”なるべく” | Sky High

Sky High

since '06,09

GDOブログ終了の為、2010年11月にamebaへ引っ越して来ました。
ゴルフ、ラーメン、子供との生活等を中心に記していきたいと思います。

「その日」の前日は仕事を終えて、いつも通り病院へ。


いつも通り面会時間を終えるまで、他愛のない会話をしながら父のそばで過ごしていた。


いつも通り時間が来たので「じゃ、また明日ね」と。












夜遅くに病院から容体が急変しているという連絡があって、母と妹と3人で病院へ向かって、父の様子を交代で見守りながら一進一退な一晩を過ごしました。




「・・・じゃぁ、オレ行くわ」

「うん、とりあえず着いた時間を見計らって(職場に)電話するからね。取り次いでもらえたらすぐに戻ってきて」






当時、職場が変わったばかりで「コレコレこういう事情なので突然ですが今日は休みたいです」と言えなかった自分は、言葉は悪いが「虫の息」だった父を母と妹に任せて、後ろ髪をひかれる思いで病院から仕事場へ向かいました。








「父か危篤なので」という電話を職場にしてもらって、出社するや否や病院に戻るつもりだったのですが、いつも通りに進む時間・・・













「早く電話してくれよ・・・何してんだよ・・・」












後で聞いたことですが、家族が職場にした電話は職場のスタッフには奇妙なものに伝わったらしく、自分に取り次ぐ事は出来なかったようです。

いつも通りに仕事をしていたつもりだったのだが、もどかしくて仕方が無かった様子がおかしく映ったのでしょう。

キリの良いところを見計らって、上司が控え室へ自分を呼びました。





「一体何がどうしたんだ?」


「実はオヤジの調子が昨日の晩から・・・」





我慢の限界を超えてしまって、嗚咽しながら説明する自分の姿に驚いた上司は、1人でこなすには厳しい状況であったのにも関わらず、自分を病院へ戻るように指示しました。

梅雨らしい景色の中、当時の職場から病院へ戻る八王子バイパスの上で父が力尽きた事を知ったのでした・・・


















会見で彼が言葉を絞り出している様子を拝見させて頂いて、





心を激しく揺さぶられました。

























どんだけ強いんだよ・・・























麻央サンの強さは言わずもがな、結果的にはその日の仕事を途中で投げ出してしまった経験がある自分にとっては、


梅雨


あの状況で舞台を滞りなく務め、そして会見でも特別取り乱すことも無く終えた海老蔵サンには尊敬の念しかありません。














あぶらげサン、こにたんサンもそう思わない?