わたしの中には
内なる11人の陪審員がいます
何かを決断するとき
誘惑から逃れるとき
選択を迫られたとき
しあわせなのか
楽しいことなのか
ワクワクしてるか
後悔しないか
望んでるのか
真実なのか
感謝できるのか
前を向いていられるか
何かを教えようとしてくれるのか
信じられるか
情熱はあるか
愛はあるか
エコロジーは?
いつもわたしは
”直感で決めてる”って思っています
きっとそこでは
ものすごいスピードで
11人の各パートが働いてくれている
彼らを操作しようとしても
それは無理
わたしには変えられないんです
素晴らしい
最良の選択をしてくれると
信じて待ちます
そして、パートたちが出す答えと
わたし(と思っているパート)の答え
これが最近、ほとんど一致するんです
これって
わたし自身に一貫性があるってこと?
これを世間では
芯がある
とか
ブレない
っていうのかもしれません
じぶん一人だけで
答えを出し(ているように見える)
あるとき、近しい方に
”個”ってものが強くなってるんじゃないか
って言われました
そのときは
なるほど~って思ったんです
でも
なんとなくだけど、そうじゃない
浮世離れ?したいわけじゃない
特別感を出したいわけじゃないんです
潰しが効くっていうの?
要するに
柔軟でありたいって思います
もっと詳しくは
わたしの中の11人に
聞いてみよ~って思ってます(笑)
追伸
アメリカの陪審員制度がテーマの大好きな映画がヒントになりました
パートって、いったいどのくらいあるのか?
それはまだわかりません(笑)
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いつもありがとうございます