「この写真は、私が埼玉県越谷市に住んでいたときに、妻と一緒に久伊豆神社をお参りした帰りに、家の近くで撮った、龍雲の写真です。龍の頭と顔がはっきりと、わかると思います。このように、私は、実際に鳳凰雲も見ているし、龍雲も見ています。鳳凰と龍は神話上の神様です。空から、きっと、私達の幸せを願って、神様が、このような龍雲を通して現れてくれいるのだと、この時、私は、そうはっきりと思えました...。」
2.第1話の中で、私は、二度の人生のどん底を味わったと言いました。
第2話からは、その人生のどん底の話をしようと思います。
私は、幼いときに、母親を亡くしました。
まだ、私が、小学校1年生の時のことでしたが、その日は、とても寒い冬の真っ只中で、2月2日のことです。
私は、当時、小学校で流行っていた、ウルトラマンカードの台紙が欲しくてたまりませんでした。母親に、その台紙がどうしても欲しいと泣きすがって、ようやく、500円を貰い、家の近くのおもちゃ屋さんに走って行き、急いで台紙を買い、家に戻ってきました。すると、母が一人泣いているのです。
私は、当時、母のことを「ママちゃん」と呼んでいました。
「ねえ、ママちゃん?」
と幼い私は、母が、一人泣いているのを見て、そう言う事しかできませんでした。
母は、なぜ泣いているのだろう?
私には、全く、理解できませんでした。
母は、以前から、リウマチを患い、それが、酷くなり、膠原病という、昔は不治の病と言われた病気を患って、入院を余儀なくされていました。
そして、一時退院して、家に戻って来たのが、昨日のことだったのです。
僕は、久しぶりに、母親に会えた喜びから、母にずっと寄り添って、甘えていました。
そして、ウルトラマンカードの台紙がどうしても欲しいことを、母に伝えたいと思っていました。
それが、叶って、台紙を手に入れることが出来てとても嬉しかったのです。
しかし、母は一人、泣いていました。
私には、5歳上の姉と、3歳下の妹がいましたが、姉に「ママちゃんなぜ泣いてるの?」と聞くと、「お前が、泣けなしのお金を持っていってしまったからだよ。」と言われました。
当時の、私の家は、それほどまでに貧乏な家庭だったのです。
そして、母は、その翌日の2月3日の節分の日に、急に、息を引き取ることになってしまったのです。
3.私は、幼い時から、貧乏な家庭に育ったため、中学の頃から、新聞配達をして、家計をやりくりしていました。
もう母は、既に亡くなっており、私は、3歳年下の妹の面倒を見ながら、二人きりで、熊本県の熊本市内で、アパート暮らしをしていました。
そして、高校に上がると、今度は、部活動が必修だったので、朝4時半起きで朝刊の配達をして、部活動から帰って来てからは、4時間程、アパートのすぐ近くにあった、ろばた焼き屋さんで、アルバイトをして、家計を何とか、やりくりしていたのです。
それでも、高校での成績は、学年で25番をキープしていました。
しかし、一年生の一学期が終わり、夏休みに入ると、父の仕事の都合で、埼玉県に行くことになったのです。
埼玉県に行ってからというものは、私は、ファミリーレストランでアルバイトができるようになったことで、自分の食い扶持は、何とか確保できるようになり、妹は父に任せて、自分のことに集中できる環境になり、アルバイトに、更に精を出すことになったのです。
高校の方は、多少、偏差値レベルは下がったのですが、一年の時の模試の成績は、学年で、8番をとることができました。
そして、高校を卒業する頃には、私は、埼玉県の公務員の教育職として就職して、夜間大学の東京理科大学の二部化学科に進学することが決まりました。
しかし、この後から、私は、不運の連続に見舞われることになってしまったのです。