私は女性性というものに惹かれますし絵の説明をするときにそういう言葉を使ったことがあるかもしれません。
でも最近絵が女性性や出産と結びついた時になんかしっくりこないな〜と感じる事が多くなっていて、一度自分は何を表現していたのかを言葉にしてみることにしました。
私の絵からそういうものを感じていただくことはただ嬉しいことで、今回は私自身の制作時の考えをきちんと文章にしたいという思いからです。
この文章を読んで私の絵の解釈を変えていただいても、変えていただかなくても大丈夫です。
まず妊娠や出産のイメージは、そこに実感がないことがしっくりこない原因かと思います。私は出産を経験しておらず、また まだそのような心づもりもなく、こういう状況ではこのテーマは表現しきれないものだと自分は思います。このテーマになにか自分の中で絵にしたい思いがあれば経験が無くても描けるかと思いますが、それがあるわけでもありません。
私は女性という身体(自分)が妊娠という機能をもってうまれることには不安や興味があります。このことは男性にも逆の立場から言えることだと思います。(感情の部分は置いといて)
この興味は出産の素晴らしさや女性の体の素晴らしさというものとはまた別のところにあると思います。
胎内回帰
モチーフとしてよく発言している胎内回帰は、実際の母の体に戻るという意味よりかは、失ったどこか、安全などこか、または構造が類似している洞窟やら布団やらでも良くて、女性の腹という意味だけではありません。胎内というのは他の色々なものの比喩であって、同時に他の色々なものである可能性が欲しいし、それがもつ意味を大事にしたいのです。その意味を持つものなら全てを胎内と呼びたいのです。
とても戻りたい場所や、無いはずのとても素敵な世界、うっとりするような場所、また大きい何かに飲み込まれるここちよさ
これは私の性格が甘えた性格なことからきているような気もします。
胎内回帰はもといたけどもう今は戻れない場所に戻るという意味で使っています。
胎内回帰は 生よりは、時間を戻すことによる死の360度の逆バージョンだと思っていました。
安心できる存在を作り出したいのだと思っていました。
腹の中に人が居るような絵 も 妊娠ではなくて ない場所に戻った大人のイメージです
それか昔の回想か 再現です
女性性や命や性はある意味モチーフのもつ意味で、私の感覚とは違う時もあります。
生理 血
よくテーマにしている生理ですが、これは自分が幼いころ潔癖ぎみになっており自分の排泄物がとても汚く思え、洗っても目に見えない汚れがあるように思えて困っていたときに、血は綺麗だと思っていたところから来ています。
そのため、よく考えると女性性とはあまり関係がありません。
血はとても綺麗な色で描きます。本物の血ではないと思います。私のイメージのなかの綺麗な赤い水です。最初の個展で生理をテーマにしてますがこのときはあまり深く考えていなかった気もします。むしろこのときのほうが女性性はあったかもしれません。
清潔というのは最近の私の制作ではすこし大事なことです。
私はあまり絵に感情が入りません。絵では綺麗なものを作りたいです。
現実逃避といえばそうでもあります。
そして綺麗な水が流れてくる場所 源流という意味で子宮が?体の中が天国のようなイメージがあります。(子宮という言い方も 内臓の名前なのでなるべく控えています)
体の中にまた世界があるというのも後から書く世界の構造の類似と関係しています。世界が体に似てるなら体が世界だというような よくある考え方です。
色々なイメージがうまく自分の中で繋がっていますが一気に言葉にすることは難しいです。
でも全部後付けなのかもしれず、こうやって言語化を頑張ったとしても全てがほんとうではないし こうやって言葉にすることで自分で自分の絵を狭くしているかもしれません。
言語化することで見る方にとって縛られた鑑賞体験になるなら自分の意図なんてどうでもいいような気もします。
もっと言葉から離れた世界でも制作がしたいです。それはなんにも決まっていないふわふわしたところに作品が浮いているような状態です。私は自分の意図するところと違う解釈に触れた時少し戸惑ってしまいます、でも自分の考えを伝えることもしてきませんでした。ちょっと無責任な気がしたので今回は文章にしました。
同時に鑑賞していただいた皆さんそれぞれが作品の幅を広げてくれていて本当に嬉しいです。
脱線しましたがあとは生理の規則性です。これはなにかに自分の体が決められており、毎月に一回腹が痛くなるという 本当に不思議な神秘的な出来事に思えます。
リズムと繰り返しです。月や波などもそうです。
あと、人は 赤い湖があってそこからうまれてくるというようなイメージも昔はあって、でも どこまでもイメージの話です。
空想のように思えることでも自分の中では真実に近いことであり、絵の中では本当のことであると私は思います。自分は自分の絵の製作者なので、自分の絵が本当のものに見えます。
世界の構造
感情は全く抜きにして、構造的に色々な場面で同じようなものがあり そういう類似や、世界の決まりに感動します。世界の構造の類似が色々な場所に見られるのが好きだと何度も発言している気がしますが、人体には自然と同じ仕組みがあり人工物にもそれがあります。その決められた構造が好きです。
あとは昔から命がつながっていることや繰り返されていることも好きです。繰り返しはこの世界に大事な大きな決まりだと思っているからです。
私が見たとても素敵な夢で 女性器の中が木造建築されているというのがあって、自分のなかの女性の捉え方は あまり肉体的ではないというか 肉ではありません。私は人体を花のように建物のように海のように描きたいんです。そうやって描いてきたつもりでもありました。
使用している素材感などで胎児や臓器に見えることもあるのだと思います。
胎児に見える人も 作ってるときはあまり何も考えていないのですが 子供や胎児のイメージはあまりありません。私が人の中に小さい人を描く時 だいたいは小さい人のほうに感情移入しています。しいていうなら小さく戻った大人というような感じです。
性
性も ただ 体の機能と構造の話で、社会的な目線を作品には入れておらず その体の中で起きる事と外で起きる事が類似していたりするのがおもしろいとか神秘とか
そんなことであり、絵にする場合いやらしいものでは無いと思っています。
自分自身の性格も 女性的ではないのにあるかもしれません。
最近の絵でいうと私の女のイメージとは逆のものが自分の絵にあるようにも思います。
性の話に戻ると
卵子と精子で子供ができると言う 不思議には感動するのですが、制作において出産というイメージにはあまり結びつきません。
特に卵子というのは自分にはとても大変なものに感じており、私の意思と身体は別物だということを自分は考えました。
卵子という大変なものが自分の中に存在するという畏怖のようなものがあります。
その大きなパワーや決まりは恐怖と同時に神秘的なうっとりするものでもあると思います
(この大変な機能が備わっているということは男性にもあてはまることだと思います)
ただそういう感覚があるだけで、むしろ 個人的には生命の神秘には、おそれのほうが大きいです。
女性の体の素晴らしさもまだよくわかりません。
少なくとも私が表現するのは女の体だけでなく男女関係なく身体に潜んでいる神秘でもありたいです。
しかし自分の表現の未熟さで絵が女性の印象で止まっているなら勿体無いように思います。
私はむしろ男性にも 絵をもっと見てほしいというか 作品で女性の体だけを描いているわけでは無いですし、中性的に見えるものもたくさんあるはずです。男のつもりで作った作品もあります 私の理解なので好き嫌いは分かれると思いますが
ただ 書いてきたようなことをふまえると、別に女性だけに当てはまるようなことではないところもたくさんあると 自分では思います。
まだここに書いてないこともたくさんあります。読んでいただいて申し訳ないんですがこれを読んだ上でまた一回全て忘れて作品を見てもらいたいくらい この文章は喋りすぎな気もしていて、真剣にかいたら どんどんどうでも良いような気がしてきました。
でもまとめ(?)ることができて良かったです。2024年のうちに載せる予定でしたが体調不良でめでたい年始に更新することになってしまって残念ですが、読んでくれた方に心から感謝します。






