私は小さい頃から父が野球の監督をしており、物心ついたときには野球を始めておりました。

小中高と野球付けの日々を送り、高校3年の夏に引退し母校でコーチを3年間務め、甲子園を2回経験させていただきました。

 

それから自分の人生を、野球で夢を追いかけている学生のために毎日時間を使いたいと思い、少年野球、中学野球の指導に情熱を注いでいたとき、、、、、、、私の人生が変わっていくのでした。

 

 ある時、クラブ側と保護者側でのトラブルがきっかけとなり、子どもたちに野球を教えることが出来なくなってしまいました。

何故子どもたちの夢を大人の感情で奪ってしまうのか、今思い出してみても悔しさがこみ上げてきます。そんなときに子どもたちが私の家を訪ねてきました。「野球を教えてください」泣きながら伝えてくるその姿に私は、「ごめんな、」としか言えず、当時、私に対しクラブ側は「お前が子どもたちと会ったら子どもたちに野球はさせない」と伝えられていました。

後に聞いた話ですが保護者とクラブ側の妬みからこの件が起きてしまったと聞かされました。

それでも毎日のように訪ねてくる子どもたち、それを会わせないようにするクラブ側の日々が何日間も続き、その日々を過ごしていた私は{私がいるから子どもたちの人生は奪われるんだ。私がいなくなれば子どもたちは野球が出来る日をまた過ごせるんだ}と

毎日思い続ける日々の中、私はとある神社にいき{私の命はどうなっても構いません、子どもたちのことはどうかお守りください}と祈りを捧げていました。

 ある日の朝、夢なのかわかりませんが突然、言葉が聞こえてきて{よいか、そなたはこれから色々なお方を救いへと導くのじゃ、よいな}、、、、、、、、、。気がついたときには病院の集中治療室でした。この今の状況は何だったのか、あの声は何だったのか、寝ていた私の周りを色々な方たちが泣いて囲んでいました。これが私と私の最初の出会いだったと思います。

 

 数日後、私は退院し子どもたちは野球を再開したと聞きました。本当に子どもたちには申し訳ないという気持ちや色々な思いがあったのを思い出します。退院してある日、年配の女性から突然「あなた出雲大社から呼ばれているから出雲大社にいくよ」と話しかけてきました。私が困惑していると一緒にいた友人が「何してんの」と聞いてきたので、私は今起きたことを説明しました。

するとそんな人はいなかったと言ってきたのです。今でもその友人に聞きますがいなかったと話します。一体何だったのか、、、、

その話を聞いてから私は{出雲大社ってどこにあるんだろう}そんなことを考えて数日を過ごしていました。

 

 数日過ごしていると知り合いの方から電話がきました「島根にある高校の野球部で指導者を探しているけど一回話聞かないか」と

御連絡がきました。「分かりました、聞きます」と返答しその高校を訪ねていきました。

高校の方へついた途端全身鳥肌がたちました、出雲大社に1番近い高校だったのです。野球部の監督さんとお話をさせていただき

手伝わせていただくことが決まりました。

しかし、、、、、ここからさらに大きく私の人生が変わっていくのでした、、、 続く。

 

 

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                                                琥珀