時は享保の時代の梅雨の頃、とある長屋の一角。
男『はぁ、俺はどうにかしちまったのかなァ。何時まで経ってもあの娘の姿が、瞼ン裏から離れねぇ。
いい加減身ィ固めてよゥ、おっしょさんと国のお袋の手向けにしてぇが、
どうしたもんかなァ・・・なぁ、シロ。』

そう呼び掛けられた土間に居る白猫。
少しだけ開いている戸の間から表を見つつ上の空の様子。こちらはこちらで思い悩んでおります。

白猫「はぁ、どうすればあの太夫の気を惹けるのかなァ。
かといってよゥ、俺にできる事ァ、鼠か小鳥を持って行くくれぇしかできねぇ。
大体、太夫はンなもん食わねぇし、持って行ったら、逆に眉ゥひそめて愛想つかされちまう・・・。
どうしたもんかなぁ・・・。」

ニャゥ・・・と小さなため息をつくと、その長屋の男は返事をしてくれたように思い、さらに独り言を続けた。

男『だよなァ・・・。諦めきれねぇよなぁ。とにかくこのカンザシを渡すまでァ、なぁ。』

と、机の上にある丁寧に作られた銀のカンザシを手に取る男。
その思い人にいつ出会ってもすぐに渡せるようにと、毎日せっせと磨き上げられている様子で、
窓から差し込んでくる光を受けて、きらきらと光り輝いております。
その反射した光が目の端にスッと入り、ちらりとそのカンザシを見る白猫。

しばらく眺めていた後、
男『いつも思うんだがよう』
と、続ける男。

男『不思議なモンで、こいつを手に取ると、やっぱり、ようし諦めねぇぞ!ってぇ気分になりやがる。
それどころか、もっといいカンザシを沢山作って、いつあの娘の前に出ても恥ずかしくねぇ野郎になってやるってな。』

白猫「カンザシねぇ・・・そういや、太夫もカンザシつけてたなぁ。
綺麗だよなぁ・・・はぁ・・。」

またもニャゥとため息をつき、またも男は返事と取る。

男『だよな?おめぇもそう思うか?うむ、やっぱり俺ァ諦めねぇぞ。ジジィになって、たとえおっしょさんが迎えに来ても、
こいつを渡すまでァ、あの世にも行けねぇ、いいや、行かねぇぞ。』

白猫「そんな訳にァいかねぇよう。」

男『ようし、先ずはいつ何時あの娘が通りがかってもいいように、小綺麗にしとかねぇとな。
雨が来る前に、ちと表を掃いてくらァ。』
そう言うと、カンザシを元の机の上に置き、いそいそと土間に下り、箒を持って
男『しかし、面白ぇな、本当にあのカンザシぁ。持つたんびに想いが結ばれるような気持ちにさせてくれやがる。』
と、言い残して表へ出て、掃除を始めました。

白猫「ファァ・・・」
と、小さく欠伸をする白猫。

白猫「暢気なおっさんだぜ。ファァ・・・カンザシ持つだけで想いが結ばれる訳ァねぇだろうよぅ。」

と、心の中でつぶやきつつ、眠気もあいまって、ある事を思い出した。

白猫「そういや、俺がもうちっと小さかった頃、寝物語で誰かに聞いたなぁ・・・。」
うとうとと意識が薄くなる中で、うっすらぼんやり思い出す。
「・・・それはそれは見事なカンザシでね。それを持った者は、たちまち恋の虜になってさ、年もとらず、ずっと生きていられるんだそうだよ。」

白猫「・・・誰だっけなぁ、そんなこと教えてくれたの・・・。
『こいのとりこ』なんて、あん時ァなんのことだかさっぱりだったけど、まるで、俺とあのおっさんの事だなァ。」

そして、ちらりと男が置いて行ったカンザシを横目で見て

白猫「年もとらず・・・俺ァ、嫌だ。早く大人ンなって太夫に認めてもらいてぇ。
でも、太夫にァ、ずっと綺麗なままでいて欲しいなぁ・・・。」

シャッシャッと、勢いのある箒の音が聞こえてくる。

白猫「そういや、あのおっさん、年くわねぇな。俺ァ、この半年で随分でかくなったし、毛質も声も変わったのによぅ。
でかくもならねぇし、白髪も生えねぇ。しわってやつも見当たらねぇ。もちろん声もかわらねぇ。なんでだぁ?」

人と猫じゃ違いますってな無粋な事は、今は、申しません。

白猫「まさか・・・なぁ・・・あのカンザシ持ってるからとか・・・いやいや、無い無い・・・。」

シャッシャッっと、続く箒の音。

白猫「・・・あの世に行けねぇって・・・いや、そういう意味じゃねぇだろう・・・ずっと生きてられるなんてぇ、んな事できるわけ・・・」
自問自答しつつ、ちらりと表の様子を伺うと、
掃く音に鼻歌が混じってきました。

白猫「・・・・・」

今度は改めて机の上をじっと見つめます。

白猫「確かに、見事に綺麗なカンザシだ。・・・もし・・・これがそれだとして・・・いや、それじゃなくっても」

もう一度表を伺うと、
鼻歌、なおも続いております。

白猫「・・・太夫にはきっと似合う。」

<つづく>
9からの続き  <11月20日更新>


講談師「──それから二日後。無事に戻ってきた本物の簪を手本に見事な贋作を作り上げた職人の下へ、橘屋の主人が尋ねてまいりました。」

橘屋当主『ほう。これは見事な。』

職人『お、そうかい?そいつぁ良かった。』

橘屋当主『これならば、誰が見てもこの本物と同じもの、いや、それ以上だと思うかもしれない。いやはや、助かりました。』

職人『旦那、お上手だねぇ。だが、まだまだこの簪にゃ及ばねぇよ。』

橘屋当主『確かに美しい簪です。流石江戸一番と謳われたあの方の作品だ。』

職人『ああ。特にその飾りを外れるようにするってぇ細工はお師匠さんにしかできねぇ。悔しいけどな。』

講談師「そう言って、煙管の灰をポンと落とす職人。」

橘屋当主『さて、では私は早速これを持っていかねばなりません。本当に有難う御座いました。』

講談師「橘屋の主はそう言って深々とお辞儀をし、長屋を後にしました。──そして、その半時ほど後。」



職人『さぁて、次の仕事に取り掛かる前に、と。』

講談師「主を見送り大きく一つ伸びをした職人は、相変わらず土間で丸くなっている白猫に目を向けます。」

職人『おめぇ、そうやってると本当に普通の猫なんだがなぁ。』

白猫「ふん。余計なお世話でィ。」

職人『やっぱりその姿じゃ何言ってやがんだか分りゃしねぇよ。他にゃ誰も居ねぇ。なぁ、シロ。ちょいとまた話でもしようじゃねぇか。いいだろう?』

白猫「ったく、しょうがねぇなぁ・・・・。」

講談師「と、面倒臭そうにつぶやいた白猫は、なんと職人の前でヒトの姿に化けたのであります。」

職人「お。そうこなくっちゃ!」

白猫「てやんでぃ。独り言を一方的に聞くのに飽きただけでィ。」

講談師「と強がるこの白猫。実は二日前の夜明けにこの長屋に戻って来て本物の簪を職人の男に渡したのですが、男が労いの言葉をかけるや否や思わずヒトの姿に変わり、男に飛びつき泣きじゃくったのであります。大層驚いた男ですが、何故か白猫を振りほどこうとはせず、気付けば優しく頭をなでておりました。」

講談師「その後、枯れるほど涙を流し、ようやく落ち着いた白猫は男にぽつりぽつりと一部始終を語り、二人の間には親子とも兄弟ともとれるような繋がりができたのであります。」

職人「ふふうん。」

講談師「意味ありげな笑みを浮かべる職人。それをみて真っ赤になる白猫。」

白猫「くそッ!なんでィなんでィ!」

職人「まぁま。そういう時もあらぁな。俺ァな、嬉しいんだよ。シロ。おめぇとこうやって話が出来るってぇのがよ。」

講談師「そう言って優しく微笑む職人から照れくさそうに顔を背ける白猫。」

白猫「・・・・なんでィ・・・。ったく・・・。」

職人「ま、今はそれは置いといて、だ。シロ。頼んでおいた事ァ調べがついたのか?」

白猫「・・・ああ。さっきの橘屋が脅されてるってぇのは本当みてぇだ。」

職人「ほう。やっぱりそうか。俺ァ主があの鍵の贋作を頼みに来た時にぴんときたんだ。」

白猫「うん。クロと俺とで代わりばんこに橘屋を見張ってたんだがよぅ。亜心屋ってぇいかにも人相のよくねェ野郎が何度も来て、嫌味を言って帰っていきやがったんだ。」

職人「ふむ。嫌味ねぇ。」

白猫「なんでも、お前ンとこの常吉のせがれは自分にとって孫みたいなもんだと思って可愛がってやったのに、うちの金に手を出すなんざ、父親のしつけがなってないんじゃないんですかねぇ。みてぇなことを言ってやがった。」

職人「ふうん。恐らく常吉ってぇのは番頭の一人ってとこだろうな。で、他にゃ何か言って無かったか?」

白猫「そう急かすなィ。で、そいつが帰るとき丁度クロが交代にきやがったからよ、橘屋を任せて俺ァ後を付けたんだ。」

職人「ほうほう。」

白猫「どうもその常吉って野郎は亜心屋に奉公してた女と結ばれて子供をもうけたらしい。そのガキがたまに母親に連れられて亜心屋へ顔を見せにいってるみてぇでよ。」

職人「そん時にガキが金を盗んじまったってぇのか?まだ幼ぇんだろう?」

白猫「そこんとこがよく分らねぇんだ。俺もその後ちらりとそのガキを見たんだが、とてもじゃない、そんな事ができる年頃じゃねぇ。」

職人「ううん。金とは思わず光って綺麗だから持って行っちまったってぇところかもしれねぇなぁ。」

白猫「それでよ、ここからが本題なんだ。」

職人「おう。」

白猫「亜心屋の主がやっぱり悪党なのは、そんな子供のした事ををいかにも悪い事だとこじつけて、噂の簪を手に入れようとしてるってとこなんだ。」

職人「噂の?」

白猫「俺も騙されたあの巷の噂だよ。」

職人「ああ、おめぇがそれを信じてここから最初に簪を持っていった一件かぁ。」

白猫「くぅ・・・また墓穴を掘っちまった・・・。」

職人「ははは。あの事ァとっくに水に流してあるぜ。さ、続けろィ。」

白猫「お、おう。・・・で、その噂のモノが、どうやら橘屋の家宝の簪じゃねぇかと目をつけたらくてな。でも、確かにその家宝にまつわる話と噂が似通っている所もあるんだよなぁ。」

職人「ってぇと?」

白猫「噂の中の悲恋に苦しんだあげく簪になっちまった姫ってぇのが、橘屋の末娘の境遇と重なるみてぇでよ。この娘は実の兄をとても慕ってたそうだ。」

職人「ほう。」

白猫「旅芸人になり家を出た兄を追って、毎日江戸を徘徊してたって話もあった。・・・大層なべっぴんさんだったらしいぜ。おっさんも見かけたことがあるんじゃねぇのか?」

職人「よせやい。そんなにべっぴんならこの俺が見逃すわけ・・・。」

白猫「どうした?おっさん。」

職人「・・・待てよ、そりゃいつ頃の話だ?」

白猫「ううん。確か・・・五、六年前って言ってたかなぁ。」


職人「・・・まさか・・・・いや。そうだ・・・あの小町、気もそぞろで・・・・何かを探し歩いているようでもあった・・・。」

白猫「小町ィ?風鈴小町かぁ?」

職人「馬鹿言うなィ。風鈴は歩いたりしねぇだろうが。俺の独り言を覚えてねぇか?」

白猫「・・・・・あ!いつも土間の窓を開けてるのはってやつか?」

職人「おうよ。よく思い出したな。俺が見かけてたのも丁度五年前くれぇだ。・・・・もしかすると、大野小町ァ橘屋の・・・。」

白猫「ふうん・・・。」

職人「ああ、すまねぇ。俺の話ァ後回しだ。それで?」

白猫「ああ。亜心屋にゃ惚れた女が居るらしくてよ。どうしてもその女を振り向かせてぇってんで、その噂の簪が欲しくなった。」

職人「それで、でっち上げに近い難癖をつけて奪おうとしてやがんのか。」

白猫「そうみてぇだ。」

職人「でも、橘屋も何でそんな子供だましに乗っちまったんだろうなぁ。確かに誠実で人の良さそうな旦那じゃあるが。」


講談師「と、職人が思案し始めたところで、長屋の戸をカリカリと引っかく音と共ににゃぁごと猫の鳴き声が。」

白猫「お、クロかもしれねぇ。」

職人「おお。」

講談師「すぐに猫の姿に戻り土間の窓から飛び出る白猫。それを見送りふと職人は呟きました。」

職人『何度みても不思議な感じだが・・・。なんでだろうなぁ・・・。あいつァ世に言う化け猫なのかもしれねぇが、俺ァちっとも怖いなんざ思わねぇ。むしろ身内ができたみてぇで本当に嬉しいんだ。』



講談師「──長屋の前。」

黒猫「あ!兄貴!」

白猫「おう、クロ。何かつかんだのか?」

黒猫「うん!たった今さ、橘屋のさ、アルジってやつが戻ってきてさ、その前にチョウナンってやつが戻ってきててさ。二人で話してたんだ。」

白猫「ほう、長男が?で、なんて話してたんだ?」

黒猫「んっと、おいらが聞こえたぶんだけだけど、そのまま言うよ。『・・・シノは元気だ。そろそろここに付く頃だろう。それはそうと、うちの座長が亜心屋にでかい借金を作っちまってるってぇのは本当なのか。』で、アルジが、『兄さん。その件は全て私に任せておいてはもらえませんか?手筈は整い、もうすぐ終わります。』って。」

白猫「ふうむ。」

講談師「黒猫の話を聞き、どうも自分と職人のつけた見当とは違う事で主が動いていたように思えてきた白猫。」

黒猫「兄貴ィ?おいら、役に立ったかぁ?」

白猫「おうよ。クロ。でかしたぜ。ところで、おめぇ、まだ眠くはねぇか?」

黒猫「うん!もうちっとなら起きていられらァ。」

白猫「そいつァ頼もしいぜ。すまねぇがよ、クロ。もうちっとだけ橘屋を見張っててくれねぇか?すぐ交代しに行くからよ。」

黒猫「合点でィ、兄貴!じゃ!」

講談師「元気よく言い、黒猫は一目散に橘屋へと走っていきました。」

白猫「さて、と。」

講談師「今聞いた事を早速職人の耳に入れようと土間の窓へ飛び入ろうとしたその時、」

職人『あっ!』

講談師「と、言うや否や、職人が慌てた風に表に飛び出てきました。」

白猫「どどどど、どうしたんだ!おっさん!」

講談師「尋常ではない雰囲気を察した白猫は扉の前で唖然とする職人に驚いて声をかけました。」

職人『アンタは・・・。』

女『あのう・・・どうかなさいましたか?』

講談師「職人の目の前には、小奇麗な着物を着た上品な女が驚いたように職人を見つめ立って居りました。」

白猫「なんだなんだぁ?おい、おっさん、なんなんだよ!・・・・あ、この姿じゃ聞こえねぇか・・・。くそ。」

職人『・・・・あ・・・ああ、すまねぇ。あの、アンタ、もしかして・・・五年前にもここを通った事ァ・・・・いや、そんな事ァどうでもいい・・・。そうだ!ちょ、ちょっと待っててくれよ!』

女『はぁ・・・。』

講談師「慌てる職人と怪訝そうに答える女を見て、白猫も気付いた様子。」

白猫「なるほど!この女・・・さっき言ってた・・・・。おっさん・・・一大事じゃねぇか・・・こりゃぁ・・・。」

講談師「がさりごそりと辺りのものを掻き分け、職人は急いで布に包んだ物を持って表へ駆け出て、女の前にそれを差し出しました。」

女『・・・何ですの?これは・・・』

職人『あ!す、すまねぇ。えっと、五年前にアンタを見かけてからよ。次にここの前を通った時にゃ必ずこれを渡そうと心に決めてたんだ。突然のことで驚いてるのも無理はねぇが・・・。黙って受け取って貰いてぇんだ。これを。』

白猫(よし!その意気だぜおっさん!なかなかやるじゃねぇかよ!)

講談師「と、心の中で応援する白猫。」

女『・・・・でも、本当に私でしたの?・・・確かに五年前くらいに時折この辺りを徘徊してはおりましたが・・・。』

職人『何言ってやがる。この俺が惚れた女を見間違えるわけがねぇさ!・・・・・あ。』

白猫(言った。言いやがった。)

大野小町『・・・・そんな・・・・私は・・・その・・・。』

職人『・・・はは。すまねぇ。突然言われても困るだけだよな。まぁ、なんだ、その、アンタに似合うようには仕上げてあるんだぜ。』

講談師「気まずそうに言い、布を広げて簪を見せる男。」

大野小町『・・・・まぁ!素敵な簪・・・。本当に・・・可愛い・・・。』

講談師「と、目を細めて簪に見入る女。」

職人『本当かィ?ああ、良かった・・・。どうだろう。これを作ったのァ俺の一方的なことだったんだがよ・・・。ここで会ったのもなんかの縁だと思って貰っちゃくれねぇか?』

大野小町『でも・・・・ほ・・・本当にいいんですの?こんなに綺麗な、可憐な・・・。見たこともないわ・・・。こんな簪・・・。』

職人『ああ、勿論。さ、さ。』

講談師「と、女の手を取り、その手の平に簪を乗せる職人。」

大野小町『嬉しい・・・。でも、やっぱり・・・。』

職人『・・・ははん、あれだな。他に惚れてる奴がいるってんだろ?いいさ、それでも構やしねぇよ。これァアンタに作ったモンなんだ。そのアンタが誰を好きになろうと、アンタはアンタだからな。それによ、貰い主が居ないんじゃ、これァもう捨てちまうしかねぇんだ。』

大野小町『そんな!捨てるなんて勿体無い!こんなにいい簪なのに・・・。』

職人『じゃ、貰ってくれるかい?』

大野小町『・・・ええ・・・。有難う御座います・・・。本当に・・・。』

職人『おっと礼はその辺にしといてくれよ。てめぇが勝手に思い込んで作ったモンなんだ。何だかこっぱずかしいやな。』

大野小町『はい・・・。あ、そうだ・・・。』

講談師「そう言って、女は今つけている簪を外し、職人に貰った簪を綺麗に結い上げられた髪にそっとさしてみました。」

職人『お!やっぱり似合うじゃねぇか!いやぁ、俺ァその姿が拝めただけで満足だ。うん、よく似合ってるぜ。』

大野小町『本当?嬉しい・・・。早く鏡で見てみなくっちゃ・・・。』

職人『おうおう。是非ともそうしてくれよ。あ、すまなかったなぁ・・・足止めしちまってよ。急いでたんだろう?』

大野小町『足止めなんてとんでもない。私には嬉しばかりで・・・。あ、でもそろそろ行かなくては・・・。すみません・・・。』

職人『謝るこたぁねぇよ。さ、早く行ってくんな。』

大野小町『はい・・・。本当に本当に有難う御座います。・・・・では・・・。』

講談師「何度も何度もお辞儀をし、女は去って行きました。」


白猫(ふぅ・・・全く。ひやひやさせるじゃねぇか・・・。)

講談師「女を見届け先に長屋へと入った白猫は、近所に人が居なくなった事を気配で確認してまたぼわんとヒトに化けました。」

職人「・・・はぁぁ・・・・・。」

講談師「と、長い溜息とともに長屋へ入る男。」

白猫「へへん。」

職人「なんでぃ。ずっと見てやがったんだろう?」

白猫「ああ。やるじゃねぇか、おっさん。」

職人「ふん・・・。ま、兎にも角にもあれを渡せたんだ。俺ァこれで十分だぜ。」

白猫(何だかなぁ・・・)

講談師「自分の境遇と重なる気がした白猫は、その次に出てきそうになった言葉をぐっと飲み込み、先程聞いた黒猫からの話を持ち出しました。」



白猫「そうだ、おっさん。さっきクロのやつから聞いたんだけどよ。」

職人「おう、そうだったな。で、なんだって?」

講談師「かくかくしかじか、と聞いた事を伝える白猫。」

職人「・・・・ふうむ。やっぱりあの小町ァ橘屋の・・・。っと、それよりも、主ァ『手筈が整っている』って言ってたんだよな?」

白猫「ああ。確かにそう言ったぜ。」

職人「これでおおよその見当はついたぜ。橘屋は兄貴の一座を救う為に一肌脱ぐつもりだったんだろう。で、亜心屋は家宝と引き換えに帳消しにしてやるとでも言ったんだろうなぁ。」

白猫「なるほど・・・。」

職人「背に腹は代えられぬと承知した主は、何故亜心屋が簪を手に入れたがっているかをつきとめた。それならば、何も家宝を渡さずとも本物そっくりの『簪』を渡せば済むと踏んだ。橘屋がそうこうしているうちに早く簪を手に入れたくて待ちきれねぇ亜心屋は、遠まわしに難癖をつけて催促してやがった。とまぁ、こんな筋書きじゃねぇかと思うんだ。」

白猫「ふうむ。それなら全部納得がいくぜ。・・・すげぇなおっさん。」

職人「褒めるんじゃねぇやい。・・・昔っからの悪い癖ってやつでよ。自分の作ったモンが何に使われるかってぇのが分らねぇと、どうも収まりがつかなくてな。」

白猫「へぇぇ。・・・ま、そんだけ力を込めて作ってるってぇ事なんじゃねぇのか?」

職人「はは。うまいこと言いやがる。後は亜心屋がまんまと偽物で満足してくれる事を願うばかりだなぁ。」

白猫「おう。そいつァ俺がちゃぁんと見届けるぜ。・・・っと、そうだ!クロが待ってやがんだ。早速行って来らァ!」

職人「すまねぇな、シロ。気ィつけてな。今夜はおめぇにもちびクロにも、旨ぇ魚を用意しとくからよ。」

白猫「ありがてぇ!クロもきっと喜ぶに違ぇねえや!じゃ!」

講談師「と、勢いよく言いつつ猫の姿に戻り、白猫はまた土間の窓からひょいと外へと飛び出て行きました。」


講談師「──その後。白猫と黒猫が見届けた事の始終はこうでした。
橘屋の主からも申し出に始めはしぶっていた長兄でしたが、贋作を見せるとその出来栄えに大層感心した上、遅れてやってきた妹にもまた別の簪を見せられ、両方を作ったその人柄も聞き、本物と同等の品物であると判断し、亜心屋にそれを渡す事に承知したのでありました。」

講談師「その日の夕刻、渡された亜心屋も暫く見とれるほどこの簪にご満悦の様子で、すぐに座長の借金を帳消しにしたのでありました。それからいそいそとお目当ての女の下へと向かったそうですが、相手はあの紫陽花太夫の居る家の女主人。昔と違い今は亭主もいる身。角の立たぬようにやんわりとお断りしたそうです。」





講談師「──数日後。全てが丸く収まった橘屋、母屋の玄関先。」

橘屋当主「もう一度考え直してみてくれませんか、兄さん。」

長兄「すまねぇ。お前に全て世話ンなった上でまた我がままを言って心苦しいんだが、やはり俺が生きるのは商売じゃねぇ。芸の道しかねぇんだ。」

橘屋当主「・・・ええ。分っていてもどうしても言いたかったんです。それと、もう一つ・・・」

講談師「と、懐から家宝の簪を取り出し」

橘屋当主「これを兄さんに持って行って欲しいんです。」

長兄「冗談言うんじゃねぇや。跡を取ったのはお前だぞ。俺にゃそれを持つ資格なんざねぇ。」

橘屋当主「父さんの・・・為でもあるんです。」

長兄「親父の?どういうこった。」

橘屋当主「ここに彫られている三つの花。その中でも一番父さんが丁寧に作ってくれと当時江戸一番の職人に言ったのは・・・花菖蒲なんです。」

長兄「ふむ。」

橘屋当主「この三つの花はそれぞれ我等三人の兄妹を示していてね。橘は跡取りの私。紫陽花は言うまでも無く紫乃。そして花菖蒲が兄さん。しょうぶは『勝負』に繋がる。」

長兄「・・・・。」

橘屋当主「父さんは、影ながら応援していたんです。女形として誰にも負けぬ役者になるようにと。勝負にも繋がる菖蒲は『しょうぶ』とも『あやめ』とも読めるでしょう?それで女形を表している。ですから、花菖蒲は二つの意味を兼ね備えた花なんです。」

長兄「親父・・・。柄にも無ェ事しやがったんだなぁ。」

橘屋当主「死の間際まで、兄さんのことを案じていたんですよ。あの商売人の鑑のような人が・・・店の行く末よりもね。・・・だから、それに気付いた私は兄さんに父さんの心を渡したかった。」

長兄「分った。そりゃまた暗に俺に何時でも戻って来いとも言ってンだな?」

橘屋当主「敵わないなぁ。」

長兄「お前の気持ちと親父の気持ち。有難く受け取っておくさ。気持ちだけな。この道ァよ、生半可じゃ通用しねェんだ。」

橘屋当主「ふふ・・・。そう言うとも思っていました。さぁ、私にはもう引き止める手立ては無くなってしまった。・・・兄さん。くれぐれも身体には気をつけて。」

長兄「ああ。紫乃の事、宜しく頼んだぜ。お前も・・・元気で・・・。じゃあな。」

講談師「背を向け一つ大きく手を振って、長兄は橘屋を出て行きました。──さて、その兄を慕って付いて回っていた妹の紫乃はというと、時が経つ毎に、そしてあの簪を見る毎に職人の事が頭から離れなくなり、江戸に残ることを決めた様子。」

紫乃「ちい兄さん、ちい兄さん。ねぇ、おかしくないかしら?この着物でいいと思う?」

講談師「次男である橘屋の主をちい兄さんと呼び、職人の長屋へ行く為にあれやこれやと思案中。」

橘屋当主「紫乃。先ずいい加減ちい兄さんはやめないか?幼い頃の呼び名をいまだに口に出しているようじゃ、子供っぽいと嫌われるかもしれんぞ?」

紫乃「もう、意地悪。でも・・・気をつけます。じゃ、兄さんだけでよいかしら?それとも兄上?」

橘屋当主「あはは。後者はなんだかくすぐったいなぁ。と、そうそう、その着物はよく似合ってると思うよ。」

紫乃「本当?・・・・じゃあ、これで行ってくるわね。兄さん。」

橘屋当主「ああ。気をつけて行っておいで。それと、あの方にお前からもようくお礼を言っておいておくれ。」

紫乃「はい。行ってまいります。」






講談師「───時は経ち・・・。

講談師「あの庭で咲き誇っていた紫陽花太夫は、数ヵ月後、愛する蝸牛とともに命の終わりを迎え、土に還っていきました。



──そして、数年後の卯の月のある日。女主人の庭。」



花菖蒲「今年は花芽がつきそうですよ。」

三毛猫「やれやれ、やっとかい。」

白猫「姉御が婆さんになっちまう前に気遣ってくれたんじゃねぇのか?」

三毛猫「はぁて、誰の事を言ってるんだろうねぇ?」

白猫「おっかねぇおっかねぇ。」

講談師「ぺろりと舌をだす男盛りな年頃になり逞しくなった白猫、微笑む花菖蒲。そして、少し毛に白いものが混じってはいるものの相変わらずの三毛猫。この一同に囲まれているものは・・・太夫が病だと分ったあの時、一足遅れで何も出来ずに一部始終を聞き心を痛めたあの浪人鴉が、太夫の居なくなった後、こっそりと橘屋の親株から枝を取り、この屋敷の縁側へ置いたものを同じく心を痛めていた女主人が望みをかけて挿し木し、大事に大事に小さくな株になるまで育てたものでした。」

鴉「おや、皆さんお揃いで。」

花菖蒲「旦那、見てください。」

鴉「ほう。元気だねぇ。咲くかい?今年はよ。」

花菖蒲「ええ、きっと。」

白猫「鴉の。おめぇ子供ほったらかしてこんなとこ来ちまってていいのかィ?まぁたかみさんにつつかれるんじゃねぇのか?」

講談師「からかい半分に言ってはいるが、内心、太夫と蝸牛以外のかつての面々が揃った事に嬉しそうな白猫。」

鴉「けっ。つつくだけならいいぜ。ここんとこ毎日どこかしらで爪を磨いでやがる。」

三毛猫「はいはい、ご馳走様。喧嘩するほど仲がいいってね。」

鴉「くぅ。やっぱり姉御にゃかなわねぇ。それよりよぅ、楽しみだなァおい。」

白猫「おうよ。」

三毛猫「そう急かすもんじゃないよ。気後れして花芽をつけるのを躊躇っちまうかもしれないじゃないか。」

鴉「姉御が優しく微笑んでみるってぇのはどうだい?」

白猫「俺ァその続きは言わねぇぜ?」

花菖蒲「ふふふ・・・。」

三毛猫「おや・・・・?こいつァ・・・」

講談師「と言った三毛猫の視線の先で、小さな小さな蝸牛の赤ん坊が一生懸命子株の出てきたばかりの柔らかく小さな葉に登ろうとしておりました。」

白猫「姉御・・・ひょっとして・・・。」

鴉「ごくり・・・」

三毛猫「こら、ごうつく鴉。子供の餌になんて考えるんじゃないよ。全く。」

鴉「あ、すまねぇ・・・つい・・・。」

花菖蒲「この子。あの旦那の子孫かもしれませんね。」

講談師「皆がひょっとすると、と、思っていたことを真っ先に口に出す花菖蒲。」

三毛猫「て事だそうだよ。鴉の旦那。それでも餌にしようって気が起こるかい?」

鴉「よせやい、姉御。いくらなんでもそこまで無粋じゃねぇと自負してんだがなぁ。」

講談師「と、苦笑する浪人鴉。」

白猫「ようし、こいつらを守るのはこれで二匹、一輪、一羽ンなったわけだ。安心して育ってくれよ。」

三毛猫「ふふ。言うようになったねぇ。」

花菖蒲「本当に・・・楽しみですね。」

三毛猫、白猫、鴉「ああ。」

講談師「示し合わせるつもりもなく同時に答えた各々は、心の中に暖かいものを感じつつ、また花が咲く頃にこの庭でお祝いでもしようと誰からとも無くもちかけたのでありました。」




講談師「──さてさて、橘屋の末娘、紫乃を追って旅に出た風鈴と忍者蝙蝠。自分達とすれ違いで紫乃が江戸に戻ったと行った先で聞き、一月かけてまた橘屋へと戻っておりました。

講談師「風鈴は庭の片隅に落ちているふりをして紫乃に見つけてもらい、元の場所に戻りました。──再び紫乃に会えて毎日楽しそうな風鈴小町。一方忍者蝙蝠は、あの後、騒動になっていないことから、自分の読み通り羽衣の事は今の当主にも知らされていないと悟り、今も夜の闇が一層深くなった頃、時折風鈴に羽衣を渡し、江戸の空を一緒に飛んでおります。」

白猫「あ、また聞こえてきたぜ。やっぱりありゃあ小町じゃねぇのかなぁ。」

三毛猫「ふうん。あたしにゃ何だか唄のように聞こえるんだけどねぇ。」

講談師「ねぐらにしていた職人の長屋には、あの後、男と祝言をあげた紫乃が一緒に暮らし始めた為、邪魔しちゃ悪いと三毛猫のところへ転がり込んできた白猫。何も言わず、同じ納屋に招き入れた三毛猫。」

白猫「姉御、耄碌するにゃまだはええんじゃねぇのか?」

三毛猫「何とでもお言いな。ああ、でもいい唄だねぇ。」

白猫「俺も、もうちっと年をとりゃ聞こえるのかなァ・・・。」



講談師「この後江戸の空に、幾度と無く響くこの歌声は、いつしかそれを聞いた者から者へと歌い継がれていきました。」





『吾に映るは鮮やかな 蒼天常磐の飛鳥山
頬を撫でゆく薫る風 風神様の御使いね
紫陽花、菖蒲、橘の 香り散らして運び来る
夢かうつつか 風の文 銀の簪 鳥の声
黄金(こがね)の雲に届くよに 歌え歌えよ花の唄
ゆうらりちりり ゆらちりり
涼と名の付く音鳴らし
ゆうらりちりり ゆらちりり
風を紡ぎて歌に織る』
 (by 原案:Mash_334 編集:Ryuzou_Ishino/kohshun








──おしまい。






8からの続き  <11月20日更新>



白猫「ん?姉御。今なんか音がしなかったかい?」(by kohshun)

三毛猫「ああ。こんな夜中に、しかも風の無い時にしちゃ珍しい音だったねぇ。」

白猫「どうも聞いたことのある音色だったんだが・・・。」

三毛猫「ふうむ。」

講談師「と、蝸牛を待ちつつ女主人の家の納屋で話をしている三毛猫と白猫。今しがた聞こえた音色が本当に風鈴のものだとすれば、先程蔵を出る時に感じた違和感の見当がつかめそうで思案する三毛猫。」

白猫「それより姉御。太夫の病気ってぇのは本当にその薬で治るのかい?」

三毛猫「ま、書いてある通りなら治るだろうさ。ただ、この香り。どこかで嗅いだ事があるんだよねぇ。それがちょいとひっかかる。」

白猫「ううん・・・。俺ァわかんねぇな・・・。」

講談師「と、薬の入った巾着袋に鼻を近づけ言う白猫。」

三毛猫「試してみりゃいいが、花の病なんざ見た目にすぐ治ったかどうかと分るもんじゃないからねぇ。あの蝸牛の舌に任せるしかないだろうよ。」

白猫「ふうん・・・。でもよ、太夫が黙ってこれを飲むかどうかってぇのもあるんだろ?」

三毛猫「ああ。それもあいつに任せるしかないさ。惚れたヤツの言う事なら誰だって信じちまう。そうだろう?」

白猫「・・・うん。悔しいけどそうだ。」

講談師「太夫に想いを寄せるが故に、葛藤を抑えて動く猫二匹。──そして四半時(しはんとき)が過ぎ、ようやく納屋に辿り着いた蝸牛。」

三毛猫「やあ、いらっしゃい。夜が明ける前に着いて良かったよ。」

蝸牛「申し訳ない。少し気になる音色を聞いたもので、足をとめておりました。」

白猫「俺たちも聞いたぜ。ありゃ何の音だったんだァ?」

蝸牛「恐らく風鈴の音でしょうな。」

白猫「するってぇと・・・」

講談師「風鈴と聞いてあの娘しか思い浮かばない白猫は、好奇心も手伝ってあれやこれやと思いを巡らせかけました。」

三毛猫「さぁさ。そんなワケの分らない事を探ってる余裕はないはずだよ。」

白猫「そ、そうだな。・・・蝸牛の旦那よゥ。早いとこ太夫の病を治しちまってくれよ。」

蝸牛「果たして太夫がこれを飲んでくれるかどうか。」

三毛猫「いっそのこと本当の事を打ち明けるってぇのはどうだい?」

蝸牛「そうですね。それしかないでしょうな。」

白猫「・・・・。」

蝸牛「どうしました?白猫さん。」

白猫「・・・聞くんじゃねぇやィ。・・・だがよ、太夫と話をして飲ませるのはアンタの役目だぜ。」

蝸牛「ふむ。一度は離れながらも再び太夫の前に姿を現すのはこの機だと思っておりました。・・・では、早速参りましょう。」

講談師「三毛猫から袋を受け取り、二匹に目配せして納屋を出る蝸牛。」

蝸牛(太夫、貴女にお会いするのはこれが本当の最後です。)

講談師「心の中でそう呟き、ゆっくりと太夫の庭へと足を踏み入れました。」(by kohshun)



講談師「夜のしじまを崩さぬほど静かに、静かに・・・蝸牛は紫陽花に近づいていきました。空気がうごめくのを感じ、閉じていた目をうっすらと開ける紫陽花と、傍らの花菖蒲。」(by Mash_334)

花菖蒲「貴方は・・・・。」

紫陽花「・・・オヤお前かえ。朝にはまだ早い刻限と思うがねェ。」

蝸牛「太夫。お会いせぬと伝えていながらこうして再び参上し、申し訳ございません・・・。」

講談師「蝸牛、紫陽花に一礼すると更に歩み寄り、紫陽花の葉を見つめて」


蝸牛「間に合ったようですね。」

紫陽花「何の事だぇ?」

蝸牛「いえ。」

講談師「蝸牛は袖の中に手を入れ、あの巾着袋を取り出しました。」

蝸牛「貴女に贈り物があるのです、太夫。」


講談師「この期に及んで尚、病の事を太夫が知らぬままでいて欲しい気持ちが勝る蝸牛。素直に受け取ってくれぬものかと太夫を見つめます。」

紫陽花「贈り物?何だえ、また簪かえ。」

蝸牛「そのような品ではございません。だが貴女にどうしても必要なものなのです。」


紫陽花「わっちに必要なものかえ。」 

講談師「紫陽花、先達ての蝸牛の様子を思い出します。思いつめたように何度も自分に『貴女らしく』と言い含め、去った蝸牛。そして再び、あの時と同じ目をしたまま現れた。必要だという袋を手にして。」


紫陽花「その中身は何だえ。」 

蝸牛「・・・・・。」 

紫陽花「まァいいサ。お前が必要と言うンなら。」 

講談師「紫陽花が伸ばす白い手に、蝸牛は少し安堵して袋を差し出します。紫陽花、その口をあけ、」 

紫陽花「ああ・・・これは・・・。」


講談師「遠巻きにその様子を見ていた三毛猫と白猫、紫陽花の様子に身を乗り出して、その表情を確かめようとします。」 

白猫「太夫、今度は受け取ってくれたみてェだな。」 

三毛猫「そうだね。・・・お前サン、堪えどころだよ。」


白猫「・・・分かってらい。平気とまでは言わねぇけどよ、太夫の病が治るんなら俺ァいいよ。そういうアンタはどうなんだい、姉御。」

三毛猫「・・・・生意気言ってンじゃねェよ。」


講談師「三毛猫は苦笑いして白猫の頭を指で弾き、『アタシはとっくに乗り越えてンだよ。』と付け足しました。白猫、三毛猫の表情を横目で見て、」

白猫「・・・手本が傍にいるってのは妙な気持ちだな。ちょっと安心するけど、ちょっとくすぐってぇや。」 

三毛猫「何か言ったかい?」 

白猫「いいや。何でもねェよ。」


講談師「2匹の猫、再び紫陽花の方へと目を向けます。紫陽花は袋の中に手をいれ、そこから何かちいさなものを取り出したのでした。」

紫陽花「これは・・・・懐かしいねぇ・・・。ああそうだ、思い出したよ。あの可愛い娘は橘屋のお嬢さんだった。これはそのお嬢さんが、わっちみたいだと言って見せてくれたものだよ。」

蝸牛「貴女のようだと・・・?」 

紫陽花「そうさ。これは昔、橘屋のお嬢さんの病を治したものサ。ご覧よ。」


講談師「そう言って紫陽花は蝸牛によく見えるよう、目の前に数粒広げてみせました。雲の隙間から月の光りが届き、その粒をびいどろのようにきらきらと輝かせます。それは紫陽花の花のような形をしていて、紫陽花のように美しい色みを放つのでありました。」

蝸牛「これはその娘の病をも治すという、紫陽花の薬なのでは・・・。」 

紫陽花「どうだろうね。お嬢さんはこれを食べると元気になると言っていたけれど。・・・・なんだい、わっちは病なのかえ?」 

蝸牛「・・・・・・。」
(by Mash_334)

紫陽花「ふうん。そうかい、そういう事だったんだねぇ・・・。」

蝸牛「・・・太夫。黙っていた事をお詫びいたします。しかし・・・」

紫陽花「ああ、もういいさね。命あるモノはいつか土に還るんだ。それをお前は延ばしてくれようとしたんだろう?」

蝸牛「・・ええ、ですがこれが本当に薬なのかどうか不安に思えて参りました・・・。」

紫陽花「ヒトには効いても花にゃどうだろうって事かぇ・・・。」


講談師「何やら様子が変わってきた太夫と蝸牛の会話を聞きつつ思案していた三毛猫。ふと」


三毛猫「・・・思い出したよ。」

講談師「と、呟きました。」

白猫「何をだい?」

三毛猫「あの中身さ。太夫の病はあれじゃ治らない。」

白猫「な、なんだって・・・冗談じゃねェや!」


講談師「思わず大声を出した白猫の方に振り返る太夫、蝸牛、そして花菖蒲。」

紫陽花「おや。なんだぇ、おそろいで。」

講談師「見つかった気まずさはあれど、できれば話に入りたかった二匹はいそいそと太夫に近づいて行きました。」

三毛猫「すまないねぇ、太夫。ちょいと立ち聞きしちまったよ。」

紫陽花「ふふ。それなら話は早い。聞いての通りだよ。」

白猫「・・・太夫・・・すまねぇ。」

紫陽花「水臭い事をお言いでないよ。」

講談師「この二匹も自分の事を心配してくれていたんだろうと思った太夫は、今までに見せた事もないような優しい微笑みを浮かべました。」

白猫「・・・・太夫・・・俺・・・俺ァ」

紫陽花「どうしたぇ?」

三毛猫「待ちな。あたしが言おうじゃないか。」

紫陽花「改まってなんだい。」

三毛猫「太夫・・・あんたの話を聞いていてあたしも思い出したことがあるんだよ。」

紫陽花「うん?」

三毛猫「蝸牛、あんたもよく聞きな。この薬・・・いや、薬なんかじゃない。・・・これァ・・・金平糖ってぇモンだ。南蛮から来た珍しい菓子なんだよ。」

蝸牛「まさか・・・。」

三毛猫「・・・残念な話だけどねぇ。昔、太夫の親株がすっかり切り取られた時に、橘屋の娘が自分の病も治るんだからとその根元にこれを撒こうとしたんだ。だが、すんでのところで先代に止められてね。あたしゃその時娘の手からこぼれた一粒を見つけたんだよ。」

紫陽花「で、どうしたんだい?」

三毛猫「今までかいだ事もない香りがするもんだから、ひと舐めしてみたのさ。甘かったねぇ。とびきり甘かった。」

蝸牛「・・・確かに、甘い物は一時花を元気にさせる力はある。だが・・・・」

花菖蒲「・・・病を治す力は・・・恐らく・・・ない・・・。」

講談師「それまで黙って見守っていた花菖蒲から堪らず言葉がこぼれました。」

三毛猫「ああ・・・。」

白猫「・・・・・。」

蝸牛「・・・・・・。」

講談師「最後の賭けともいえる手立てが無くなり、落胆する一同。だが、その重い空気を一掃するが如く」

紫陽花「ああ、いやだいやだ。辛気臭い顔をするんじゃないよ。全く。」

講談師「と、紫陽花は笑みを浮かべつつ言い放ちました。」

三毛猫「太夫・・・。」

紫陽花「さっきも言ったとおり、いつかは土に還るんだ。みんなそうさ。それよりも・・・」

紫陽花「あたしの為に動いてくれた皆の気持ちが嬉しくてたまらないんだよ。」

講談師「太夫、太夫と呼ばれ続け、気を張って生きてきた紫陽花。自分の冷たいとも取れる振る舞いに、周りの気持ちが離れて行きはしないかと苦悩しつつも精一杯凛とした姿を見せようと花を咲かせてきた。その緊張感ともいえるものが今、ふと途切れた様子であります。」

紫陽花「ありがとう。本当に。」


白猫「・・・・太夫。」

蝸牛「・・・。」

花菖蒲「・・・・。」

三毛猫「・・・・・礼なんざ・・・。あたしらの方が言わなきゃならないさね・・・。」

紫陽花「そうかぇ?ふふ・・・。嬉しいねぇ。」

三毛猫「しかし・・・やっぱりあんたは強いねぇ。太夫。ますます惚れ直しちまったよ。」

紫陽花「おやまぁ。酒ならいつでも付き合うよ。」


白猫「・・・くそッ・・・!」

講談師「どうしてよいのかも分らず葛藤し、堪えられなくなった白猫は、その場から思い切って走り去りました。」

三毛猫「・・・坊やには少し酷だったか・・・・。」

紫陽花「そうだねぇ・・・。もう少し大きくなれば、分るかもしれないねぇ。」

蝸牛「・・・申し訳ないことをしました。」

三毛猫「あんたが気に病むことァないさ。元はと言えばあたしが引き込んだんだ。あとでようく言い聞かせておくよ。」

蝸牛「かたじけない・・・。」



紫陽花「さぁさ、辛気臭い話はもうご免だよ。もう夜が明ける頃さね。一晩中動き回ったんだろう?そろそろねぐらにお帰りなさいな。」

三毛猫「ああ。そうさせてもらうよ。お休み、太夫、花菖蒲。蝸牛の旦那も。」

花菖蒲「・・・お休みなさい。」

蝸牛「・・・私は・・・。」

紫陽花「どうしたえ?」

蝸牛「申し訳ありません。太夫。私は・・・最期まで貴方のお傍にいる決心をつけました。」

紫陽花「・・・そう・・・。ふふ、嬉しいねぇ。」

三毛猫「おや、素直だこと。」

紫陽花「もう、からかうのはおやめよ三毛。蝸牛、お前の好きにするといいさ。ただ、お前の好きな味ではなくなってしまっているかもしれないけどねぇ。」

蝸牛「それほどでもありません。実は、暫くその味で慣れていたもので、他のものを受け付けなくなって居るのです。」

三毛猫「あぁあ。見せつけてくれるねぇ、全くさァ。さて、あたしゃさっさと寝るよ。じゃあね。」

講談師「そう言い残し、そそくさと納屋へ戻る三毛猫。」

花菖蒲「・・・・ふふ。」

紫陽花「なんだぇ、花菖蒲。お前まで皮肉を言おうってぇのかぇ?」

花菖蒲「・・・はい。お邪魔にならぬよう気をつけます。」

紫陽花「ふふ。お前はいつもそうやってあたしを気遣い支えてくれたんだねぇ。・・・感謝しているよ。」

花菖蒲「・・・・やめてください太夫・・・。改まるのはまだ早いですよ。」

紫陽花「ああ、そうだ。そうだねぇ。・・・・さて、あたしらももう一眠りしておこう。」

蝸牛「そうですね。」

花菖蒲「・・・はい。」


講談師「また厚い雲に覆われ始めた空の下。それぞれがそれぞれの思いを胸にひと時の眠りについたのでありました。」



10へ続く