戦争は終わっていません
戸籍では長男で良いのでしょう
父には私の前に一男一女がおりました
母には男の子が二人
唐突ですが 人口2万ほどの小さな町に生を受けました 標高759mに位置する湖があるある町です その町の中心部に小さな商人宿を営んでいたと聞いていました
町の中心部道路沿いの建屋は空襲の延焼防止のため国が買い上げて(勿論代金は手に入りません)解体道路幅員拡張を行ったとのこと 商人宿廃業となりました
話がとんでしまいますが 私は甲子園高校野球の試合開始のサイレンが苦手です あの音は背中に悪寒を走らせます
記憶にないのですが あのサイレン音は空襲警報のサイレンで母が私をおぶって防空壕へ走り込む緊迫感が母の背中から伝わり私の中に刷り込まれたのでしょう
43年というのはそんな年だったのでしょうね