともっと自由に音楽を扱う事ができるようになります。
では著作権のライセンスをパブリックにどの程度解放するか?の選択肢があることの喜びを噛みしめるところからスタート!
それはズバリ、クリエイティブ・コモンズの表示。これは著作権を否定するモノではなく著作権を拡張するモノ。(少しずつですが浸透してきた気がします。)
↓
参照リンク
クリエイティブ・コモンズ・ジャパンの理事をされているドミニク・チェンさんの著書『オープン化する創造の時代 著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』のなかでチェンさんが語っていることで特に印象に残った言葉があります。
『オリジナリティというものは本来、過去・現在・未来、その全部を含めた上での他者とのコラボレーションの結果』
『これまでのように一部のエリートや権力をもっている少数の人が密室で考えるのでなく、オープンな場所で、オープンなかたちで、誰でもルールを提案することができるようにすれば、あたかも生命が進化する過程で多様な種が生まれて、環境に最適化した種が生き残るという自然淘汰に似たプロセスが文化にもあてはめられるようになる ~~ 表現を行うことが、まるで言葉を使って話すのと同じように一般的なことになれば、誰しもがこれまでは表面化していなかった潜在的な創造性を発揮し、誰かに気付いてもらえる確率が増えると思うのです。』
オープン化する創造の時代 著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論 (カドカワ・ミニッ.../ブックウォーカー

¥価格不明
Amazon.co.jp
色々考えさせられるお言葉ですね♪
さて、若干極論ではありますが、言葉を話す度にその言葉を作った人にライセンス使用料を払う事がナンセンスなのと同じように、表現することが今後、言語と同じように一般的なことになっていく場合、クリエーターが望みもしないような著作権があり続ければその表現の自由度を下げてしまい、結果、文化の活性化を妨げかねないということです。
(お笑い芸人のネタや言葉に一々著作権がついて、使う度にライセンス使用料を払わなければいけなかったらきっと日本のお笑い界はさぶーい業界になっていたことでしょうw)
なので著作権を守ることはクリエーターにとっては死活問題であり大切なことであることは間違いないのですが、著作権を解放することであらたなコラボレーションや思ってもいなかったような文化的な価値を見出したり、誰かに気付いてもらえる確率がふえる可能性だってあることを知っておくと後々いいかもしれませんね。
Hikosaemon氏の分かりやすいクリエイティブ・コモンズのユーザー向けの説明動画。
ただ、私は心配してしまうこともあります。。
クリエーターが著作権を解放することが100%正しいことだと思い込んでしまい、せっかくの音源からの収入の見込みを0にしてしまうことです。
さらに言えば、出来上がった音源を音源制作に協力者たちに許可無く、突然、楽曲をクリエイティブ・コモンズ表記にしてしまうことなども心配だったりします。
自主制作でやっていてすべてそのミュージシャン自身が制作費を負担し、買い取りでプロデューサーやエンジニア、実演家と話が決まっていれば良いのですが、話し合いもせずにそれをしてしまうと、将来永続的にその楽曲からライセンス使用料の徴収が望めなくなることになりうるので、そんなはずでは無かった!ということになりかねません。
しかしCCはまだまだ小難しいイメージがあるのが事実ですね。。
全く同じ音源でもアップロードしているウェブサイトによって表記が違うものもよく見かけます。
ex) Soundcloudでは『BY』のクレジットのみの表示なのにBandcampでは『BY-NC』と非営利目的のみの表示も加えられたりしていたりします。
数日経って、表示を替えてしまうクリエーターもいます。(これはユーザーの立場になって考えればとんでもないことをしているのが分かるはずです。)
私自身もまだまだ扱い慣れてはいませんが、以前の記事で書いたことも踏まえつつ
著作権を管理してロイヤルティ収入などに繋げる『守り』と、CCの表示などを利用し著作権を解放してプロモーションや新たなクリエイティブに活かす『攻め』、どちらの方法も理解し使いこなせるようになることが一番の理想なのかもしれませんね!(これがこの記事で 私が一番言いたい事でした。)
ということで、このブログで少しでもお役に立てれば幸いです♪
参考・参照サイト
クリエイティブ・コモンズジャパン
音楽リスナー、映像などの音楽を必要とするクリエーターも知っておくともっと自由に音楽を扱う事ができるようになります。
では著作権のライセンスをパブリックにどの程度解放するか?の選択肢があることの喜びを噛みしめるところからスタート!
それはズバリ、クリエイティブ・コモンズの表示。これは著作権を否定するモノではなく著作権を拡張するモノ。(少しずつですが浸透してきた気がします。)
↓
参照リンククリエイティブ・コモンズ・ジャパンの理事をされているドミニク・チェンさんの著書『オープン化する創造の時代 著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』のなかでチェンさんが語っていることで特に印象に残った言葉があります。
『オリジナリティというものは本来、過去・現在・未来、その全部を含めた上での他者とのコラボレーションの結果』
『これまでのように一部のエリートや権力をもっている少数の人が密室で考えるのでなく、オープンな場所で、オープンなかたちで、誰でもルールを提案することができるようにすれば、あたかも生命が進化する過程で多様な種が生まれて、環境に最適化した種が生き残るという自然淘汰に似たプロセスが文化にもあてはめられるようになる ~~ 表現を行うことが、まるで言葉を使って話すのと同じように一般的なことになれば、誰しもがこれまでは表面化していなかった潜在的な創造性を発揮し、誰かに気付いてもらえる確率が増えると思うのです。』
オープン化する創造の時代 著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論 (カドカワ・ミニッ.../ブックウォーカー

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色々考えさせられるお言葉ですね♪
さて、若干極論ではありますが、言葉を話す度にその言葉を作った人にライセンス使用料を払う事がナンセンスなのと同じように、表現することが今後、言語と同じように一般的なことになっていく場合、クリエーターが望みもしないような著作権があり続ければその表現の自由度を下げてしまい、結果、文化の活性化を妨げかねないということです。
(お笑い芸人のネタや言葉に一々著作権がついて、使う度にライセンス使用料を払わなければいけなかったらきっと日本のお笑い界はさぶーい業界になっていたことでしょうw)
なので著作権を守ることはクリエーターにとっては死活問題であり大切なことであることは間違いないのですが、著作権を解放することであらたなコラボレーションや思ってもいなかったような文化的な価値を見出したり、誰かに気付いてもらえる確率がふえる可能性だってあることを知っておくと後々いいかもしれませんね。
Hikosaemon氏の分かりやすいクリエイティブ・コモンズのユーザー向けの説明動画。
ただ、私は心配してしまうこともあります。。
クリエーターが著作権を解放することが100%正しいことだと思い込んでしまい、せっかくの音源からの収入の見込みを0にしてしまうことです。
さらに言えば、出来上がった音源を音源制作に協力者たちに許可無く、突然、楽曲をクリエイティブ・コモンズ表記にしてしまうことなども心配だったりします。
自主制作でやっていてすべてそのミュージシャン自身が制作費を負担し、買い取りでプロデューサーやエンジニア、実演家と話が決まっていれば良いのですが、話し合いもせずにそれをしてしまうと、将来永続的にその楽曲からライセンス使用料の徴収が望めなくなることになりうるので、そんなはずでは無かった!ということになりかねません。
しかしCCはまだまだ小難しいイメージがあるのが事実ですね。。
全く同じ音源でもアップロードしているウェブサイトによって表記が違うものもよく見かけます。
ex) Soundcloudでは『BY』のクレジットのみの表示なのにBandcampでは『BY-NC』と非営利目的のみの表示も加えられたりしていたりします。
数日経って、表示を替えてしまうクリエーターもいます。(これはユーザーの立場になって考えればとんでもないことをしているのが分かるはずです。)
私自身もまだまだ扱い慣れてはいませんが、以前の記事で書いたことも踏まえつつ
著作権を管理してロイヤルティ収入などに繋げる『守り』と、CCの表示などを利用し著作権を解放してプロモーションや新たなクリエイティブに活かす『攻め』、どちらの方法も理解し使いこなせるようになることが一番の理想なのかもしれませんね!(これがこの記事で 私が一番言いたい事でした。)
ということで、このブログで少しでもお役に立てれば幸いです♪
参考・参照サイト
クリエイティブ・コモンズジャパン




