2011年7月24日、テレビ最後の日

2011年7月24日、テレビ最後の日

テレビがなくなる日に向けて、エンタメ界について語っていきます。

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文春から明るみに出た一連の報道、

これのどこまでが真実なのか?

我々に知る由はないのと同時に、

逮捕という国家権力が絡んだ以上、

何が真実なのか?ある意味、

永遠に明らかになることはなかろう。

ただ言えるのは、逮捕という以上、

善悪で考えれば悪であり、

成人未成年の関係である以上、

プロセスはどうあれ、

大人には責任が生じるということである。

ただ娘とされているメンバーが成人

ということも合わせれば、

メンバーには何の責任もなければ、

謹慎や脱退という責任にも問われる

必要性はないのである。

必要なのは、責任ある大人たちが、

もはや国民的アイドルをも超える

存在にまでなってしまった彼女たち、

それもそのキャプテンの

精神的ケアを怠ってはならないのである。

芸能界これまで、身内等の人間関係で

どれほどまで悲劇が繰り返されてきたのか?

それを今まで見たきたであろう大人たちに生じる責務である。

特に彼女たちには悲しいかな人気者の宿命でもあるが、

人と金いうならば、波及していくファクターが無数に広がっているのである、

この件だけでなく、周りはちょっとやそっとで彼女たちを解放しないのと同じくして

高いものが崩れるように、離れていく恐れもはらんでいるのである。

そうであるからして、一部メディア媒体のみの報道になり、

ネットでさえも、ネットの繁殖能力から比べれば、である。

芸能界というのは実体のないものであり、バブルといっても過言ではない。

バブルであるからこそ夢を売れる世界でもある。

責任感を彼女だけに押し付けることはならない。

ただ運命とはすでに決まっているものであり、

そのチカラはどうすることもできないかもしれないが

冬が終われば春が来る、

それを信じミエナイチカラを変えるためには・・・






iPhoneからの投稿

ロンブーを称して、入るカテゴリーは何なのか?

デビュー当初、劇場で活躍はしていたものの、彼らのネタを知る由もなければ追い求める人々もいないであろう。

若くして、ガサ入れというヒット企画を足掛かりに瞬く間に、番組の芯や冠番組を持った彼らであるが、
それは淳の能力、いうならば素人をはじめとする、垢のついてな人間を彼の手中におさめること、それだけであろう。

りょうさんがいらないというわけではないが、淳はその嗅覚を武器に、
既存のmcをはれる実力者とは一線を画しているだろう。

ツイッター等を駆使する術は真似できるものではない。

それは、番組を仕切って行く中で知らない内に身につけていたのであろう。

そんな中、死に体のTBS、それも死に枠の日曜8時で、
テレビ好きが純粋におもしろいと思えた、タレント名鑑が打ち切りになるのは違和感を覚える。

視聴率も立地条件、赤坂サカスの相場を考えても?である。

芸能界、テレビというのは、政治と同じく民意が反映されず、悲しいかなおもしろいだけではダメな世界という比率が年々高まっているのであろう。

特に淳にとっては従来とは違ったカタチでアプローチ出来ていた番組だけに残念である。

マットガファリ。


iPhoneからの投稿
思えば、このブログでナイナイについてほとんど触れることがありませんでした。

私自身、めちゃイケは開始当初から、オールナイトは96年から録画・録音し続けているという

バイアスがかかっているということを承知でお読みいただければと存じます。




ナイナイの二人がブレイクしたのは、1994年。

吉本印天然素材から事実上離れ、99単独の仕事が増え始めた時期である。

ブレイクのきっかけとなったとぶくすりは一旦終了するものの、

テレビ東京の帯、銀BURA天国や浅草橋ヤング洋品店

日本テレビでは天然素材から現在も続く、ぐるぐるナインティナインが20分枠でスタート。

毎日放送(TBS)ではある意味芸能界での師匠・お父さん的存在でもあるタモリの

ジャングルTVタモリの法則が。

そして、ナイナイの幹ともいえるオールナイトニッポンもスタート。

95年にはテレ朝ネオバライティ枠でチャンネル99も。

帯番組、冠番組、大御所との全国ネット、自由の利く深夜番組、そしてオールナイトとブレイク当初か



これほどバランスのとれたレギュラーに恵まれたのは珍しいことである。

一つ上のお笑い第三世代であるダウンタウンが大阪でブレイクし、東京へと進出したのとは

違い、ABCお笑い新人グランプリは受賞したものの、大阪ではなく東京でブレイクの

先駆け的存在であった。

ブレイク当初をひっぱたのは、現在ではちっちゃいおっさんとも呼ばれる岡村隆史であった。

何よりも、その小さな体型から繰り出す動きが注目を浴び、その後もTHE岡村隆史そのもの

となっていく。

対する矢部は矢野さんと間違えられるくらい、岡村の影に隠れる存在であった。

しかしながら、とぶくすり、ジャングルTVやその後スタートする、

ASAYANやいいともレギュラーでの仕切りでその腕を上げていくことになる。

99自身が語る通り94年近辺は少年ナイフであったが、慣れや自信とともにそのナイフは

なめらかになっていくのである。

95年春に再び復活したとぶくすりZが終了するものの、

秋にはうそ800の企画書でパナソニック枠を獲得しためちゃモテがスタート、

前出の通り浅草橋ヤング洋品店から衣替えした夢のオーディションバライティASAYANが

スタート。

さんまなき後のいいとも金曜レギュラーではその後SMAP中居とのワンハンドレッド。

96年春には、笑点を追いやりぐるナイが10分拡大し30分番組となっていくのである。

矢部氏のツッコミ能力が飛躍的に上昇したのはこのころであり、

めちゃモテ→めちゃイケでの仕切りはもちろんのこと、いいともでの生放送対応、

ASAYANでの素人いじり、ジャングルTVではタモリ・関根を始めとする大御所タレント

との絡みが彼自身を成長させたのである。

96年秋にはパナソニック枠を追い出されるカタチで土8に進出。めちゃモテが始まり、

この前後にスタートした日本一周企画、そしてオファーシリーズでのモニタリングが

彼の能力を一番感じることのできるものとなっていく。

対する岡村さんはオファーシリーズ等での、子供のようなふざけ方から成功へと真剣に挑む姿が

岡村さんの能力そのものとなっていくのである。

ビートたけしの毒かたダウンタウンの天才的なボケとツッコミ。そしてお笑い怪獣と、

さまざまなカタチあったが、99は違うベクトルを目指すことにより若くしてトップへとのぼりつめたの

である。

これは学生時代に夢中になったとんねるずの影響もあるだろうし、

特に岡村自身がナニワの笑いへのリスペクトと同時に、マイケルなどの音楽その他の分野へも興味を

持っていたことも関係しているだろう。

その結集が99的(いいかえればめちゃイケ的)な笑いへと昇華していったのである。

97年にはぐるナイがゴールデン、テレ朝ではナイナイナがスタート。

現アメトーークPの加地Pのが育った番組であり、ダチョウ倶楽部の俺が俺が・・・どうぞが

生まれたのもこの番組である。

ナイナイの年1999年には岡村さん骨折事件、

その他、クギ師事件、おしゃれカンケイ事件、やりすぎ家庭教師事件、赤坂泰彦事件、

人気者ハウス事件などが勃発するものの、

レギュラー番組にも恵まれ、TN,DT,UNのお笑い第三世代と

その下のロンブーやくりぃむ年齢的には上であるがネプ、爆笑、雨上がり、さまぁ~ずなどとの

間を支えることとなっていく。

99~2000年の年マタギめちゃX2あいしてる、2004年の27時間テレビめちゃX2オキてるでも

岡村のマラソン・ボクシング姿が人々の心に響き、

27時間ではお台場移転以降の最高視聴率を記録し、一期間お笑い怪獣陥落のきっかけともなった。

そんな順風満帆の99にピンチが訪れたのが2010年。

きっかけは映画・一人芝居それらによる過密スケジュールなどいろいろ囁かれたが、

デビュー以降走り続けた、岡村さんには休息が必要だったこと、そして矢部氏が岡村さんの

唯一無二の相方であることを我々は知ることができた。

休養中の様々なブームを経て、漢方と共に復活した岡村さん。


矢部氏はビックハットさんへの恋とともに待ち続け、

それ想いが重なりあったのが昨年の27時間テレビであった。

かくいう私が、テレビで号泣したのがあとにも先にもあのVTRの時のみである。

2012年、心も体もライジングサンした岡村さん。

そしてビックハットさんのDOORSをこじ開けライジングさんできるのか矢部氏。

共に40オーバーの彼らが10年前と違うのは・・・・







世間はそんな気持ちかも。

吉本100周年記念会見での突然の

発言。

まあ、確信犯ではあると思うが。

復帰の是非の前に、

昨年八月以降のプロセスを考えなければならない。

まずなぜ引退しなければならなかったのか?

表向きは素敵やんから切り出したとされるが、やっざん以来の事実上の解雇である。

24時間テレビ後というギリギリのタイミングではあったが、
感謝祭にTHEMANZAI,前年には27時間テレビの司会も務め、
ヘキサゴン、紳助くんには素敵やんファミリーが無数に存在し、
その行く末だけでもどうしようもない状態になり、
行列や鑑定団は再放送ならびに番販も不可能な状態になってしまった。

そしてスポンサー命の民放にとって一番好ましくない交際。

吉本にはどれだけ被害がふりかかっても解雇にせざるを得ない事情がこれ以上にあったことは容易に想像できる。

加えてその後、素敵やんありきの番組は終了したものの、
そろ以外は代役等で滞りなく進んでいる。
企画がしっかりしているからこその結果ではある。
素敵やんに拘る必然性は絶対ではないのである。

なので、このタイミングということも含め疑問符をつけざるを得ないのである。

吉本としてはやっさんの二の舞は避けたいのか?それくらいしか思い浮かばない。

そして全社員全タレントという表現は100パーセント根拠がない限り使ってはならない。

過去の事件が結局のところ社内の問題だったのだから。

そしてししゃももいる。

吉本にとっては、今現在の世間の反応にとまどっているだろう。
これほど拒否反応が出るとは思わなかったはずだ。
しかしこれは、黒い関係だけが原因ではない。27時間の司会や感謝祭での事件あたりから徐々にうまれつつあったものがぶり返しただけである。

素敵やんの前に、
宮崎のお肉様を東京03に戻すほうが簡単なはずである。







iPhoneからの投稿

今年こそは、ブログ更新に勤しませていただきます。

iPhoneそして、iPadも
ソフトバンクの店員の口車に乗せられ購入いたしました。

お正月くらいは希望観測をしたいと思います。

こんな時代だからこそ
本気のパフォーマンスがみたい。
口パクじゃない歌が聞きたい。
変な笑い声が入らないネタがみたい。
真実のニュースを伝えて欲しい。
真剣勝負の闘いをみたい。
オリジナリティあふれる作品を
撮ってほしい。
見えないチカラが働かない、
見えないチカラが見えない、
見えないチカラに負けない、
テレビになってほしい。

テレビは夢を見させてくれる、
魔法のモノだと願いたい。

テレビは終わった?
いや終わっていない。

ドリームマッチ?
ホントのドリームマッチが何なのか?作り手こそそれが何なのかわかっているはずだ。

LIVE?
英語でぼやかしてはならない。
ここは日本だ。
テレビこそ生の意味がある。

ベクトルを変えればすぐにでも
一番になれる。
難しいけど簡単な時代でもある。

みんなであははおほほと笑える
そんな一年になりますように。







iPhoneからの投稿

であろう、いいともはもはや。


昨夜放送のいいとも特大号。


いいとも自体のクオリティも地に墜ち、ヒルナンデスに逆転される日もある始末。


当然、特大号も裏に笑ってコラえてが来たあたりから怪しかったが・・・・


オープニングの神父とウキウキwatchingだけがもはや楽しみであったのに、


それさえ身内イジリになり、センスのない歌詞。


ものまねも、


芸人でないサシコが頑張り、やる気のないロッチ・ジュニア。


イヤならレギュラーなんてやめればいい。いてもメリットはない。


スマップであってもすべってしまったクサナギくん。ザキヤマの意味なし。


芸人なのに踊っただけのロンブー。


以前は香取くんの専売特許であった、スマスマでのキャラをやるという禁じ手に出た中居。


ま~モノマネではないので論外だが。


唯一当たりといえた、ひとり秋元のブータン国王夫婦も、


ロイヤルファミリーのモノマネという、逆の立場を考えると仕方のない非難の嵐。


コントとしての構成を考えれば、


ピース・ザキヤマ・爆笑・さまぁ~ず・タカトシなどは頑張っていたが、


あの客質ではどうしようもない。


もうスタッフも含めて限界だろう。そう思わざるをえない。


タモさんなんて、他の番組の方が生き生きしている。


ま~これでふりきれてくれればいいが・・・


30年がいい節目か・・・





いやはや、驚きの数字である。

視聴率測定の信憑性、真実性はもう関係ない。

現代における天文学的な数字を前にすると。

最終回の平均が40で瞬間最高が、
42。
ということは最初から最後までチャンネルを合わせた人が見続けたということである。

こんなカタチのドラマも史上初にちかいであろう。

おもしろければ、

人の琴線にふれれば結果はついてくるということと共に、
ブログ、つぶやき、ネットニュースによる口コミ効果というよりかは破壊力。
そして動画サイトでの最初からのおさらいが可能。それも自分がミタい時に。
とどめをさすような、
15分拡大に、ワイドショー内再放送、
総集編。

すべてが恐ろしいほど効果的に作用した唯一無二の結果である。

原作頼り、人気者からの脱却、

さらにはテレビドラマの醍醐味である、フィクションノンフィクションの境い目、リアルさと非現実さの狭間
を歩く必要性を示しつけたのがミタさんであろう。

ミタさんではなく本当はサンタさんだた家政婦が汐留とお台場にとんだクリスマスプレゼントを運んだのは紛れもない事実である。

奇しくもあの1994年と同じカレンダーになった2011年。

私が願うのは2012年に1995年のような悪夢がやってこないことである。

とにもかくにも、国民の妹に頼るしかなくなったのお台場民国であるのは確かであろう。


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