いいともの32年の歴史に幕が下りた。
なんだかんだ色々あったらしいけれど、改めて国民に愛されていた番組だったということが、
昨日のグランドフィナーレを観て感じた。
歴代レギュラーメンバーのスピーチは、後世語り継がれるであろう、
どなたも素晴らしいスピーチだった。
そしてタモリさんの人徳、その人柄がいかにすばらしいものであったかを
しらしめた。
「タモさんは、32年間一度もいいともに慣れなかった。少し照れて、我を押し通さず、
そしてそれが長いこと番組を続けてこれた所以」
何をするにも、「慣れ」というのは、大事だと思う。
「慣れること」がいいもので、新しいことを始めたら「早く慣れなきゃ」と自分に言い聞かす人も、
少なくないだろう。
「慣れること」で仕事のスピードがあがるし、人間関係もスムーズにいく。
効率が上がって、ストレスも少なくなる。
でも、「慣れすぎ」ると、思考力が鈍り、そこに慢心が溜まって、そして今度は向上心や創造力が減っていくのかもしれない。
これから新しい仕事が始まるわけだが、
「慣れないこと」を意識して、常に改善を繰り返す。そんな風にやってみよう。
タモさんを分析するわけではないけど、
「慣れずに」やっていたのに、でも「緊張」は見受けられなかったと聞く。
「緊張をしない人」というのは、以前サッカーの岡田監督も言っていたけど、
「自分のことが正確にわかっている人。つまり、良く見せようとか、自分の力以上のことをしない人」のことだと僕も思う。
「自分はこんなもんだ」と卑下するつもりはないけど、
「自分の持てる力で、自然体にきちんとやろう」と、普段から意識していくことがいいのかな。
あんなおじさんになりたいね。
そして、中居くんが言っていた、「バラエティーはいつか終わることを考えずにやる番組」という言葉もなかなか考えさせられた。
僕らがやろうとしている飲食の道も、同じだ。
終わりがない。
だからこそ、「慣れ」てはいけない。
常に、「改善」、「昨日よりもいい1日を」、「以前来た時よりも良くなっている」そんな運営を心掛けていこう。
終わりがないことは、考え方によっては素晴らしいこと。
可能性を制限されず、いくらでも改善できる。
あ、まとまらんかった。
やっぱり、コミュニケーションって難しいな。
十人十色とはよく言ったもので、
自分だったらこうするのに、が相手にわかってもらえないとなかなかつらいものがある。
人に気持ちが伝わらないのは、
自分の熱意が足りないのか
自分の自信が足りないのか
自分の語彙力がつたないのか
色々と工夫はしてみるものの、根本的に何かが欠けている気がする。
しかもその工夫ははたからみれば本当に微々たるものなんだろうし。
それもわかってるけれど、
自分の中では大きく変化させているつもりでもあって…。
難しいなー。
応用問題を解いてるつもりだけど、
答え合わせをすると、そもそも基本の公式が間違っている。
そんな感覚。
社会に出ると、色んな人と出会う。
それぞれが背中に色んなものをしょっていて、
それを守るために戦っている。
時には相手のことを配慮する余裕もないこともある。
だからと言って、こっちも引くわけにはいかない。
そんな争いが面倒だけれど、そうも言ってられない。
なぜかって…お金が関わってくるからね。
不毛な世の中だなー。
ガンバロー
そして、そろそろ生活リズムを取り戻さなければ…!
日常のいたるところで、「普通」という言葉を耳にする。
「この場合は、こうするのが普通だ」とか、
「普通、そんなことはしない」とか。
この場合の「普通」とは、「メジャー」だとか、そんな言葉に言い換えられて、
つまりは、「大多数の人は、こうするよ」と、過半数の意見をもとにした行動を意味する。
中立性のない「普通」。
僕を含めた天邪鬼な人間は、この「普通」って言葉が苦手で、
「・・・でも、こんな人もゼロではない」と言いたくなるところなんだけど、
集団の中ではそんな小さな声はかき消される。
そして、集団の意見は時として、間違ったほうへ進む場合がある。
アメリカ陸軍の昔の話で、こんな逸話があったらしい。
訓練を終えて暇を持て余した4人のうち、一人がふいにこう切り出す。
「アビリーンに行こうか」
アビリーンとは、近くにある都市のことで、別にこれといった商業施設があるわけでもないが、
今いるキャンプよりは、退屈しのぎになるような街。
ほかの3人はわけもなく賛成し、4人でバスに乗り込みアビリーンを目指す。
到着してからは、カフェでコーヒーを飲んだり、道行く人を眺めたり、馬鹿な話で盛り上がったりした。
そんな4人それぞれに後日話をきいたところ、全員が「別にアビリーンに行きたくはなかった」と答えた。
この逸話から、アメリカ陸軍の会議などにおいて、意図せず間違った方向に進んでいるようなときに、
「どうやら我々は、アビリーン行きのバスに乗ろうとしているようだ」と言うようになったとか。
こんな経験は誰にでもあると思う。
就活の集団ディベートなどでも、いかにもクラスの人気者みたいなやつの意見に流されて、チームの意見が結果的にわけのわからないものになったとか。
ビジネスの会議でも、課長の発言にとりあえず賛成したものの、みな納得はしていないけど対案が浮かばない時とか。
こういった、事なかれ主義は、仕事において、一番怖いものだと、
まあ、社会人の方々はみなわかっているとは思うけど、
納期や、締切、立場など、ほかの要因が相まって、そのままいっちゃうってことも少なくないと思う。
アイビーン行きのバス、
乗る前に気づいている人も多いだろう。
こんなときに、
ただ乗車拒否をするのではなく、
違う行先のバスを提案する。
この気持ちが大切だと思うんです。
「この場合は、こうするのが普通だ」とか、
「普通、そんなことはしない」とか。
この場合の「普通」とは、「メジャー」だとか、そんな言葉に言い換えられて、
つまりは、「大多数の人は、こうするよ」と、過半数の意見をもとにした行動を意味する。
中立性のない「普通」。
僕を含めた天邪鬼な人間は、この「普通」って言葉が苦手で、
「・・・でも、こんな人もゼロではない」と言いたくなるところなんだけど、
集団の中ではそんな小さな声はかき消される。
そして、集団の意見は時として、間違ったほうへ進む場合がある。
アメリカ陸軍の昔の話で、こんな逸話があったらしい。
訓練を終えて暇を持て余した4人のうち、一人がふいにこう切り出す。
「アビリーンに行こうか」
アビリーンとは、近くにある都市のことで、別にこれといった商業施設があるわけでもないが、
今いるキャンプよりは、退屈しのぎになるような街。
ほかの3人はわけもなく賛成し、4人でバスに乗り込みアビリーンを目指す。
到着してからは、カフェでコーヒーを飲んだり、道行く人を眺めたり、馬鹿な話で盛り上がったりした。
そんな4人それぞれに後日話をきいたところ、全員が「別にアビリーンに行きたくはなかった」と答えた。
この逸話から、アメリカ陸軍の会議などにおいて、意図せず間違った方向に進んでいるようなときに、
「どうやら我々は、アビリーン行きのバスに乗ろうとしているようだ」と言うようになったとか。
こんな経験は誰にでもあると思う。
就活の集団ディベートなどでも、いかにもクラスの人気者みたいなやつの意見に流されて、チームの意見が結果的にわけのわからないものになったとか。
ビジネスの会議でも、課長の発言にとりあえず賛成したものの、みな納得はしていないけど対案が浮かばない時とか。
こういった、事なかれ主義は、仕事において、一番怖いものだと、
まあ、社会人の方々はみなわかっているとは思うけど、
納期や、締切、立場など、ほかの要因が相まって、そのままいっちゃうってことも少なくないと思う。
アイビーン行きのバス、
乗る前に気づいている人も多いだろう。
こんなときに、
ただ乗車拒否をするのではなく、
違う行先のバスを提案する。
この気持ちが大切だと思うんです。
