教科書から消えたもの 十二単 | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

え… 「十二単」は、教科書にものっているよ。古典でも習ったはず…

その通りです。ただ、現在の教科書では

「平安時代の貴族は、男子は衣冠束帯、女子は十二単…」

と表記しなくなりました。では、なんと表記しているかというと、

「女房装束」

です。「にょうぼうしょうぞく」と読みます。

「十二単」は、実は服装の名称ではなく、袿(うちき)を重ね着した“姿”“様子”を示す言葉だったのです。平安時代前期から中期にかけては、十二単という言葉そのものも記録にはみられません。

貴族の女性の服装=十二単

というイメージが広がり、ついには、もともとの「五衣唐衣装」という服装そのものを「十二単」だと人々に思い込ませてしまいました。

ちなみに、平安末期から鎌倉にかけて「十二単」という言葉を用いるようになった(それでも服装を意味する言葉ではなく)のは、

『平家物語』『源平盛衰記』

の「ある記述」が誤解の始まりであったろうと言われています。

壇ノ浦の戦いの最後の場面。(「建礼門院徳子の入水の段」)

  弥生の末の事なれば
  藤がさねの十二単の御衣を召され

これだけ読むと、あたかも「十二単」という衣装があるかのようにも思えてしまいます。

それから、中学生くらいだと、「十二単」を、12枚の衣装だと思っている子もいるのですが、もともとは、「単(ひとえ)」に「袿(うちき)」を12枚着ている、ということになるので実際は13枚、ということになります。
より正確には、小袖・単・袴をはいて、上に重ねる、ということです。

そもそも「十二枚」も重ねるのは、当時では「過ぎたること」として奢侈をいましめる禁令の中で控えるように通達が出され、平安末期では5枚くらいが一般的でした。

「十二単」の重量は20キログラムを越える、と、説明する場合ももちろんありますが、あくまでも現在の繊維材料でつくられた衣装の場合で、実際はもう少し軽量であったかもしれません。

というようなわけで、教科書には“俗称”ではない「女房装束」という表現に変えられるようになり、「十二単と呼ばれた…」というようなややぼやかした表現が補足される、というようなものになっています。
高校でははっきりと「十二単は俗称だ」と説明される先生もおられ、小学校の教科書でも「十二単」という表現はなくなりつつあります。