突然だが、今日をもってこのブログを閉鎖することにした。


ここで何か言葉にすることはもはや僕個人の「独り言」などとは言えなくなってしまった。ここに何かを記すことによって、誰かが不利益を被るということだけは、絶対にあってはならないし、本意ではない。


ブログを初めてから1年あまりの間に、このブログを通じて本当に多くの方と交流がもてたことに対して本当に感謝したい。


今まで駄文の数々を読んでいただき本当にありがとうございました.....。


「広告屋の独り言」というのは我ながらいいタイトルだったと思う。僕はここで自由になれたし、考えたこと感じたことを思いとおり素直の表現できたし、自分の考えをまとめるには格好の場だったと思う.....。


しかし、またここで新たな一歩を踏み出したわけであるから、「独り言」をここにつらつら書き記すことは、もう終わりにしようと思う。


ただ、「ブログ」を書くこと自体はこれからも続けてゆきたいと思っている。勘の良い読者の方なら、僕のブログなんてすぐに見つかることだと思う。また読者登録をしていただいた方には、ブログをリニューアルした際には、僕の方から、読者登録をお願いしたいと考えている。その際は、どうぞよろしくお願いします....。


先日、古くからの仲間である友人の一人が僕にこんなメッセージを授けてくれた。


”人生はV.S.O.Pである!

20代で必要なのはvitality。30代で目指すはspecialty。40代で身につけるoriginality。そして、50代以降の人生で重要かつ必要なのがpersonality....。”


この言葉は非常に深く、強く、僕に刺さった。


今、自分がひとつの道を極めることが必ず独創性に繋がり、そして最終的に自分らしい生き方ができるというのである。


会社や組織が、自分の個性や独創性を理解してくれない!などと嘆く人は多いかもしれない。


でも20代や30代で表出できる個性や独創性なんて一体何があるというのか?自分の目指すべき道を見つけ、それを極めることによって初めて独創性が生まれ、それを踏まえないと自分らしい生き方など望めるすべも無い。


「自分らしい生き方」を追及したければ、まずは目の前にある、自分のなすべきことを遂げなければならないようである。


このブログを読んでくださった皆様が、「自分らしい人生」を送れることを祈念して!


Good-bye!!








GWの最終日の今日は、小江戸情緒を堪能すべく川越に出かけた。


川越は予測していたよりも、しっかりとその歴史や伝統、文化を後世に継承してゆこうという強い意志に満ちた街だった。景観も街の風情もみんなみんな「小江戸」という名に相応しい街だと思った....。


最近、僕らは都心で瀟洒なディナーを食すことよりもむしろ、こんな風に東京を離れて、「緑」や「歴史」や「伝統」や「風情」を感じながら時を過ごすことに足が伸びる....。


都市の喧騒は常に日常にある....。やはり、穏やかに時を過ごせることを身体も心も欲しているようである....。


さて、西武新宿線の特急「小江戸号」で新宿まで戻った後、伊勢丹でお世話になった伯母へのプレゼントを購入し、高島屋の地下の紀伊国屋でのタイムセールスで、いつもの如く「豚のこまぎれ」や旬の筍などの食材を手に入れて、サザンテラスのスターバックスでティーブレイクをしていたとき、たまたま隣り合わせに座ったのが、どうやら新卒で汐留あたりの大手老舗総合広告代理店に入ったと見られる20代前半の若い男と、同じくテレビだか出版社だかに入ったと思われる同級生らしい若い男の2人....。


別に聞き耳をたてるつもりはまったくなかったけど、オープンエアのスペースで、その会話がもれ聞こえてきたのだが、「広告」「マスコミ」「起業家」「合コン」「女子アナ」という言葉が何十回とループで出てきて、所謂、世の若い広告マンの薄っぺらい、底の浅さを露呈していたが、正直、僕はこういうタイプの人間が大嫌いなのである。


悪いけど、ラ・テ・新聞・雑誌・ネットメディアに携わっている人間が未だに自分たちを「マスコミの人間」だと認識しているとすれば、もうそれは横暴で傲慢なものの考え方でしかない。マスコミの人間というのは、有益な情報の発信に貢献する一部の報道や制作、ジャーナリストやコンテンツディレクター等を指すのであって、それ以外は単なる「メディア」でしかないし、広告屋なんてその他のその他でしかない....。


僕は何も最初から広告屋になりたくて、広告屋になったわけではないことをこのブログで何度も書いてきたとおり、僕は表現に携わる仕事にこだわり続けて、たまたま「広告」という道に出会ったわけだけど、最初からそのブランドが鳴り響く大手老舗総合を志す人間の中のほとんどの人間が広告の本質など知らぬまま、その心地よい耳の響きのブランドに思いを寄せて、そういう世界を志す.....。


バブル絶頂期の頃の「気まぐれコンセプト クロニカル」や「波の数だけ抱きしめて」などのホイチョイムーブメントに煽動された頭の悪い広告屋は今、行き場を失って本当に苦労している....。


別に広告屋なんだからブランド志向であることは決して悪いことではない。けれど、ブランドとはそこに携わる人間の弛まぬ努力と鍛錬によってそれは成りたっているのである.....。しかし、それを知らずして、ただそこに加わっているだけで、そのブランドを手にしたと思ったら勘違いも甚だしい....。


どんな会社でもこの法則が成立すると伊藤忠社長である丹羽氏は力説されていたが、その大手老舗総合だって、「20:60:20の法則」が働いていて、その大手老舗総合に相応しい本当に仕事ができる人間など、ほんの一部にしか過ぎない。


そりゃ今日隣り合わせた二人の青二才も、驚異的な競争倍率を勝ち抜いてようやく内定を手にしたわけだから、自尊心は最高潮に満たされるかもしれない....。名刺を差し出せば、アホな女子大生に「すごーい!」なんて驚かれ、羨望の的にもなるかもしれない....。でも会社は君たち青二才が合コンで羨望の的となるために、何処かの女子アナと対等に話せるために、名刺を渡しているわけではない.....。


これから先、10年後、20年後の未来を君たちに託すために、会社は君たちを採用したのだ。

そのためには、与えられた会社という「ブランド」の価値を、存続し維持し更に高め、自分の手で自分のモノにしてゆかなければならないのではないのか?


僕の直感ではこの手の広告屋の寿命は決して長くない。だって、この手の広告屋には「お客様」があるわけではなく、まずは響きのいい会社というブランドだけがあって、自分さえもそこにない。


もう、そういう生き方は流行らない.....。会社は何もしてくれない。会社にとって有益な貢献を果たしてくれたものだけに道が拓かれてゆくのである。いつまでも、自分の手で築いてきたわけでもなく先達の叡智のよって築かれた会社というブランド、に依存し、そこに居させすれば、成功できるなんて考えていれば、そんな甘い幻想と妄想は早く捨てるべきだ....。


広告屋の本質とは、我々の新しい会社が標榜する「お客様の課題を解決するためのソリューションの提供」に集約される。「合コン」だの、「女子アナ」だの、「会社のネームバリューに依存すること」しか興味の無く、世の中の価値判断の基準やトレンドやマーケット動向について何ひとつ語れない者は、広告屋としての価値は一切無い。


10年後、20年後の未来をしっかり見据えて決して、後悔せぬよう、今を大切にして欲しい...。











先々週から先週にかけての2週間は、妻とほとんど会話を交わすことができなかった。先々週末は実家の広島に戻って、母親に対して今後についての報告と父の17回忌。そして、離れて暮らす娘との再会を果たしていた....。


そのまま新会社の営業開始に向けて、移転や業務を並行して行ったこともあり、僕の帰宅は深夜0時を回ることはざらで、家に戻るころには、この春から医療系の大学で准教授として教鞭をとる妻は既に就寝済み。僕が朝、起きる頃には、妻は既に出勤済みということで、本当にまったくのすれ違い夫婦となってしまっていたのである。


昨日の朝、ようやく二人で一緒に朝食をとりながら、引越し、移転、新しい環境についてようやく話をしながら、昨日から始まる4日間のつかの間の休日をどう過ごすかについて話し合った。


妻は、僕が激務に励んでいたことに対して、「本当にお疲れ様!」と労いの言葉をかけてくれ、それ以上は何も仕事に関して深く言及することはなく、いつも以上に穏やかに優しく接してくれた。


何処かゆっくりと寛げる公園に出かけたいという妻のオーダーに答えて、僕は「雨上がりの浜離宮散策」を提案した。


そんな矢先、非常にショックな連絡が母の姉である伯母から入ってきた。母親が、激しいめまいと吐き気を訴え救急車で運ばれたというのである.....。広島には戻ったばかりだし、既に新会社は営業を開始しここで再び広島に戻るというのは正直難しい。けれど、妻のほうから、「私たちにはあと4日ある。その4日だけでも広島に戻ってお母さんのためにできることを精一杯やろう!」という風に提案をしてくれた....。


僕は広島に戻る準備をし始めたところ、伯母から再び電話をもらい、「意識もはっきりしていて、言語にも障害が無く、脳に異常がないことが検査でわかった。心配しなくて良いので、Koheiは東京で仕事を頑張りなさい。」という連絡が来た....。


医療従事者(看護師)経験を持ち、今もその第一線で次代を担う医療従事者の育成に務める妻は、僕に代わって電話で伯母とやりとりをしてくれて、伯母の話から母の病状について僕に対して説明をしてくれた。


母親の病状というのは、CTを取った段階では脳に血瘤や出血は確認できなかったということで命に関わるような危険な状況ではない。従って、クモ膜下出血や脳血栓という可能性はほぼ無いと言えるが、眩暈や吐き気が収まらないということは、もしかすると脳溢血の前兆かもしれない.....。但し、脳溢血というのは、誰にでも起こりえる病気なので、薬の投与や食生活等によって十分に改善できる。決して良い状態ではないけれど、危険な状態ではないとうことを僕に説明してくれた。


改めて僕は、ここで自分の妻が”プロフェッショナル”であるということを強く認識させられることになり、改めて尊敬することとなった....。


結局、伯母と妻の話し合いによって、我々はこの休日を休日として活用することにして、「浜離宮」に出かけることにした....。


浜離宮。かつて徳川将軍が出城として建造した後に、東京湾に面した「宮」として受け継がれた名勝は雨の匂いと様々な木々や草花から放たれる清流な空気が混ざり合う、まさに都心におけるくつろぎのオアシスであった。


僕らは、草木や花々、そして海水が引き込まれた池に生息する魚や小動物、そしてそれを啄ばむ鴨や白鷺などの様々な生き物に接しながら日常の喧騒からしばらくの間、開放されることができた。


その後、カレッタ汐留で食事をした後、銀座に移動して母への見舞いの品と北海道の義母への母の日のプレゼント選びを行うものの、気に入った品に逢えず、丸の内線で新宿に移動して、伊勢丹や高島屋を覗いたけど、結局、妻が納得する品には逢えず、課題を今日に持ち越して、高円寺に戻り、行き着けの店で食事をして、自宅に戻った。


今日は僕が髪を切りに出かけている間に、彼女は吉祥寺に出かけ課題を解決するそうである....。

それから戻って一緒に掃除し、洗濯をして、家事を済ませ、明日は以前から気になっていた小江戸情緒の残る川越に出かけるか、二人にとってお気に入りの街、鎌倉に出かけようかなどと思案しているところである....。


僕が仕事において広告のプロとして存分に仕事ができるのも、自分もプロフェッショナルとしてその一線で活躍しているにも関わらず、家事や家族への配慮を欠かすことなく毎日をきちんと丁寧に暮らしてくれている妻のおかげであるとつくづく感謝している。


彼女だって、僕に言いたいことやして欲しいことに関しての不満はきっとあるはずであるが、2週間ぶりの共有する時間の中で、一言たりともそれを口にすることはなく、色々と多くの気遣いを施してくれた。


かつて結婚を失敗した経験を持つ僕は、かつての結婚が互いの我を張る場所が家庭であるというまったく誤った見解でいたことをつくづく思い知らされた。互いに生活環境もその歴史も異なる二人が生活を営むというのは、妥協しあうではなく、互いを労わりながら補完しあうことなのである.....。


しかし、やはり僕ら二人もここに来て互いの両親の健康不安という問題に直面することとなる....。


自分がようやくなんとか生きる道を確立した頃にこうした課題に直面するというのが、まさに人生のライフサイクルなのであろう....。


かつて「男子、厨房に入るべからず」であるとか「父権、や男子としての威厳の崩壊」などが取り沙汰されたことがあるけれど、とにかく時代は大きく変化し女性の社会進出も顕著となった今、互いが互いの道を確立するために家庭とはその背景を支える重要な場であると認識している。


「メシ、風呂、酒」などと号令をかければ目の前にすべて揃うという前時代的な習慣はすべて過去のもの。互いが互いを補完しあって、ようやく社会における自分というのがプロとしてその第一線での闘いに集中することができるのである....。


この2週間余りのすれ違いを単なるすれ違いに終わらせることなく、しっかりその距離を埋めることに尽力してくれた妻には頭が下がると同時に、僕も家庭がその重要な場であることを再認識した上で、僕のできることはきちんとやらねばならないなぁと、少し反省しているところである。


彼女はまだ、深い眠りの底で寝息を立てている....。


今日は僕が、豆を挽き、珈琲を淹れて、その目覚めを心地よく迎えることができるよう厨房に立つことにする。