今の自分の人生を考えてみてください。自分の意志でこの地球、この時代、この場所に生まれてきたのでしょうか?正確に言えば、この自分と思っている自我が決めてきたのでしょうか?

その問いには違うと答えます。

自我の意図しない範囲で生まれてきて、意図しない様々な困難も経験し今を生きています。だから未来も意図せず進んでいるといえます。

時間軸を地球ができたとき、さらにさかのぼって宇宙ができたときに戻してみましょう。すべてが生まれた瞬間、そこからすべてがはじまりました。もしもこの宇宙が始めからゴールが決まっていたとしたらどうでしょう?もうすでに未来は確定しており、素粒子から始まった動きが生命となり、意識を持つ存在となり、最後は宇宙そのものとなっていくという壮大なストーリーの中に生きているとしたらそれは神の掌の上で転がっているといえるでしょう。

実際に人間が何かをしようとする前に脳の活動電位が起こることは実証されています。自分が何かをしようと意図する前に無意識レベルで動いており、その結果を解釈して自分で動いたと思っているということです。自我が意図する前に無意識で起こっているその存在は何でしょうか?無意識も生得的に獲得してきた自分なのでしょうか?生まれてから意識せずとも起き上がり、立ち上がり、歩くようになります。それはDNAに刻まれた情報によって起こっていると思われます。DNAにある情報は自分なのでしょうか?それは個人の無意識のレベルを超えています。時間をさかのぼります。人類としての進化、哺乳類としての進化、細菌としての進化、細胞の誕生、地球の誕生、太陽系の誕生、銀河系の誕生、銀河団の誕生・・・宇宙の誕生に最後は行きつきます。

もうすでに宇宙が生まれた瞬間、すべては起こっています。

なぜなら人間も宇宙の組成からできています。この世に宇宙ではないエネルギーでできていないものなどないからです。そもそも素粒子の世界には、時間がないといわれています。すべての時間が今同時に行っており、時間はストーリーを紡ぐ軸でしかありません。

ただ、現在のストーリーを生きる人間にとって、その理解は難しいため、時間があるという中で考えます。

宇宙=神ととらえると神は、すでにゴールを決めていると思います。そのゴールの途上にいるのが人類です。すでに決まった道のりを遠回りしながらも流れの中にいるのが人類の中にいる一人の人間のストーリーとも言えます。だとしたら意図しなくても決まっているなら意味はあるのかということですが、意味もあり意味もないということです。すべての可能性が用意されており、すべての選択ができるという錯覚を持たせてくれています。どんな過程も自由選択できるという可能性を与えられています。

それは神の意図する範囲で行っているということです。ただ、一つ言えることは、宇宙的なゴールは、人知を超えていると思いますが、宇宙にとってよりよいものであると思っています。

宇宙には進化成長の意図が感じられるからです。

人類も宇宙の一部だからです。光と闇といったように分離の選択を作りつつ最後は、統合し調和する選択をすることがゴールだと思っています。

その流れの中にいる個人としての人ですが、安心して選択していくということです。

 

生きているといろいろなことが起こります。

ポジティブな出来事だけでなくつらいこと、苦しいこと、悩ましいこと、もやもやすること、不安なことが起こります。

精神面だけでなく、身体の問題、自分だけでなく周りのことだったりします。

ただ、様々な体験や経験が人としての広がりを作り、さらに深さを得ていきます。

その経験があることがこの人生を生きるということでもあるとも言えます。

唯一無為の自分の人生を生きるということです。

そのつらい経験の渦中にいるときはなかなかそれに気づかず、そうも思えないのですが、

必ずそのあと、振り返った後にあの経験があったから今があるということがほとんどです。

それは、振り幅がせまいとその世界の経験のみの表層的人生ともいえます。

様々な体験や経験があったことで様々な感情体験、身体体験をすることで振り幅が縦にも横にもさらに立体的になります。

そのような経験をした方は、他者の思いに寄り添え、またすべてを包み込む包容力があります。それだけ多くの経験をしたからだと思います。

また、その出来事を「~のせい」ではなく「~のおかげ」と昇華することができているこということだと思います。

過去に縛られず、未来に希望を持ち、今を生きるというスタンスでいたいものです。

キーワードは「感謝」です。ここに存在できていることに感謝、今までの出会って来た方々、経験、ご先祖様、日本ができたこと、世界ができたこと、宇宙ができたことに感謝。これから起こるであろう未来に感謝です。

ありがとうは、自分発振ですが、有難いは受容的です。

その両方が重要だと思います。ただ、なかなかそのように思えないことも確かです。

その思えない思いもかけがえのない経験であり、否定ではなくその感情や思いに寄り添う姿勢が大事です。

視点を変えるという言葉がありますが、多面的に見るということです。ただ、それだと現在の位置のみの見方です。

より立体的、俯瞰的な視点は視座を変えるということです。

過去、現在、未来の座標、あらゆる空間の座標、パラレルワールド(別次元)からの座標から観ることが重要です。

僕たちは、あらゆる時空の中にいる存在です。

この人生を自分の魂、DNAに刻まれた使命を全うしたいものです。

 

 

 

この世に生まれてくることは、肉体的な死を持つという事です。

始まりがなければ、終りはない。そのループは永遠かもしれませんが、この時代、この場所で生まれてくることは、唯一の体験です。

僕が僕であるためのもので、僕だけのものです。

僕は、自分の人生には、宿命と呼ばれるある程度のシナリオがあると思っています。

山から川の水が流れているようにその流れは、あらかじめ作られていると思っています。

ただ、その枠の中で選択していく自由も内包されているとも思っています。

自由選択でさえ、プログラムされているとする考えもありますが、なぜ、物質的な人間としての誕生があるのかといえば、さまざまな体験をするためだと考えています。

僕は、それを宇宙の特異点、ゼロポイントフィールド、すべてを生み出す場、世界そのものととらえていますが、

すべてのものが体験するためには、分割する必要があり、分割することは、AとBを生み出します。左右、上下、プラス、マイナスなどそれとそれではないものを生み出します。

分割することは、部分になることであり、その部分から他の部分を認識できます。

それが、体験につながり、全体が全体を知る手段になっています。一つのものだけであったなら、それ自身を知ること、体験することはできません。

そのメカニズムの流れにあるのが人が生まれるということにつながっています。

それは、世界を知ることにつながり、体験の積み重ねがすべての感情や思考や全体性への回帰?、私が私であると認識することになっています。

 

僕が僕であり、僕オリジナルの人生を生きるということは、宇宙が宇宙を認識するということぐらい壮大ですばらしい瞬間を創っていると思っています。

少し、話が逸れましたが、人生の流れはあると思いますが、その中で自由選択で様々な出来事から体験することは、宇宙視点に立てばどれもすばらしい瞬間で重要な体験です。

どれもかけがえのないものであり、もしそのように思えない、大切な人との別れや病気、人間関係、金銭面でのトラブルなども出来事も高い視点に立てば、すばらしい体験です。

その体験の深さが、とても重要です。

そのことによって、同じように悩む方に寄り添えたり、それがきっかけ、原動力になり、新たな挑戦につながることもあります。

上記をまとめると、

自分の人生については、大きく2つの視点が必要です。

物質レベル、人間レベルで見る出来事に一喜一憂し、様々な感情体験をあじわうこと、その中で一生懸命努力したり、挫折したり、奇跡を起こしたり、絶望したりするという視点です。

もう一つは、

ゼロポイントフィールド、この世界そのもののワンネス視点です。すべての人間レベルの出来事を包み込む大きな流れの視点です。

宇宙意識とつながっている状態ともいえますが、

すべては、大丈夫、愛感謝の高いレベルのエネルギー状態

とも言えます。

仏教でいえば、空の視点、量子力学でいえば、すべての素粒子を生み出した場の状態です。

 

僕たちは、この2つの視点を持ち、唯一のオリジナルな人生を歩むほどすばらしい存在であるという認識をもって生きることが人生をより豊かに生きることにつながる

と考えています。

僕たちは、生まれてから現在に至るまで様々なかけがえのない経験をし、人生を生きています。

親や学校、社会からの情報や教育により、今の世に生きやすいように学んでいます。

意識的にも無意識的にもインプットし、それを意識するまでもなく、当たり前のように生活しています。

何が良き事かと選択し、善悪の判断もしながら常識を思しき方向に進んでいます。

それは、顕在意識と潜在意識といいます。

その二つの領域を展開しています。ただ、自分が真理だと思うことは、宇宙の真理からしたらごく一部であり、自分の真理は、銀河系の真理ではないこともあります。銀河系の真理は、宇宙の真理ではないこともあります。

知らないことが圧倒的にあり、究極の真理はつかみどころがないものです。

ここからいえることは、

今自分が正しいと思うことが、時代や場所、空間が変われば真逆になる可能性もあり、不安定なものということです。

さらにいえば、

他者の異なった意見や思いに耳を傾け、受け入れる器が重要ということです。多様性を認め、生きるということです。

絶対はありません。(不完全性定理からも明らか)ただ、そのような中で自己選択をし、自分の人生に責任を持ち生きていくといくことです。

 

別の視点から、個人を超えた存在としてとらえると、自己を超えた自己超越や集合的無意識

さらにそれを超えた

ゼロポイント、ゼロポイントフィールド、神領域といったものがあります。

すべてを包み、すべてを生み出し、全体そのものの場といえばよいでしょうか?

そこからの視点に立てば、

私という存在は、真理そのもの

であり、その一部である個ととらえることができます。

物質や物質以外、空間や時間、過去や未来、すべての生き物、非生物、すべてです。

そのような視点に立てば、すべてが真理であり、小さい視点、小さい認識、不十分な見識、思い込み、無知等も含めて

すべてが不十分であることが完璧な状態です。

仏教視点に立てば、です。

すべてのピースがピースとして重要な存在であり、他者も個もない状態、いい人も悪い人もいない状態、いい状態も悪い状態も過去も未来もない状態です。

 

個としては、個としてこの人生を十分に味わい楽しんで生きるというあり方が重要です。

その根底には、ゼロポイントフィールドのすばらしい基盤の上に成り立っている完璧な世界で生きている(生かされている?)というそれこそ絶対的な安心感があるからです。

ただ、不安になることも絶望することも人生(宇宙)の重要なピースといえます。

この人生プログラム、壮大な舞台の人生を楽しみたいものです。

ドイツの理論生物物理学者のフリッツ=アルバート・ポップ博士も発見した生体発光=バイオフォトンというものがあります。

細胞一つ一つからフォトン=光子が発光されており、それが周囲に影響されるというものです。

意識は、脳にあるものとの見解がありましたが、全身にあり、その考えであると、臓器移植での嗜好や性格の変化なども納得できます。

意識がつまりフォトンの発振と考えると、どのような感情や思考でいるのか、どのような言葉を発するのかもとても重要

になります。

その場の雰囲気が良い、なんか嫌な感じ、重い空気感、あの人といるとそこにいるだけで落ち着く、この人にはなぜか近づきにくいなど、そのような感覚もどのようなフォトンを発しているかが影響を与えます。

また、風邪の治りやすさの研究では、医師が寄り添いながら診察した方の方が治りやすいなどの結果もあり、目に見えないフォトンの働きの影響と考えてもよいと思います。

そして、

最も影響を受けるのがそのフォトンを発している自分です。

常に、自己卑下で過ごしていれば、マイナスの影響を自分が一番受けることになります。

常に自分をいたわり、心豊かに生きていれば、その影響を一番受けることになります。

自己犠牲では、本当の意味で良い発振をしていることにはならず、自己を痛めつけて結局は、よりよい発振はできなくなります。

自己に寄り添い、自己肯定感高く、生き生きと生活することが、周りに良いフォトンを飛ばし、よりよい場や雰囲気、物事がスムーズに進むエネルギー場を作ること

になります。

そのためには、無意識下で発言している独り言の言葉やあり方の積み重ねが重要です。

自分の身体や心にやさしく、よりよい言葉がけ=アファメーションが

重要です。

最も人生で重要なことは、より豊かに人生を生きることであり、幸せ感を感じること

です。

そのために、今何ができるのかですが、不平不満の中で埋没して生きるのではなく、

今の幸せに気づき、心身共に健康に、日々感謝をしながら、また成長していけること

が僕が考えるより良い人生だと思います。

よりよいフォトンが自然に発振していけるよう日々を生きていきたいものです。