12月15日がまもなく終わる。

 

また、この日が。

 

いうまでもなく赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日だ。

忠臣蔵ファンにとっては、3月14日と並び、忘れられない一日。

 

もちろん江戸時代の暦は今の暦と違うけれども、

大石内蔵助率いる赤穂浪士たちは元禄15年(1702年)12月14日の深夜、つまり15日の未明、午前3時過ぎごろ、

本所松坂町の吉良邸に討ち入り、本願を遂げた。

 

赤穂浪士ファンにとってはある種のタブーだが、

主君の無念を晴らすと誓った仲間たちも、経済的な困窮や、江戸での新しい生活における人間関係で、

数多くの脱落者が出ていた。いわばギリギリの決断が、年末のこの時期だった。

 

一方、赤穂浪士ファンの僕でも、吉良上野介の遺族のことは気になった。

上野介の孫で、吉良家を継具はずだった義周は諏訪に配流となり、そこで若くして死んでしまう。

そして吉良家は途絶える。

 

諸行無常を感じる。

 

名古屋に単身赴任している時、愛知県の旧吉良領にある吉良家の墓地を訪ねた。その時の動画こちら。

 

【忠臣蔵】吉良上野介の墓詣りに行ってきた!

 https://youtu.be/FwpRB37x7z8