本田浩一 -6ページ目

離党記者会見

本田浩一は、11月19日付で民主党を離党しました。翌20日に、記者会見をして、以下のコメントを発表しました。
photo:02


photo:03


photo:01

熊本県民の皆さま、国民の皆さまに、重大な決意のご報告を申し上げます。
私、本田浩一はこのたび、、11月19日に、民主党に、衆議院選挙の「公認辞退届け」および「離党届け」を提出しました。民主党公認候補として、本田浩一をご支援いただいていた皆さまには、お詫びを申し上げます。松野頼久氏、加藤公一氏という、二人の民主党衆議院議員の秘書を務め、2010年には、民主党公認候補として、参議院選挙において、大変ありがたいことに、約35万の票をいただきました。また、その後の、熊本3区の衆議院公認候補としての活動など、政治の世界に入って8年間、私は、ずっと民主党として活動してきましたが、今回は悩みに悩みぬいた結果、苦渋の決断をしました。先週、11月14日の、党首討論の場で、突然、野田総理が「衆議院解散」の発表をされましたが、これは自民党・公明党に押し切られての、いうならば「妥協解散」だと思います。政権交代後この3年間、特に参院選挙に敗北した後の、民主党政権はマニフェストをなかなか実現できないために、熊本県民や、国民の期待を裏切り続けてきました。そんな中でも、私、本田浩一は、2009年衆議院選挙のマニフェストを、来年8月の衆議院の任期満了までは、何とか、実現に向けて努力をするべきだと、さまざまな場面で、ずっと主張してきました。しかしながら、結果的に、今回の解散で、民主党はそのマニフェストを守ることを、衆議院の任期途中で投げ出しました。マニフェストで約束をしていなかった「消費税の増税」を、3党合意という、国民不在の、いわば「談合政治」で決めて、国民への負担を押し付けることだけは決めたのに、議員自らの、身を切る覚悟はなく、マニフェストでちゃんと約束をしていた「議員定数削減」の問題は、選挙後の、次の政権に丸投げをする、という結果になりました。私は、松野頼久代議士が離党した後も、何とか民主党でがんばっていきたいと、これまでやってきましたが、今回の解散にまつわる一連の動きについて、民主党に限界を感じ、離党する決断をしました。今後は、ではない、しがらみがない、新しい政党である「日本維新の会」に公認申請をして、今回の衆議院選挙では、引き続き、熊本3区から挑戦したいと考えています。本田浩一の活動に、これまで多くのご支援をいただいた皆さま、特に、民主党県連、連合の皆さまには、大変ご迷惑をおかけするかと思いますが、熊本県民、国民、そして、熊本3区の有権者のことを思っての、本田浩一の、信念を貫く行動に対して、どうかご理解をいただきたいと思います。

熊本3区情勢

17日付の熊日新聞に、熊本3区の衆議院選挙情勢が載りました。
photo:01


記事には『本田浩一氏は、故松岡利勝元農相を支持していた「反坂本」票を狙う』とあります。済々黌高校の先輩である、松岡利勝衆議院議員は生前、熊本県と熊本3区地域のために一生懸命、頑張って仕事をしてこられました。松岡先輩が、やり残した部分は、後輩の本田浩一が引き継いでいきたいと思っています。

衆議院解散の日

本日、衆議院が解散されました。
photo:01

photo:02


本田浩一の名前も、熊本3区の予定候補者として、早速メディアで取り上げられています。
photo:03