大和朝廷の成り立ちを研究するには、最重要な遺跡
それは・・・、纏向(まきむく)遺跡!! ( ̄▽+ ̄*)
(場所:奈良県桜井市)
・・・にも関わらず、一般的な日本人には、あまり知られていないΣ(~∀~||;)
な、なんて、けしからん事実!! (=`(∞)´=)
私が学校に通っていた時代は、教科書にも載っていなかったヾ(。`Д´。)ノ
(今は分りません、ごめんなさい)
この遺跡について書けば、きりがないけど・・・
何個か特徴だけ挙げるとするなら
・三世紀初頭(西暦220年ごろ)
・規模として、藤原京より大きい(但し、碁盤の目状ではない)
・王宮とそれを囲む官庁群が置かれていた→都市機能
・河川を利用した大溝(北溝・南溝)が作られている
つまり、大規模な土木工事が行われていたということ
・市が行われていた(河川や大溝を利用した交易)
・時代から推測して、崇神天皇の都だろうと言われている
↑ この時代に、こんな立派な都市があっただなんて!!
アンビリーバブル \(゜□゜)/
まだまだありますが・・・
また、続きということで・・・(*´Д`)=з