過去に自分の心の中でゴジラと大東亜戦争が交錯した瞬間がありまして、気になってネット検索したら結構な方々も同様に感じていたようで、関連する記事に幾つか出会いました。
その中で琴線に響いた物を、僕なりに添削して過去にとあるSNSに投稿しました。
今、それを思い出してアメーバブログに復刻してみました。
ゴジラが背負う大東亜戦争の宿命
「ゴジラは繰り返し日本に上陸し、東京の街を破壊する。復興した日本社会を執拗に壊し続け、『戦後』というものへの無言の抵抗を示した。
これは戦争の死者を表象していると私は考える。
戦争の大義を信じて死んでいった人々が、戦後に民主化した日本の姿を見て『おれたちのことを忘れるな』と叫ぶ。
それがゴジラではないか。
(中略)公開当時『ゲテモノ映画』といわれたゴジラについてただ一人、三島由紀夫だけが『文明批判の力を持つ』と語り、本質を見抜いていた。
その後、ゴジラは作り続けられたが、最近になって観客動員数も激減した。
古い価値観も薄れ、日本人の無意識の感応度が乏しくなった」
加藤典洋(日本経済新聞2006年1月5日)
また、ある人はこういう話しをしている。
『ゴジラ』が制作された1954年という時代を考えてみよう。
多くの観客がこの南から突然に到来する脅威に,9年前にほとんど日本全土を焼き払った感のあるアメリカの爆撃機B29やB52を想起したとしても不思議ではない。
事実,このフィルムのなかには,またしても空襲と嘆く一般人の対話のシーンがあり,戦時下の軍と同様に住民の強制疎開のシーンがある(前者はアメリカ版からは,注意深くカットされている)。
放映が開始されたばかりのTV画面からは,すっかり瓦礫の山と化した東京と負傷者たちの映像とともに,少女たちの歌う,かつての原爆犠牲者を追悼する鎮魂歌の合唱が流れている。
それは第2次大戦における日本の悲惨を連想させる。
だが,より明確に理解されるのが,核爆弾の隠喩としてのゴジラという考えである。
フィルムの冒頭に置かれた漁船の遭難は,先に触れた日本漁船の被爆をたやすく想起させるし,逃げ惑う人びとのなかには,「せっかく長崎で命拾いをしたのに」と,みずからの不運を嘆く科白を吐く者もいる(この場面もアメリカ版ではカットされた)。
機関銃から戦車まで,あらゆる兵器を向けてもいっこうにたじろがず,それどころか強い放射能をもった光線を口から吐く怪物は,それ自体が核爆弾そのものといえる。
それを裏打ちするかのように,尾形は語る.「ゴジラこそわれわれ日本人のうえに覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」。
また彼の競争者である芹沢博士が長い躊躇の末に,日本を救おうと決意して採用した自爆攻撃は,勝ち目のないアメリカに対してかつての日本が取りえた唯一の手段である神風特攻隊に近い。
ちなみにこの博士は戦時中に片目を喪失し,一見明朗そうに見える戦後社会への,謎めいた批判者として登場している。
とはいうものの,真実はそれほど単純ではない。
なぜならばゴジラは日本に襲いかかる脅威であると同時に,それ自体としては日本と同じように,核兵器の犠牲者であるからだ。
それは,いうなれば広島,長崎の惨禍を越えて生き延びてきた,戦後の日本社会の隠喩であっても不思議ではない位置にある。
映画史的にいうならば『ゴジラ』に先立って,ハリウッドで1953年に『原子怪獣現わる』というフィルムが制作されている。
このB級フィルムのなかでは,北極での核実験のおかげで目覚めた恐竜がマンハッタンを襲うが,アメリカ軍が放った核ミサイルによってみごとに退治される。
そ こでは核兵器の使用にいささかも躊躇はない。
いやむしろ,それは文明の破壊者を退治するために,ぜひとも必要なものだというメッセージが語られている。
『ゴジラ』において特徴的なのは,この怪獣の処理をめぐって,登場人物が積極的に議論を重ねることである。
ゴジラ攻撃のニュースをTVで知った山根博士は,まるで瞑想に耽るかのようにただひとり書斎に閉じ籠り,この怪獣の生存に期待する。
ゴジラは日本にだけ出現した貴重な研究資料であり,ゴジラの秘密を学ぶことは,核時代に日本が生き延びる道を学ぶことにほかならないためだ。
とはいうものの,このフィルムの細部を検討してみると,われわれはそこに第3の寓意が隠されていることを知ることになる。
それはゴジラを,南の海で玉砕した無数の旧日本軍兵士たちに結び付けるものである。
今,試みにゴジラが東京湾から上陸して破壊してまわった跡を辿ってみることにしよう。
彼は品川から上陸して,新橋,銀座へと進み,一番の繁華街を火の海に変えたのち,国家の中枢ともいうべき国会議事堂とTV放送局の塔をやすやすと踏みつぶす。
だがそこでしばらく情報が途絶え,次にわれわれが知るのは,彼がいつしか下町に移って,上野,浅草から隅田川に入り,ふたたび東京湾に姿を消すということである。
東京の地理にいささかでも知識のある者であるならば,ここで注意深く天皇の住む皇居が回避されていることに気付くだろう。
地理的にゴジラは確実に皇居を横切っているはずである。
そして興味深いのは,なぜにこの怪獣がわざわざ南海から日本を目指し,ひとたび皇居に到達するや,ただちに海中へと引き返してしまったかという問題である。
日本人の神話的想像力において,南の海はつねにユートピア的な憧れと神聖なる畏怖の入り交じった空間であった。
それは古代には神が到来する場所であり,中世にあって仏国土へ通じる道と考えられてきた。
19世紀中ごろに西洋的近代化を取りいれたのち,この感情は植民地主義を正当化するものとして大いに喧伝された。
多くの植民者がサイパンやパラオといった南洋に渡り,そのあとに兵士たちが続いた。
敗戦ののちすべての植民地を喪失した日本は,南方への憧れを封じられた。
兵士たちの多くは圧倒的な戦力を誇るアメリカ軍のまえに玉砕し,わずかな数の者だけが帰還を許された。
戦時中に著名な民俗学者であった柳田國男は,日本人の魂は本来は故郷で死ぬべきものであるのに,南洋などの外地で戦死した場合,その魂の行方が定まらないという理由から,反戦論を主張した。
この論理を信じるならば,南洋で死んだ夥しい兵士たちの魂は,はるか彼方にある故郷に戻ることができず,永遠に見捨てられたままであると解釈される。
民俗学者である赤坂憲雄氏は,ゴジラが皇居を目指したのは,彼がひとえに南方で非業の死を遂げた兵士たちの怨霊の権化であったという解釈を行ない,三島由紀夫がこのフィルムに深い共感を寄せたことを傍証としている。
では,なぜそれは恐怖に満ちた怪物の形をとって出現するのか。
フランクフルト学派が説く「抑圧されたものの回帰」という図式は,この問いをめぐってなにごとかの真理を教えてくれるだろう。
ゴジラが恐ろしいのは,戦後の民主化された繁栄を生きる者たちにとって,戦時中の死者たちの映像が,できることなら抑圧し排除しておきたい悍ましいもの(アブジェクション)にほかならないためである。
それは戦争をめぐる日本人の歴史的忘却の問題と,深く関連している。
ちなみにゴジラが東京を訪れたとき,天皇裕仁は54歳であったはずであり,海洋生物の研究に余念がなかった。
ゴジラが破壊した服部時計店は終戦直後、進駐してきたGHQに接収され軍のPX(軍専用の売店)となり、貧困極める世間を後目に豪華な商品と、着飾った日本人女性店員と、それを口説きにやって来る米軍兵士でひしめき合っていた。
そんな光景がゴジラには許せなかったのだろう。
英霊となった日本兵士達の思いを背負ったようにゴジラはその建物を破壊した・・・。
次に続く


