最近、嬉しいことと悲しいことと忙しいことが沢山ありまして
旅行日記書くのを忘れていました(;´Д`)
記憶が無くなる前にちゃんと書いておきたいと思います。
ですが、すでに記憶が危ういので慌てて書いています。
とりあえず、今月末に実家を出て一人暮らしを始めます!
それに辺り引越し準備に追われているのですが、
何せ20数年生きた家なので、本当にいらないものとか捨てづらいものが沢山あります。
引越しといってもだいぶ近いのですが(´ε` )
猫を飼うことにしたのです!
---------------------------------------------
1日目
上陸!
とりあえずレンタカーを借りに向かいます。
これから一週間お世話になるのはどんな子なんだろうと
胸を躍らせてレンタカーショップへ。
空港につくと、空港出口すぐの所で
レンタカー会社さんが送迎待ちをしています。
沢山ある中から自分が予約した会社を見つけ受付!
レンタカーショップでは
マツダのデミオ(緑)が目に入り可愛いな可愛いなとか
思ってたんですが、

私達に貸し出されたのは同じデミオでもあずき色!
(たぶんワインレッドともいう)
さらに走行距離10万キロ超えの大御所です(*´ェ`*)
渋いな!…と思いましたが、
一週間ほとんど過ごしたので、デミオが好きになりました♪
さすがガタがきてたり細かい傷もチラホラありましたが。。
この旅で約5年ぶりに運転をしたのですが
沖縄は道が広くて走りやすかったです。
ただ、沖縄に2年住んだ子いわく、沖縄の人は運転が荒い、らしいです。
普段ほとんど運転しない人間にとってはよくわかりませんでしたが…。
都内近郊で自転車や人が沢山歩いてるような道路を
運転するほうがよっぽど怖いですね…
ちなみに、友人から聞いた話では
レンタカーのナンバーはすべて「わ」ナンバーと呼ばれ
沖縄の人はそのナンバーを見ると距離を取ってくれるそうな。
実際、観光地(美ら海水族館とか)のナンバーは尽く「わ」ナンバーでした。
(観光客だから気をつけよう~って感じですね)
そして、沖縄といえば米軍基地が各所に点在していますが
米軍関係者のナンバーはアルファベットの「Y」ナンバーでした。
◆沖縄レンタカーの注意点◆
那覇市が予想以上に渋滞します\(^o^)/
これはレンタカー借りた際のパンフレットや
旅行雑誌にも書いてあったんだけど、正直なめてました。
時間の制限がないときは気長に待てるんですが
これが最終日の飛行機前にハマり、とんでもないことになりました…
詳細は後日あたらしい記事で追記しますが、
あの時は、最悪沖縄もう一泊というのも考えました。
余裕をもって移動したらいいですね。。当たり前ですね。。
さて、気を取り直して1日目!
レンタカーを借りた後はせっかくなので道に慣れようドライブ。
天気は生憎の曇り空でした。
まずは本島南の「海軍司令部壕」まで走ってみました。
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◆海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)◆
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駐車場:無料駐車場あり
入館費:大人420円 小人210円
内容:
海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)は、沖縄戦において
大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。
戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、
周辺は海軍壕公園として整備されている。沖縄県豊見城市と那覇市の市境に位置する。
(Wikiより抜粋)
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要約しますと、この海軍司令部壕は
第二次世界大戦中、沖縄戦を指示していた司令官の方
ならびに関係者の人達が自決をした場所です。
この出来事をきっかけに、
沖縄戦は激化し、軍人さん、一般の方、多くの命が失われました。
第二次世界大戦中、沖縄は日本で唯一の地上戦が行われた場所でした。
民間の方を含め、多くの方がこの戦争で亡くなられていて
その数は米軍日本軍、民間人を合わせて20万人にも及ぶと言われています。
現在、アメリカが軍事基地を置き、”日本を守る”という形で
沖縄に軍が点在しているのは、なんとも難しい話です。
沖縄の人達が米軍反対という気持ち、分かります。
しかし、さらにその裏に某国の影を感じる気もしますが…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奇しくも、私たちの旅行初日に沖縄のとある団体が
「沖縄独立運動」について何やら記者会見を行なっていました。
後の首里城見学でも確認しましたが、
沖縄は元々日本とは別の国「琉球王国」だったんですよね。
沖縄として独立をする、その真意は何なのでしょうか。
最近中国が「沖縄は中国のもの」なんて言ってますが
沖縄の方々が決して中国になりたいとは思いません。
あくまで、琉球王国としての独立を唱えているという話だそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この場所を訪れたのは2度目でした。
はじめて来たのは家族旅行で小学生の時でした。
その時と、15年後の今、感じた雰囲気はほとんど変わりませんでした。
ただただ、空気が重く、息苦しいのです。
もちろん、地下深くというのも要因だと思いますが、
何だか空気だけではなく、時間までもがその当時のままのような
なんとも言い様がなく重たい雰囲気です。
霊感のある人がいくとやはり、感じてしまうようです。
沖縄には上陸戦という悲しい過去がある故、そういったスポットが多く存在します。
戦争は決して忘れてはいけない過去ですが、既に戦後70年近く経っていますので
どうか報われなかった魂達が安らかに眠れますように。
途中、ヤンチャそうな男子学生達がたくさん居ましたが
きっと友達同士の旅行だから楽しくてワクワクで
戦争の跡地なんかどうでもいいんだろうなーなんて、思ってしまいました。
一部の真面目そうな子たちは真剣に説明文を読んでいたけど。
せっかく訪れることが出来たのだから、少しでも記憶に残して欲しいですね。
ちなみに、この壕は人工のもので
人手で堀っていったものらしく、とても奥深くまでしっかり掘られています。
道は狭めですが、かなり広く長く作られています。
いくつかの部屋と、そして写真にもある
司令官の部屋が存在し、司令官室では手榴弾自決の際についた
痕が今でも壁に黒くこびりついています。
また、最終的には4000人もの海軍関係者の方々がこの壕で亡くなられました。
それぞれの人達が、どのような思いで亡くなったのか
考えるととても辛いです。
また、壕の上には小高い丘と記念碑が立っていて
眺めがとても良いです。
壕で疲れてしまったら、外でゆっくり景色を見ながら休憩するのも良いと思います。
私は壕を出た瞬間に大雨にあたってしまったのですが
売店のおばさんがとても親切で、車に行くまでの傘を貸してくれたり
少しお話してくれたりしました。
沖縄の梅雨は雨が降ったりやんだりを繰り返すみたいで、
スコールみたいな土砂降りも、ちょっと待てばすぐに晴れました。
この土地を観光のスタート地点にしたのは偶々ですが
沖縄の歴史を学べてとてもよい経験でした。
ただし、とても辛いです。感受性が豊かな人だと泣いてしまいます。
沖縄を訪れる際には、是非一度足を運んでみるのも良いとおもいます。
<泉さんのコラム>分り易くて読みやすかったです。
上記のコラムでは、
家族旅行で子供を連れて行った、という流れがあるのですが
改めて、今思うと
小さな頃に沖縄に行って、戦争の跡地を廻るのはとても良いことだと思います。
その頃はあまり分からなくても、大きくなってから少しでも
頭の端にあれば、戦争について思い出したり考えたりすることができるので。
両親にはとても感謝しています。
いつかは、自分のお金で旅行に連れて行ってあげたいですね。
旅行日記書くのを忘れていました(;´Д`)
記憶が無くなる前にちゃんと書いておきたいと思います。
ですが、すでに記憶が危ういので慌てて書いています。
とりあえず、今月末に実家を出て一人暮らしを始めます!
それに辺り引越し準備に追われているのですが、
何せ20数年生きた家なので、本当にいらないものとか捨てづらいものが沢山あります。
引越しといってもだいぶ近いのですが(´ε` )
猫を飼うことにしたのです!
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1日目
上陸!
とりあえずレンタカーを借りに向かいます。
これから一週間お世話になるのはどんな子なんだろうと
胸を躍らせてレンタカーショップへ。
空港につくと、空港出口すぐの所で
レンタカー会社さんが送迎待ちをしています。
沢山ある中から自分が予約した会社を見つけ受付!
レンタカーショップでは
マツダのデミオ(緑)が目に入り可愛いな可愛いなとか
思ってたんですが、

私達に貸し出されたのは同じデミオでもあずき色!
(たぶんワインレッドともいう)
さらに走行距離10万キロ超えの大御所です(*´ェ`*)
渋いな!…と思いましたが、
一週間ほとんど過ごしたので、デミオが好きになりました♪
さすがガタがきてたり細かい傷もチラホラありましたが。。
この旅で約5年ぶりに運転をしたのですが
沖縄は道が広くて走りやすかったです。
ただ、沖縄に2年住んだ子いわく、沖縄の人は運転が荒い、らしいです。
普段ほとんど運転しない人間にとってはよくわかりませんでしたが…。
都内近郊で自転車や人が沢山歩いてるような道路を
運転するほうがよっぽど怖いですね…
ちなみに、友人から聞いた話では
レンタカーのナンバーはすべて「わ」ナンバーと呼ばれ
沖縄の人はそのナンバーを見ると距離を取ってくれるそうな。
実際、観光地(美ら海水族館とか)のナンバーは尽く「わ」ナンバーでした。
(観光客だから気をつけよう~って感じですね)
そして、沖縄といえば米軍基地が各所に点在していますが
米軍関係者のナンバーはアルファベットの「Y」ナンバーでした。
◆沖縄レンタカーの注意点◆
那覇市が予想以上に渋滞します\(^o^)/
これはレンタカー借りた際のパンフレットや
旅行雑誌にも書いてあったんだけど、正直なめてました。
時間の制限がないときは気長に待てるんですが
これが最終日の飛行機前にハマり、とんでもないことになりました…
詳細は後日あたらしい記事で追記しますが、
あの時は、最悪沖縄もう一泊というのも考えました。
余裕をもって移動したらいいですね。。当たり前ですね。。
さて、気を取り直して1日目!
レンタカーを借りた後はせっかくなので道に慣れようドライブ。
天気は生憎の曇り空でした。
まずは本島南の「海軍司令部壕」まで走ってみました。
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◆海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)◆
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駐車場:無料駐車場あり
入館費:大人420円 小人210円
内容:
海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)は、沖縄戦において
大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。
戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、
周辺は海軍壕公園として整備されている。沖縄県豊見城市と那覇市の市境に位置する。
(Wikiより抜粋)
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要約しますと、この海軍司令部壕は
第二次世界大戦中、沖縄戦を指示していた司令官の方
ならびに関係者の人達が自決をした場所です。
この出来事をきっかけに、
沖縄戦は激化し、軍人さん、一般の方、多くの命が失われました。
第二次世界大戦中、沖縄は日本で唯一の地上戦が行われた場所でした。
民間の方を含め、多くの方がこの戦争で亡くなられていて
その数は米軍日本軍、民間人を合わせて20万人にも及ぶと言われています。
現在、アメリカが軍事基地を置き、”日本を守る”という形で
沖縄に軍が点在しているのは、なんとも難しい話です。
沖縄の人達が米軍反対という気持ち、分かります。
しかし、さらにその裏に某国の影を感じる気もしますが…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奇しくも、私たちの旅行初日に沖縄のとある団体が
「沖縄独立運動」について何やら記者会見を行なっていました。
後の首里城見学でも確認しましたが、
沖縄は元々日本とは別の国「琉球王国」だったんですよね。
沖縄として独立をする、その真意は何なのでしょうか。
最近中国が「沖縄は中国のもの」なんて言ってますが
沖縄の方々が決して中国になりたいとは思いません。
あくまで、琉球王国としての独立を唱えているという話だそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この場所を訪れたのは2度目でした。
はじめて来たのは家族旅行で小学生の時でした。
その時と、15年後の今、感じた雰囲気はほとんど変わりませんでした。
ただただ、空気が重く、息苦しいのです。
もちろん、地下深くというのも要因だと思いますが、
何だか空気だけではなく、時間までもがその当時のままのような
なんとも言い様がなく重たい雰囲気です。
霊感のある人がいくとやはり、感じてしまうようです。
沖縄には上陸戦という悲しい過去がある故、そういったスポットが多く存在します。
戦争は決して忘れてはいけない過去ですが、既に戦後70年近く経っていますので
どうか報われなかった魂達が安らかに眠れますように。
途中、ヤンチャそうな男子学生達がたくさん居ましたが
きっと友達同士の旅行だから楽しくてワクワクで
戦争の跡地なんかどうでもいいんだろうなーなんて、思ってしまいました。
一部の真面目そうな子たちは真剣に説明文を読んでいたけど。
せっかく訪れることが出来たのだから、少しでも記憶に残して欲しいですね。
ちなみに、この壕は人工のもので
人手で堀っていったものらしく、とても奥深くまでしっかり掘られています。
道は狭めですが、かなり広く長く作られています。
いくつかの部屋と、そして写真にもある
司令官の部屋が存在し、司令官室では手榴弾自決の際についた
痕が今でも壁に黒くこびりついています。
また、最終的には4000人もの海軍関係者の方々がこの壕で亡くなられました。
それぞれの人達が、どのような思いで亡くなったのか
考えるととても辛いです。
また、壕の上には小高い丘と記念碑が立っていて
眺めがとても良いです。
壕で疲れてしまったら、外でゆっくり景色を見ながら休憩するのも良いと思います。
私は壕を出た瞬間に大雨にあたってしまったのですが
売店のおばさんがとても親切で、車に行くまでの傘を貸してくれたり
少しお話してくれたりしました。
沖縄の梅雨は雨が降ったりやんだりを繰り返すみたいで、
スコールみたいな土砂降りも、ちょっと待てばすぐに晴れました。
この土地を観光のスタート地点にしたのは偶々ですが
沖縄の歴史を学べてとてもよい経験でした。
ただし、とても辛いです。感受性が豊かな人だと泣いてしまいます。
沖縄を訪れる際には、是非一度足を運んでみるのも良いとおもいます。
<泉さんのコラム>分り易くて読みやすかったです。
上記のコラムでは、
家族旅行で子供を連れて行った、という流れがあるのですが
改めて、今思うと
小さな頃に沖縄に行って、戦争の跡地を廻るのはとても良いことだと思います。
その頃はあまり分からなくても、大きくなってから少しでも
頭の端にあれば、戦争について思い出したり考えたりすることができるので。
両親にはとても感謝しています。
いつかは、自分のお金で旅行に連れて行ってあげたいですね。

