空蝉のなかに、

本当の意味で充実している人なんているのだろうか。


馬鹿を言うな。

二ヶ月前の自分は、間違いなく充実していただろ。


ならば、問題はそこではない。

「充実」とは一体何なのか。


知らなかったことを、知らないままでいられたとき。

その無垢さの中で、人は充実を感じていた。


けれども、知らなかったことを知ってしまった瞬間に、

心には空白が生まれる。


だとすれば、二ヶ月前の自分もまた、

まだ見ぬ空白を、隠し持っていたのかもしれない。


遠くで鳴る自転車のベル。一斉に飛び立った電線に並ぶ雀。

息を呑むほど美しい、日常のひととき。


今それを前にしてなお、

「充実していない」と口にできるだろうか。


答えは、否。