自分のままで、生きていくんだ【こどものアトリエ こぐま@兵庫県川西市】

自分のままで、生きていくんだ【こどものアトリエ こぐま@兵庫県川西市】

こどもからおとなまで、色んな特徴を持った人間が、お互いの良さやおもしろさを味わいあうアトリエです。こどももおとなも、自分のままで、生きていくんだ。

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我が家の長男。
幼稚園に行きたいか行きたくないかを、
その日の朝に決める男。

 

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あいつすげー休むなぁ!ってなった6月頃から、

幼稚園の先生たちにも事情
(というか彼の性質を)をお話しして、
休みたい息子本人が幼稚園に電話をしています。
(だって私が休むんじゃないしね)

そんな息子。
今週頭に休んだことをきっかけに、
祝日はさんで昨日もお休み。

息子「きょう、ようちえんおやすみします!」←超元気
先生「あら~!そうなの?どうして?」
息子「おやすみしたいからですっ」←めちゃ元気
先生「あら~そうなんや~ほなら明日また会おうね!」
息子「は~~い///」←なぜか恥ずかしがる

こんな感じ。

で、今日も休む!って言ってきたけど、
わたしは家に居ないので一緒にいられないよ、
と伝えて幼稚園に行ってもらいました。
別れ際に号泣。
幼稚園入園は4月だから、
みんなとっくに慣れてるわけで。
この時期に園庭で「まま~~!」
とか言ってる人はいないわけです。
まま~~!と泣いている彼を背後に感じながら、
ふと思ったこと。

わたしに今できることって、
彼がうしろで泣いているその声を聞くことだけだな。

普通ならもう幼稚園にも慣れっこで、
通うことが普通になっている時期に泣く彼。
休みたいときに休ませてきたから当然かもなと思う。
じゃあ、「慣れない」ってよくないの?
「慣れない」って可哀想なの?
親のわたしがしっかりしなきゃいけないの?
ちょっと考えてみたけどだめだった。
そこに興味がなくて。

興味があること。
彼が幼稚園になんだか行きたくないと思う、
その「なんだか」の部分。
行ったら楽しかったと思うけど、でも次の日には
やっぱり行きたくないと思うこともあること。
なんだかわからないけど、行きたい日もあること。
この「なんだかわからないけど」というところを、
彼は感じられているだろうか?
その時間を私は守ることができているだろうか?
ということにはものすごく興味がある。
そしてわたしはそのあやふやな感情こそを、
とても大切に思っている。

このあやふやさをないがしろにするのはすごく簡単。
蓋をして、なかったことにするのは一瞬でできる。
いつでもできる。
そして、蓋の仕方はどこででも教えてもらえる。
「がんばろう」
「そのうち楽しくなるから」
「とにかくまずは幼稚園においでよ」
「周りのみんなが待ってるよ」
善意に満ちたその声かけも、
「あなたのそのあやふやな感情は、
あやふやなんだから一旦見ないことにしよう」
「それより外の要求に応えてみようよ」
っていう提案のひとつだと思う。
そういう提案は、いつでも誰にでもできる。

だけどあやふやな感情って、蓋をしたと思っても
もやもやと私たちの中にあり続ける。
私たち自身に影響を与え続ける。
そのもやもやを一緒に見つめようとする人って
そんなにいない。
そういう環境も、あんまりない。
めんどうだし、遠回りだし。
もやもやに蓋をするのは手っ取り早いからね。
 

だから、私だけでも。
彼の中にあやふやな感情が生まれたとき、
できたてほやほやのうちに味わう時間を
可能な限り保障したいと思ってる。
そのあやふやさはどうでもいいものではないんだよ、
あなたの中のたいせつなきもちなんだよ、
というメッセージを常に発信していたいと思う。

そしてそれは同時に、
母である私自身の内なる声も大切にし続けるということ。
だから今日みたいにお互いのリクエストがすれ違うとき、
わたしはわたし自身のリクエストを優先させる。
おとなの力を発動させてる後ろめたさも感じつつ。
リクエストが通らなかった彼は悲しいよね。
だから今、泣いてるんだよな。とか思いながら。
すまん!息子よ、帰ったら、お膝抱っこで話でもしよう。

***

休みたいときに休む。
なんだかわからないけど、を立派な理由にしてみる。
社会的に怠惰かどうかよりも、
自分の内なる声に耳を傾けているかの方が、
私にとってははるかに大事なこと。
それができなくて常識だけ身について、
なんとなく社会に適応することはできるやろけど、
それって本人幸せなの?って心底疑問。


幼稚園に行かなくても、
小・中・高校で不登校と呼ばれても、
おとなになってフリーターと呼ばれても、
ひきこもりと呼ばれても。
周りから見てラクじゃなくても、
普通の道を歩めなくても、
彼が自分の内側からの声に従っているならば、
そんなにかっこいいことはない。
自分を生ききることができたなら、
その生き様は世界中どこにもない芸術だ。

そして、どんな状況だろうが受け入れて、
自分の内側をとことん探求して、
見事に生きている人を私は何人も知ってる。
その生き様のかっこよさを私は知ってしまってる。
だからこうやって言い切れるのかもなあ。

こどもたちにも、おとなたちにも、
紹介したい人がたくさんいます。
生きてるって、自分であることって、
本当におもしろい。
そう思っている人たちとの付き合いほど、
心地の良いものはない。

そういう人との繋がりがあることに感謝。
この輪が広がりますように、力を尽くします。


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