在り方は、名乗るものではない 成果や実績は、常に二の次だった。 修行時代、私が最優先にしていたのは「在り方」だった。 何が出来るかより、どう在るか。 理解するより、体得すること。 近道や効率より、腹の底から納得できる道を選ぶ。 その姿勢は、年季が明け、独立してからも何ひとつ変わらなかった。 同じ師のもとで学んだ兄弟弟子の中には、別の道を選んだ者もいた。 師の名声を世に広めることを志し、宣伝媒体へと近づき、 やがては技ではなく、名前を追うようになっていった者たちだ。 宣伝を使っているつもりが、いつの間にか宣伝に使われる側へ回る。 ミイラを取りに行った者が、気付かぬうちにミイラになる。 その構図に自覚の無いまま走り続けた末路は、決して明るいものではなかった。 コロナ禍で飲食業界は壊滅的な打撃を受け、 私たちの多くも職場を失った。 彼らがその後どう生きているのか、今となっては知る術も無い。 ある夜の出来事 後に聞いた話だが、吉田剛が病に伏した折、 「菅野を呼んで来てくれ」 そう、姐さんに頼んだのだという。 親方の自宅は、店のすぐ近所にあった。 知らせを受けた姐さんは慌てて厨房の裏口へ来たが、 その振る舞いは実に細やかだった。 外で里芋の皮を剥いていた若い見習いに、 「そっとでいいから、菅野君を呼んで来てちょうだい」 そう頼んだという。 当時の厨房には、二番、三番の兄さん方が居た。 それでも私を呼ぶように言われた姐さんは、 林の兄貴や斎藤兄さんに悟られぬよう、 静かに、慎重に、見習いへ指示を出した。 私は呼ばれ、自宅へ駆け付けた。 医者はすでに呼ばれていたが、まだ到着していなかった。 親方は下腹部を両手で押さえ、 「痛い、痛い」と苦しんでいた。 だが、私の顔を確認するなり、唸るのを止め、 途切れ途切れながらも、はっきりとこう言った。 「店のことは、全部お前に任せる」 やがて医師が到着し、 「もう店に戻ったりや」 そう言われ、私は後ろ髪を引かれる思いで店へ戻った。 厨房に戻ると、 斎藤兄さんの分、林の兄貴の分、 それぞれ別に、調理師会経由の紹介状を預かっていた。 二つの茶封筒を、それぞれに手渡す。 中身を開けた兄さん達は、互いの顔を見合わせ、 喜びを隠し切れない表情を浮かべていた。 その光景を見た瞬間、 私は憤懣やる方ない気持ちを、必死に押し殺すしかなかった。 後日譚 その後、半年も経たぬうちに、親方の葬儀が行われた。 仕事の都合をつけて、吉田武が参列していた。 だが、あの時厨房に居た兄さん達の姿は、 参列者の中には見当たらなかった。 それ以上の説明は、私には要らなかった。 在り方は、見抜かれる あの夜、なぜ自分が呼ばれたのか。 当時の私は、分かっていなかった。 今なら、はっきりと言える。 在り方は、名乗るものではない。 評価を取りに行くものでもない。 静かに、淡々と積み重ねた時間が、 いつの間にか誰かに見抜かれている。 そして、肝心な場面で、呼ばれる者が呼ばれる。 名声は、追った瞬間に逃げていく。 在り方だけが、最後まで残る。 それを私は、 言葉ではなく、出来事として教えられたのだと思っている。
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