埼玉の城-2(松山城) | KOHのブログ

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滝へ行こう カメラを持って

こんにちは(^ε^)


埼玉の城 第2弾は 武州・松山城です。

(愛媛ではありません。調べておりませんが

 松山城って全国に沢山あるようですね。)


第一弾、忍城で引っ張りましたが、ようやく2回目

となりました。


歴史の詳細については、所詮文献からの写し

となりますので割愛しますが、信玄、謙信など

のメジャー級が争奪戦をした、合戦エピソード

の多い城です。

反面、城主が上田氏というマイナーな所にも、

なぜか愛着を感じます。

(ご子孫の方おられましたら、失言をお詫びします。)


場所は埼玉県のほぼ中央、比企郡吉見町ですが、

ほとんどの方は横穴墓群の遺跡で有名な

「吉見百穴」を目的として訪れ、この城跡には

寄らないのでは・・・ガーン
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確かに、道路に城跡の案内板はありますが(下写真)、

城がある雰囲気が全く感じられないため、

城跡散策を目的に来た人以外は気が付かない

のではないでしょうか。


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私も今回三度目の訪問となりますが、最初に

訪れた時は、「ここでいいのかなはてなマーク

と不安になったのを覚えております。


さて、登城口ですが、岩室(いわむろ)観音の

お堂をくぐります。
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中に入ると、たくさんの石仏が迎えてくれます。

拝めば、四国八十八か所巡りと同じ功徳が

あるとのことです。ニコニコ
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さらに進み、見上げれば、そこは竪堀目

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足場の悪い坂道を、滑りそうになりながら

登ります。


ここまで、城跡へと導く標識や看板が

全くありません。

本当は、ここから登ってはいけないかしらはてなマーク

そうだとしたら、コメンナサイえっ


登りきると、やっと出てきました、標札。

「兵糧倉」です。

初めての人はここで初めて、間違っていなかった

事を実感できます(?)


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ここは現地案内に従い「兵糧倉」としましたが、

文献によっては「兵糧廓」の表記も見られます。



兵糧倉の上(南側)が本曲輪です。

写真のように小高く見えます。


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さて、本曲輪につきました。

元々神社が建っていた様ですが、今は形跡しか

ありません。
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縄張りがよく判る航空写真です。
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城跡碑がとても立派です。
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この城跡の特徴は、複雑な堀と曲輪の構成です。

かなり外廓は破壊されてしまった様ですが、

中心部遺構は良く残っていると思います。


今でこそ、すっかり木々が伐採されていますが、

15年ほど前に最初に訪れた時は、木や雑草が

生え放題で、空堀はもちろん、曲輪さえも

隠れて全く見えませんでした。


ところが、およそ5年ほど前、第二回目訪問時、

様相が全く変わっており、ビックリ目


県指定史跡から国指定史跡に代わる際、

おそらく整備されたものと思いますが、

はっきりと遺構が判り、驚くべき幅と深さの堀

を目にすることができました。



話が長くなりましたが、戻ります。(^∇^)



本曲輪から二曲輪を見た図です。判りにくい

かもしれませんが、手前に大きな空堀があります。

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堀の下から見るとこんな感じで、かなりの

高低差があるのが判ります。(右本、左二)
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※私の持論 : 堀は下から撮れ!!


二ノ曲輪です。

コの字形をしています。
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三ノ曲輪です。

春日曲輪とも呼ばれているようです。
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曲輪4です。

広沢郭とも呼ばれているようです。

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本曲輪の山頂から曲輪4まで、ほぼ直線状(悌郭式)

に並んでいます。


本曲輪の南下にあるのが笹曲輪、太鼓曲輪です。
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聞いた話なので確証はありませんが、

「笹曲輪」とは、なぜか関東の城特有の名称

だそうです。同じく埼玉の鉢形城にもありましたね。


※東海以西の城跡で、「笹曲輪」の名称を持つ

 城跡がありましたら、教えてください。ニコニコ


最後は惣曲輪(腰曲輪)です。

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なかなか写真では城の持つ臨場感を

お伝えしきれませんが(写真が悪い?)、

訪れて損はないと思います。


散策中、殆ど誰とも合わず、寂しい場所では

ありますが、まだ行かれてない方にはおススメ

スポットです。


また、木や草で堀が埋もれないうちに

どうぞキラキラキラキラキラキラ


では、またパー