今の高校で必ず受ける授業「現代文」 社会科のような暗記科目でもなく、数学のように公式を覚える必要もない。

「何を学ぶのか」が分かりにくい科目です。

 

私は高校の時、「現代文」を学ぶ必要がないと感じたので、高校三年間、現代文はお昼寝か内職の時間にしていました。先生も呆れて、僕を当ててこないレベルでした。定期テストも真面目に受けず、一桁の点数を取った事もありました(100点満点)

 

そんな「現代文」を全く真面目に受けてこなかった私ですが、センター試験の評論文は48点(50点満点)でした。いわゆるMARCH、関関同立といわれる大学群の試験でも「現代文」の問題はほとんど間違えませんでした。

 

その時私は確信しました。

学校の現代文なんていらねぇ!

 

今から私が考える現代文の問題点を説明していきたいと思います。

 

 

 

 

1、受験の為の授業になっていない

 

高校生が求める事=受験に受かる事、受験に通用する力をつける事

 

就職する高校生以外のほとんどの人は大学受験を高校生活の最終目標にすると思います。その人がどれだけ勉強を頑張ったのか=どれだけ努力できるのかを図る一つの基準として学歴が重要になってきます。

「大学の名前や偏差値>自分の学びたい事」で大学を決めている人は多いと思います。私は文系学生なので理系の事は分かりませんが、私の友達は「MARCH、関関同立に行けたらなんでもいいや」という人が多かったと思います。

決してその進路の決め方が最善だとは思っていません。自分の学びたいことや夢で進路を選ぶ事も素敵な事だと思います。ですが、今の社会が学歴社会だからゆえ、「有名大学に行くこと」が重要になっていて、多くの高校生はそれを望んでいます。

 

今の授業の現実=ただの文章解説

現代文の授業で、文章の解き方、読解のやり方を教えてもらった事がありましたか?

今の現代文は先生が教科書の文章を解説するだけです。

「教科書のp○○~p△△まで誰か読んで」→「この文章の意味は~~ですよね」の繰り返しです。文章の解説をしてくれるのだから理解した気分になるのは当然ですよね。J-POPの歌詞の意味が分からないから、ネットで歌詞の意味解説を見て「なるほど~」ってなってるのと同じです。

その文章の意味を理解する事が、大学入試で求められる力ですよね。ですが、今の高校現代文ではその力が身につくとは思えません。

 

 

 

、学校の授業は使えない→塾に通う

現代文で苦しむ生徒は多いと思います。理由は簡単です。小学校から高校までの12年間、文章読解の技術を教わらないからそのせいで、塾に行く生徒が増えていきます。

学校の先生で塾が嫌いな人っていますよね?授業中に塾の宿題をしたらブチ切れる先生もいます。でも塾に生徒を行かせている原因を作っているのは、学校の先生ですよね?なぜなら、「生徒が求める事=受験に必要な事」を教えないのだから。

 

 

 

3、結論=学校の現代文は入試においては意味がない

もちろん、入試の事を考えて読解の方法を教えてくださる先生もいると思います。ですが、それ以外の先生の授業は、今の高校生のニーズに合っていません。一生懸命授業をして下さる先生方には失礼ですが、教科書の文章を理解させるのは、先生の自己満足にすぎない側面があるのではないでしょうか?別に、その先生の意味がないという事を言いたいのではなく、授業のスタイルを変えるべきだという事を主張したいです。

 

 

 

4、最後に

高校生は学校で毎日5~6時間は授業を受けています。その時間が受験に無益な5~6時間だってすごく無駄だとおもいませんか?最近は授業をしない塾が出来たり、入試に対しての授業の考え方が変わってきたと感じています。次は学校の授業のあり方を変える時期が来たと私は考えています。