若い頃 (23歳の時)The Barrettというバンドでメジャーデビュー(3枚目に加入)
CDは3枚(テイチクレコードより)出すもあえなく解散。
その後どうしようかと思案した。
元々ジャズをやっており、本場のジャズを体験したいと思い、3ヶ月間 NYに住みライブやジャムセッションに参加させて貰う。
その時の刺激が忘れられず、お金を貯めて今度は1年間NYに移り住む(学生ビザを取得)それが僕が27歳の時。
毎日いろいろな場所でジャムセッションに参加。
NYの音を肌で感じる。音楽の楽しさ、嬉しさを体感。本当に来てよかったと思う。
しかし貯めていったお金が底をつきバイトをブルックリンで始める。
そこは中国人か経営する日本食のお弁当屋(変な店!)
朝の5時に店につきお弁当の具材の盛り付け。(クセのある店主でケンカもよくやってた。片言の英語でのバトル。大概が給料の事だったけど)
それが終わるとバイト達が大きな紙袋にお弁当箱を詰めてマンハッタンの契約している日本の会社に売りに行く。
両手に大きな紙袋。片手で15ぐらい。
重いお弁当を持って売りに行く。
マンハッタンでお弁当箱を持って売り捌いていたのなんか僕ぐらいだろうな笑
しかも従業員 日本人は僕だけ、メキシコ人・バングラディシュ人やインド人の女性もいたな。
バイトは一生懸命やってたかな。
ある日メキシコ人の男性と話す機会があって言われた言葉。
メ 俺は日本人が嫌い
僕 なんで?
メ ずるいから(何があったかは聞いてない)
僕 そうなんだ。(じゃあ俺の事も嫌いなんだろう
なと思った。)
メ でもお前は日本人だけど好きだよ。
仕事をしている時の僕のことを認めてくれたみたい。
この時思った。心素直に色々な事をしたり接していれば、その人自体は認めてくれる人がいるんだなと。
30年近く経ってるけど今でもおぼえてるメキシコ人が言ったことば。
I don't like Japanese.But I like you.
バングラディシュ人のアニスは医者になりたいという夢があった。なったかな?
そんなこんなで色々あったNY生活。
帰る間際にはあるバーでセッションホストまでやらせてもらって充実した一年だった。
帰国後、天才ピアニスト 菅野邦彦氏との出会い。あるジャズクラブで菅野さんと出会い、一緒に演奏させてもらう機会を得る。菅野さんから繰り出される音は優雅な気持ちにしてくれて、ご機嫌なリズムを叩き出し、一緒に演奏させてもらうこちらをなんともワンランクもツーランクも上の境地まで持っていってくれるのだ。
しかし、菅野さんは非常に音にシビアな方で少しでも必要のない音や手癖で出された音を許さないのだ。
そんな時どうなるかと言えば、お客さんがいようがいまいがその場で怒られるのだ。お客さんの前でガチ説教 情けないやら恥ずかしいやらで何度も押しかけを止めようかと思ったものだ。
しかし、菅野さんに魅せられた者としてここで引くわけにはいかず決死の覚悟で毎回参加させてもらっていた。
すると最初は押しかけでやらせてもらっていたが、いつしか次のスケジュールを教えてもらってレギュラードラマーとして認めてくれたのだ。
菅野さんとご一緒したおよそ5年間素晴らしい体験をさせていただいた。
その後僧侶となり、今はお寺の住職。
僧侶?という事になるがそれも縁。
厳しい世界に身を置くことになる。
ぐうたらな生活をしていた身としては毎日が厳しい‼︎
厳しさに顔面麻痺になってしまった事も。修行中1ヶ月入院。
僧侶として17年以上経った今やっとジャズドラマーとしても再活動。
これからも何が起こるがわからないけど音楽は続けて行きたいなぁ。
音楽も真剣に向き合っていきます。