「自治労の正体(扶桑社新書:森口朗著)」を読むと、公務員労組が如何に日本を蝕んでいるかがよく分かります。80万の公務員が加入する労働組合が、首長を抱き込んで自治体を支配し、ヤミ手当、幹部の天下りや政治活動がはびこっているといいます。

首長選挙の際に、自治労等の公務員労組が活動し、選挙結果に大きく寄与していることは有名です。市役所職員が現職市長を当選させるため、勤務時間中に選挙活動を行ったり、幹部職員が一般職員に対して現職市長に対する投票を呼び掛けたりすることが平然と行われています。

沖縄の名護市長選挙でも市役所幹部が一般職員に対して現職市長への投票を呼び掛けていた事実がネット上を駆け巡っていました。また、橋下徹前大阪市長が大阪府知事を辞職し、大阪市長選挙に出馬した際、大阪市役所は組織を挙げて、橋下市の当選を阻止しようとしたといいます。

平松市政下での副市長の一人が事実上の選挙対策本部長となり、役所に指示が出て、組織が一気に動いたといいます。区長は区長会議に集められて選挙情勢の報告会と作戦会議。区役所と地振・業界団体が一丸となって票を集める。市役所は、平松氏の応援に繋がるパンフレットを作成して配布する。

現職市長の平松氏と役所幹部がぞろぞろと揃って各区回り。地域住民との市政タウンミーティングと称して、市民からの要望聞き。会場費用から、スタッフとなる役所職員の人件費は全て税金。・・・以上のことは橋下前大阪市長が「連載僕は大阪の絶対権力・公務員労組とこう戦った」で述べていることです。

公務員労組の支援を受けて当選した首長が自治労に対して甘くなるのは当然です。ヤミ手当やヤミ専従等の優遇が野放しになるだけでなく、公務員労組による異常な政治活動が平然と行われてしまうのです。

全日本自治団体労働組合(自治労)、日本教職員組合(日教組)が立憲民主党や共産党等の野党の選挙運動を担っていることは公然の事実です。

自治労や日教組等の労働組合は安保法制反対デモに代表される大規模デモを主催するなど、度を越えた政治活動は目に余るものがあります。労働組合とは立場の弱い労働者が団結して権利を守っていくための組織であり、政治活動を主目的にすることなど認められていません。

市町村職員や公立学校の教職は地方公務員ですが、彼らは国家公務員のように政治活動を行っても罰則が適用されません。だからこそ、罰則規定がないことに好き勝手な政治活動を行っているのです。罰則規定を導入し、刑事罰の対象として取り締まるべきです。

また、労働組合には莫大な組合費が集まり、資金の流れがブラックホールとなっていることをいいことに、組合費の一部が政治資金として立憲民主党や共産党などの反日政党に流れています。

組合の規模にもよりますが、何千万、何億という組合費が集まるにもかかわらず、使途がはっきりせず、お金の流れが不透明なのが、労働貴族という豪遊する組合幹部生まれるのです。2016年に発覚した日教組の岡本元委員長の豪遊問題は象徴的な例です。

労働組合に対して、監査法人等の外部監査を法的に義務付け、詳細な収支報告書を公表することが必要です。そして、過度な経費の支出はきちんと課税されるよう税制改正を行うべきです。

自治労や日教組等の公務員労組を肥大化させ、異常な政治活動がここまで野放しにされるのは、自民党等の保守政権が公務員労組に対して及び腰で、本気で対処してこなかったからです。

公務員の労働組合費の給与天引きや自治労の事務所が自治体庁舎にあり、しかも無償で使用されている問題にすら、ほとんどメスが入っていません。

これらは大阪で大阪維新の会が改革を実行しています。労働組合費の給与天引きの禁止、自治労事務所が自治体庁舎を使用する場合は有償又は自治体庁舎からの退去は、まず最低限やるべきことです。

「自治労の正体(扶桑社新書:森口朗著)」を読むと、労働組合によって日本が蝕まれる現実を知って暗い気分になりますが、子供たちの世代のためにも、労働組合にメスを入れる必要性を痛感しました。このままでは日本がダメになります。
恐竜化石の一大産地である福井県勝山市にある恐竜博物館に家族で行ってきました。

☆福井県立恐竜博物館

思った以上に巨大な施設で、入口から入ると正面に大きなエスカレーターがあり、3F分降り、ゆっくりと元の場所に戻っていく構造になっています。

よくこれだけの標本を集めたなあと感心するような多さの展示物でした。

息子が行きたがっていた念願の博物館だったので、子供たちは大喜び。

しかし、動く大きな恐竜を見た時、子供の態度が一変。下の子どもは大喜び。上の子どもは大泣き。

結局と上の子どもとパパはエレベーターで避けることになってしまいました。ゆっくり見たかったのに・・・。

恐竜博物館の周りは大きな公園になっていて、そこでも遊ぶことができました。
かんぽ生命保険の不適切販売問題をめぐる行政処分の情報を日本郵政側に漏らしていたとして、高市総務相は鈴木総務事務次官を停職3カ月の懲戒処分としました。鈴木氏は漏洩の事実を認めて辞職しました。

情報を受け取っていたのは日本郵政の鈴木康雄上級副社長です。鈴木副社長も鈴木氏と同じく旧郵政省出身の元総務事務次官であり、2人は先輩、後輩の関係でした。

このニュースを知った時は正直言って驚きました。こんな露骨な情報漏えいもさることな
がら、日本郵政に元事務次官という大物が天下っていたとは。民間企業になったはずなのに、こんな露骨な天下り利権があるとは・・。

しかも、鈴木副社長はかんぽの不適切販売問題を報じたNHK番組への抗議を主導してNHK側を謝罪に追い込んでいます。総務省の天下りOBが日本郵政でこんなに幅を利かせて、相手側を恫喝していたことには更に驚きました。

今時こんなに露骨な癒着構造も珍しいと思います。鈴木前総務次官が鈴木副社長に簡単に情報漏えいしたのも、今後の自身の天下りのことを考えてのことだったのでしょう。先輩
OBに逆らったら、自分がおいしい天下り先を失うリスクがあるからです。

総務省と日本郵政の間には強固な天下り利権が存在するのです。高市大臣は天下りの悪弊を問題視していますが、ぜひ徹底的にメスを入れて頂きたいと思います。

霞が関官僚が天下り利権の死守に執念を燃やすのは、霞が関は省益を維持拡大する官僚のみが最高位である事務次官に出世できる社会で、その後の裕福な天下り生活も保障されるからです。

その天下りも、70歳くらいまで「渡り」を繰り返し、その度に数千万円の退職金を手にし、億単位の生活保障があります。官僚は職業ではなく、身分なのです。天下りポストを創設し維持していくことは、官僚という身分を守っていくために不可欠なのです。天下り利権こそが省益の根幹なのです。

官僚は、いったん入省すると退職するまで所属省庁はかわりません。官僚の人事権も所属省庁の事務次官が事実上、握っています。つまり、各省庁のゼッケンを付けている形となり、国家公務員と言うより、○○省庁株式会社の社員という状態なのです。

サラリーマンが自分の属する組織のために働くことは当たり前のことであり、省益の維持拡大が自分の出世に直結します。仮に、天下り先を潰す改革を実施しようものなら、省益を毀損することになるので退職まで窓際族となり、干されてしまいます。

だからこそ、国益と省益が相反する事態となっても、官僚は省益の維持拡大に邁進するのです。こうした硬直化した官僚システムをぶち壊さない限り、こうした不正行為は絶対になくならないのです。

第二次安倍政権成立後、内閣人事局が設置され、幹部官僚の人事を内閣に一元化し、省庁間の交流人事が行われるようになりました。これによって、各省庁の人事慣習(事務次官を頂点とする年功序列的人事ピラミット)にヒビが入りはじめています。

公務員制度改革が大きく前進したわけですが、強固な天下り構造を叩き潰すためには、更なる改革に邁進する必要があります。その肝となるのが、強固な身分保障の撤廃とキャリア制度の廃止です。

霞ヶ関の中央省庁では、ポストと給与は入省年次で決まり、年数が経てば一定の割合で給与が上昇していくわけですが、この時代遅れの悪しき年功序列制度と強固な身分保障制度が人材の新陳代謝が全く進まず澱んだ組織の元凶となっています。

特に、内閣人事局の対象となる幹部公務員が強固な身分保障で守られたままであるため、自由な抜擢・降格が制限され、若手の抜擢や民間からの登用ができないのです。

この幹部公務員は民間企業でいえば、取締役クラスです。取締役クラスが身分保障されていたら、企業統治の基本である信賞必罰の人事登用ができず、会社組織の活力がなくなってしまいます。こんな会社は間違いなく倒産するでしょう。

幹部公務員を政治任用の特別職として身分保障をはずせば、民間企業の取締役と同様に実力主義によって選抜されることになり、組織全体が活性化します。

そして、キャリア制度の廃止です。現状では、ノンキャリア組だと、いくら優秀で意欲的であっても、キャリア組のように遇されることはなく、最高峰の事務次官になることはありません。

キャリア制度を廃止して、国家公務員として採用された者すべてが事務次官になれる可能性がある人事システムに刷新し、人材の新陳代謝を図るべきです。

キャリア組ばかりが幹部職を独占する状況では組織の新陳代謝が進まず、活力がなくなってしまいます。政策を担う行政組織がこのような状況では、日本国全体の活力が失われるのは自明の理です。

福田内閣時に成立した公務員制度改革基本法では強固な身分保障の撤廃とキャリア制度の廃止が盛り込まれていますが、実施法では完全に抜け落ちています。今こそ実現すべきです。そうすれば、総務省と日本郵政のような癒着は二度と起こらなくなるでしょう。
最近停滞感が出てきましたが、アベノミクスにより徐々に景気が回復し、バブル崩壊後の
失われた30年と呼ばれている中で少し明るくなっています。有効求人倍率が1.59というのは、一昔前の1を下回っているのが当たり前の時代からは考えられない状況です。

だからこそ、景気の腰折れとなる消費増税を強行した財務省には腹立たしい限りです。
消費税が上がれば、その分懐が寂しくなる(そんなレベルではないでしょうが・・)ので、消費が冷え込むに決まっています。

GDPの約6割は消費が占めているので、消費が落ちればGDPに与える影響が大きすぎ、間違いなく景気落ち込みに繋がることは誰にも分かると思います。そんなことも分からない財務省はクソだと思うのですが・・・。

ですが、ここ30年日本を覆っている閉塞感が打破されたとはとても思えません。スピードは緩やかになりましたが、日本は徐々に凋落への路を歩んでいる気がします。進んでいるように思われた岩盤規制改革も停滞しているようです。

岩盤規制が打破されれば、投資・消費活動が活性化し、経済は活性化します。ですが、日本を長らく覆っている閉塞感を吹き払い、活力ある日本をつくりだしていくには霞が関が日本を支配する構造を壊さなければいけません。

首都東京には政治・行政の中枢機能が集まり、財源と権限を握って地方をコントロールしています。そこに、経済の一極集中が加わり、ビジネスや雇用も東京に集中し、東京が日本全国を支配する構図となっています。

更に、テレビ局のキー局も東京にあるため、地方の系列局と通じて東京の情報を全国に流し、東京スタンダードを加速させています。新聞も同様です。

人・物・カネだけでなく、情報そして大学教育まで東京一極集中となっており、東京が日本を支配する構図が岩盤のように強固となっているのです。まるで、東京だけが日本だと言わんばかりの状況で、これが日本を覆っている閉塞感の元凶となっています。

そこで議論されているのが道州制です。道州制とは、現在の都道府県を廃止し、全国を10前後の道州に再編。外交・防衛やマクロ経済政策などを除き、現在国政が抱えている権限と財源を道州に移管するという大改革です。

私は道州制には基本的に賛成です。国・都道府県・市町村ごとに業務がダブっている二重行政やそれぞれの行政単位ごとに業務が区切られ連携が乏しい縦割り構造を打破し、役割分担を再構築する大改革であるからです。

道州制のポイントは国の出先機関と都道府県を統合して道州政府に一体化させ、ここに国の権限や財源を大胆に移管することです。

そして、都道府県と市町村の役割も見直して大胆に権限移譲し、住民に最も近い市町村機能を強化します。権限・財源・職員をセットにして大胆に異動させ、行政機能を再編拡充させるのです。

現在の47都道府県の形ができたのは明治時代です。その頃は鉄道網が整備されておらず、まして自動車など走っていない時代です。新幹線や飛行機そして車で広範囲に短時間で移動できる現代と違って、当時は移動できる範囲が限られています。

移動範囲が狭い明治時代の行政範囲と現代の行政範囲が同じでいいはずがないのです。
現在の都道府県は広域行政を担うには余りにも狭く、財政基盤も極めて脆弱です。にもかかわらず、あらゆる行政を担っているので、組織が疲弊しています。

こうした課題を解決するのが道州制でもあるのです。都道府県を再編し、国から権限と財源そして人員を移管し、広域行政を担う組織として刷新・強化するのです。

道州制・地方分権は国のかたちを変革する革命なので、大変な抵抗を受けるのは確実です。霞が関や労働組合、野党は反対するでしょうし、都道府県や市町村も反対が多いでしょうし、地方議員も反対でしょう。反対運動にマスコミも同調したら大変です。

道州制・地方分権は反対の大合唱によって相当難航しますが、突破口として期待されるのが2020年秋に行われると言われている大阪都構想の住民投票です。

大阪都構想とは、大阪府と大阪市を統合することです。政令指定都市の大阪市を廃止して、大阪市域に中核市並みの権限と財源をもったいくつかの特別区を設置する。

そして、旧市の行政機能・財源のうち、広域行政に関わる部分を「大阪都」に、地域行政に関わる部分を「特別区」に、それぞれ移譲・統合します。

特別区の区長は公選制で選出されます。つまり、大阪市長が任命した区長が大阪市役所の人事異動で2年ごとにかわるのではなく、住民が選挙で選ぶのです。

この特別区は住民に身近な政策・事務を行う基礎自治体という位置づけです。中核市並みになるということは、現在、大阪市役所が握っている権限と財源のかなりの部分が区に移譲されるということです。

大阪都構想は不幸せ(府市あわせ)と言われる二重行政の打破を目的としており、道州制・地方分権の大阪版とも言えます。

住民投票で賛成多数となって、大阪都構想が実現すれば、大阪版の道州制と地方分権が成功したことになり、このインパクトは必ずや全国に波及します。大阪都構想は道州制・地方分権という日本の統治機構を抜本再編する大改革の導火線に火をつけるのです。

だからこそ、既存の政党は必死になって抵抗するのです。そうでなければ国会であれだけ批判(罵倒?)し合っている自民党と国民・立憲民主党、社民・共産党が手を組んで大阪都構想を潰そうとするわけがありません。

日本の統治機構改革のキッカケとなり、日本を覆っている閉塞感を吹き払うことに繋がる大阪都構想の行方を注視していきたいと思います。
日本の予算(国・地方含む)は単年度主義となっています。その年度の予算は原則として年度内で執行する必要があるということですが、この予算単年度主義が行政組織の様々な無駄の根源となっています。

その最たるものが繰越作業です。道路や港を整備する公共工事や公共施設の建設やシステム構築など・・こうした事業が1年で完了することはありません。こうした事業に必要となる総予算はその年度に必要となる分だけ、財務省に要求するわけですが、それでもその予算を年度内にすべて執行できるかは分かりません。

用地買収の難航・気象条件の悪化・資材不足そして設計の遅れや見直し等の様々な要因で予算をすべて執行できない場合もあります。入札金額が折り合えない、入札参加者がいない等のいわゆる入札不調が原因で予算自体が執行できない場合もあります。入札不調が何度も続く場合もあります。

入札不調が頻発する背景には建設業界の人手不足があります。そもそも、発注者である行政機関側の人員不足も深刻で、予算があっても、設計・積算・入札に十分な人員が配置できないために発注が進まない現実もあります。

年度内に予算が執行できない事態になると、翌年度に執行できるようにするため、財務省に対して繰越申請を行うわけですが、これが本当に無駄な作業なのです。

工事1件ごとに繰越作業を行うのですが、それぞれ理由を考えて申請する必要があるのです。それぞれの事情はどうでもよく、理屈がとおる理由を捻り出し、整理する必要があります。要は理屈さえ通れば、嘘でもなんでもいいのです。この作業は工事1件ごとに必要なのです。

その工事は1年で完了するにしても、事業全体が1年で終わるわけがありません。そうであれば、事業全体に必要な予算を複数年分認めて、その範囲で執行できるようにすればいいのです。複数年予算を認めれば、単年度ごとの繰越作業が不要となり、事業執行に集中できるようになります。

事業全体の予算が増額となった場合や更に事業期間を延伸する必要が生じた場合のみ、財務省に対して申請する形にすればいいのです。少なくとも単年度ごとに繰越申請を行うなど無駄の極みです。

更にふざけているのが、補正予算の繰越作業です。補正予算が成立するのは早くて1月(稀に11、12月という場合もあり)となりますが、そこから3月末までのたった2~3カ月程度で予算を執行するなど100%不可能です。

公共事業の場合、入札公告の期間は最低2カ月は必要なので、3月中に契約締結を行うのが精いっぱいなのです。予算が大規模だと年度内に契約すること自体が難しいため、未契約で繰越をすることになります。

補正予算は当該年度の予算なので、この予算を次年度に執行するためには財務省への繰越申請が必要となります。契約した状態で繰り越すのを契約繰越(翌債繰越)、未契約状態で繰り越すのを未契約繰越(明許繰越)といいます。

補正予算についても、工事1件(明許繰越の場合、予算施設1件)ごとに繰越申請を行う必要あり、理屈のとおった理由も必要です。当然、補正予算を執行するためとは書けないので、適した理由をひねり出すことになるのです。

年度途中についた補正予算を年度内に執行するなど絶対に不可能です。そうであれば、補正予算が成立した際に次年度予算に繰り入れ、次年度予算として執行できるようにすべきです。そうすれば、補正予算の繰越申請のようば馬鹿げた作業が不要となります。

これは再繰越(事故繰越)という更に無駄な作業を失くすことにも繋がります。補正予算が大規模になるほど、未契約繰越(明許繰越)になる傾向があります。入札公告の期間が長くなりますし、計画・設計・積算に時間がかかるからです。

未契約繰越(明許繰越)で次年度に執行する場合、事業着手がその分遅れるため、気象条件の悪化や入札不調等の不測の事態がおきると、その年度での事業完了が難しくなり、再繰越(事故繰越)の必要が生じます。

繰越した予算を更に次年度に繰越することは原則として認められていませんが、例外として事故繰越が認められています。もちろん、例外ですので、認められるハードルが高く、膨大な資料が要求されます。こうなると担当者は膨大な時間をとられます。

通常予算で工事現場での事故や大型台風の影響で、工事が大幅に遅延したために再繰越をするのなら仕方がないのでしょうが、補正予算を明許繰越するしかなく、アクシデントで繰越をする必要が生じ、それが事故繰越となり、膨大な作業が発生するというのは何かおかしいような気がします。

補正予算というのは本予算にプラスされるものなので、予算確保に血眼になる行政組織にとっては本来歓迎されるものです。本予算では認められない事業ができるわけですから。しかし、国・地方公共団体問わず補正予算は迷惑なものでしかありません。

それは補正予算によって繰越手続という無駄な作業が発生するからです。予算の規模が大きいほど無駄な作業が発生するわけですから当然です。補正予算を円滑に執行して事業効果を高めるには、補正予算が成立した際に次年度予算に繰り入れ、次年度予算として執行できるようにすることが不可欠なのです。景気対策であれば猶更です。

更に無駄なのが、財務省による繰越予算の事後検証という作業です。これは繰越予算がどう執行されているのかを財務省がヒアリング、場合によっては現場踏査を行うもので、理由に則した使われ方がされているか、予算執行が申請範囲内であるかを審査するものです。

未契約繰越(明許繰越)の場合、予算をまとめて繰越申請を行うわけですが、次年度にいくつかに分けて発注すると、一本にまとめて発注しない理由を追及するわけです。だいたい、繰越理由自体が屁理屈で実情に沿ったものではないのですから、本当に馬鹿げています。

公共投資の本来の目的がきちんと達成されていれば、予算の執行のやり方としては問題ないのですから、繰越予算だからといって、細かく審査する必要などないのです。財務省による繰越予算の事後検証という作業は意味のない、究極の無駄というしかありません。

予算の繰越作業は無駄以外の何物でもなく、仕事のために仕事をつくりだしている公務員の悪弊を象徴しています。こんなものは即刻改善すべきであり、それをしないのであれば財務官僚などいりません。

膨大な繰越作業を発生されているもう一つの背景が、予算の最大化という官僚組織の行動パターンです。予算をどれだけ獲得するかが省益を左右し、組織規模に影響します。当然、予算が削減されれば、人員削減に直結し、組織の縮小につながります。

これは公務員(官僚)にとっては最も避けるべき事態です。予算をどれだけ確保するかが、役人の退職後の処遇を含めた出世に大きく影響するのです。公務員(官僚)は予算を獲得するために全精力を注ぎ、血眼になるわけです。とにかく獲得する予算を大きくしようとするため、予算が水膨れします。そこには、国益という視点はありません。

そして、今度は獲得した予算を使い切るために四苦八苦するわけです。必要以上に予算が膨れ上がっているわけですから大変な苦労となります。予算を余らせると必要がないと判断され、次年度の予算が削減されてしまいます。だから官僚は年度内に何としても予算を使い切ろうとするのです。

水膨れした予算を使い切るために、理由をあれこれ考えて繰越申請を行っている一面もあります。莫大な予算を確保するために、必要以上に補正予算を申請して、結果として繰越申請で四苦八苦している面もあります。

予算、繰越申請は官僚組織の悪弊を象徴したものであり、病魔が山ほど潜んでいます。ここにメスをいれない限り、官僚組織の刷新は不可能であり、閉塞感を打破するのは無理なのです。