こんにちは。
前回の続き、2023年 訪れた城趾・館跡のパート2です。
城趾に行くとついつい写真を多めに撮ってしまいます。
さて、このブログにどの写真をチョイスするか・・・
他で公開されていないような写真をわざと選択してアップしようと考えましたが、やっぱりある程度標準的なものに落ち着いてしまった感じがありますね。
では、ご覧ください。
金沢城
(石川県金沢市丸の内 訪問日:2023年7月)
金沢城は、加賀国石川郡尾山(現・石川県金沢市丸の内)にある日本の城。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており、城址を含む一帯は金沢城公園(かなざわじょうこうえん)として整備されている。(ウィキペディアより)
■金沢城のシンボル石川門(重要文化財)
■下から見上げた石川門石川櫓
■石川橋から見た石川門石川櫓
■石川櫓と高麗門
■石川門内、続櫓
■土橋門の石垣
■玉泉院丸内 色紙短冊積み
■河北門から見た菱櫓(復元)
■鼠多門と鼠多門橋(復元)
【感想など】現存天守がない城趾で、これほど見所が多い城は少ないのでは。特に石垣の多様さは秀逸で、石垣が好きな人は一日では廻りきれないでしょう。櫓や門の木造復元にも力を注いでいて、現在発掘調査中の二の丸にも、御殿が復元されそうな勢いです。主要ルートにある復元櫓や復元門に人が多く集まる反面、現存の鶴丸倉庫や三十三間長屋を訪れる人が少ないことはやや残念です。また、城の中心であるはずの本丸跡が、これほど森林化している城も珍しいと思います。(金沢大学時代の名残でしょうね。)
熊本城
(熊本県熊本市中央区 訪問日:2023年11月)
熊本城(くまもとじょう)は、(中略)加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城だった。明治時代には西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失したが宇土櫓を始めとする櫓・城門・塀が現存し、13棟(櫓11棟、門1棟、塀1棟)が国の重要文化財に指定されている。(ウィキペディアより)
■二様の石垣(手前)と天守
■大天守と本丸御殿(左)
■数寄屋丸二階御広間
■西側の郭から見た大天守と小天守
■改修工事中の宇土櫓
【感想など】初めて訪れた熊本城、震災前に来れなかった事が非常に悔やまれます。破壊された痛々しい痕跡が至る所にあり、見学箇所も大幅に制限されていました。現存天守に加えても遜色ないといわれてた宇土櫓に、いつかは訪問することを楽しみにしていたので、改修工事の姿を眺めて残念な想いが込み上げてきました。しかしながら、関係者皆さんの頑張りで、驚異的な速さで天守が復活したことは喜ばしいことです。完全復旧まで30年はかかるといわれており、恐らく自分が生きている内には無理だと思いますが、もう少し復旧が進み、宇土櫓が再開されたときに再び訪問したいと思います。
岡城
(大分県竹田市竹田 訪問日:2023年11月)
岡城(おかじょう)は、(中略)「臥牛城(がぎゅうじょう)」、「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれる。岡城の築かれた天神山は標高325メートル、比高95メートル、城域は、東西2500メートル、南北362メートル、総面積は23万4千平方メートルに及んだ。(中略)「荒城の月」作曲者の瀧廉太郎は、幼少期を竹田で過ごしており、この岡城にて曲のイメージを得たといわれているため、城址には廉太郎の銅像が、遠方の山並みを眺められるところに建てられている。(ウィキペディアより)
■大手門手前の石垣
■大手門跡の石垣
■家老屋敷下
■大手門付近から見た本丸方面
■太鼓櫓跡から見た西中仕切り跡
■本丸御殿跡から見た大手門方面
■西の丸方面の石垣
■二の丸跡にある滝廉太郎像
【感想など】やはりここを訪問場所に選択して正解でした。山城に信じがたいほどの石垣が残っています。建物こそ残っていませんが、十分過ぎるほどの満足感を味わうことが出来ます。下を見れば足がすくんでしまうほど高い石垣が至る処にありますが、ここの凄いところは柵などを一切設けておりません。訪問者の自己責任に委ねるその姿勢は、清々しさすら感じますし、やたらと余分なモノを建築・設置し、遺構を破壊させている他の自治体も見習って欲しいと思います。滝廉さんも素敵でした。
【まとめ】
2023年、今年訪問した城趾を2回に渡って投稿しました。例年よりも沢山の有名かつ貴重な遺構に触れることが出来た年だったと感じます。普段接することが多い関東の城には、(関東ローム層の関係で)石垣があまり存在しないので、やはり西国の城は違うな~と、つくづく思います。
若い頃、夢中になっていた城趾めぐりでしたが、少々飽きてきたことと、「城めぐりは老後の楽しみに取っておこうかな」と変な方針転換をしたため、最近は第一優先ではなくなっていました。しかし、震災で被害を受けた熊本城の例もあり、行ける時に行っておかないと機会を失うかも知れない、と考えが変わってきました。来年もまた少しづつですが、まだ見ぬ西国方面の城を訪れたいと、写真を見返しながら感じています。
では、また