6月23日の午前7時30分、綺麗な朝日が今でも印象的な朝。


私の唯一の母が亡くなりました。


母であり、姉であり、親友であり、かっこいいと思える母でした。


眠りについて息をするのを忘れてしまったかのような最期。


穏やかに人生の幕を下ろした母の姿に、少し安心もしました。


膵管拡張の発見から慢性膵炎の診断が下り、急性膵炎を起こし、そして膵臓癌ステージ4Bの診断。


痛い、辛いことの多い1年だったと思います。


検査の度に絶食となり、母の体重は激減。


食べることの好きだった母、私たち家族が食べてる姿を見るのが好きだった母。


絶食なのに、笑いながら、「ここ(病室)で食べて。下界の食べ物の匂いとか忘れちゃうから笑」なんて言ってました。


最期の晩に、意識が朦朧とする中で母は、指を折りながら家に帰ったらする事を数えていました。


「掃除機」と一言漏らした母。最期まで家事の心配をしていました。


もう母がいない、母の声を聞くこともできない、私の頭を撫でてはくれない。


笑った顔が本当に大好きでした。


母も私に、笑ってとよく言いました。


仕事が忙しくて、考え事が多くなった私の顔、大人になった半面笑顔が減って悲しかったのかもしれません。


本当に今はまだ心の整理もつかず、乱文ですすみません。


母の生きた証をこれから綴っていき、膵臓癌を患っている家族をお持ちの方に何か少しでも出来れば幸いです。





ねぇ、ママ。


私まだ教わってないこと沢山あるんだよ。


まだ母親でいてくれなきゃ困ること沢山あるのに。


どうして駆け抜けてしまったの。


せっかちな性格だからって、そんなに急ぎ足でいなくならないでよ。


帰ってきてよ。


お願いだからもう一度、私のことを抱きしめて。


会いたいよ。

小春の今。


正直、お酒の量が増えています。


休日も昼間から飲んで、平日は自宅に帰ってからすぐ飲み始めています。


ビール数本に焼酎半分は平日の量。


こんなに自分が弱いとは思っていませんでした。


お酒を飲まないと眠れない。


誰かに恐怖を打ち明けて頼りたい半面、家族のことだからという気持ちで、私はお酒に逃げているのだと思います。


こんなんじゃダメだと思っています。


いずれかは来る両親の死。


通常であれば、私より両親が先に旅立ち、見送るのが子供。


その現実に立ち向かえないのです。


いつまでも元気でいてくれると過信していた幼すぎる自分に嫌気がさします。


ママがさみしくないように、私が先に死んでしまえばいいのかなと考える日は本当に数え切れない程あります。


でも、現在の仕事に責任もあります。


私は意志のはっきりしないまま生きているのです。

ERCP検査入院をしてから、総合病院に通院していました。


夏、急性膵炎になりました。


前日の夜、夏で冷房をかけているから冷えて痛いという私の考えから、なるべく体を温めていました。


一緒に寝ていて体を温めていて楽になったというのはママの優しさだったんです。


朝、救急で病院に行って、急性膵炎で入院となりました。


なんだか、自分が情けなく、ママを一晩苦しめてしまったのではないかという気持ち。


救急からそのまま入院でした。


確か、休みに入ったばかりで、数日間痛み止めの注射しかできない状況でした。


病院が動き始めてから再びERCPを行い、鼻からの管により膵液を出してから、やっと痛みも減りました。


膵液をとっていて、癌の可能性のあるタンパク質の発見。


退院してから、外来でこのことを聞きました。


即、癌センターへ紹介状を出してくれました。


このころから、私達家族の中で、ママを失うかもしれないという恐怖が現実味を帯び始めました。


去年の春頃、なんとなく体調が優れない感じでした。


以前、慢性胃炎と診断されていたので、お友達に紹介された胃腸科へ行ってみると、アミラーゼの数値が高く、エコーで膵管の拡張がみられると言われ、総合病院への紹介となりました。


総合病院の主治医は、この胃腸科の先生の判断はさすがだと褒めていました。


通常、胃の調子がおかしいだけで、アミラーゼの数値までの検査はしないそうです。


総合病院を受診するようになってから、私もよく膵臓について調べるようになりました。


本当、よく泣いた日々です。


得体のしれない恐怖でした。


ママの方が怖かったのにね。


慢性膵炎の疑いということで、ママが初めての検査入院をしました。


ERCPという検査です。


ママの入院というだけで一大事だったのに、病室に行ってみると鼻から管が通っていてめちゃくちゃびっくりしました。


この検査は凄くしんどかったらしく、夜自宅から電話をすると痛みで息が途切れ途切れでした。


自宅から病院は飛ばして10分なので、すぐ病院に行きました。


きっとこの時は、看護師さんに「心配性な娘」と思われたと思います。


でも、この日の夜の担当の看護師さんとは今だに仲良くさせてもらっています。


ママもこの看護師さんがいると入院期間中は安心するみたいです。


親身に検査の大変さを理解しようとする姿勢、なにより患者の生活リズムを一番に考えてくれる看護師さんです。


ERCP検査入院は予定通り終わり、ママは退院。


この時はまだ慢性膵炎の段階でした。


はじめまして。

小春(25)と申します。


小春のママ(年甲斐なくママという呼び方ですみません)は、去年の今頃、胃腸科で検査をし、膵炎の疑いもあるということで総合病院へ紹介されました。


あれから1年。


繰り返しの入院と絶食期間。


ママの姿は、決して元気な姿ではありません。


精神状態もはっきり言って良くないです。


それでも、小春にとっては唯一のママです。


あれから1年、これからの1年。


正直、先のことは怖くて想像なんてできません。


ただ1日1日を、大切に精一杯生きることだけです。


過去を振り返りながら、現在の小春のママの状況を書き連ねていこうと思います。