忠臣蔵のもう一人の主人公はもうちろん、吉良上野介だ。
実は忠臣蔵好きの僕も、この「義央」という名前の読み方に迷ってしまう。
一般的には「よしなか」だろう。
だが、今回、吉良家の菩提寺である愛知県西尾市吉良にある花岳寺の住職・鈴木悦道師の著書「新版 吉良上野介」(平成7年初版 中日新聞社刊)を読んで、意外なことを知った。
※吉良上野介の墓のある華蔵寺を訪ねた時の動画はこちらから。
それによると
『「寛政重修諸家譜」でも「よしなか」とされているが、それは「央の字の意味が「中」と相通じるために安易に読んだものであろう。
しかし元禄十六年三月から編纂を始めた「易水連袂録」という義士録に、二度までもよしひさと書き入れてある。事件が起こってからわずかに三か月という人々の記憶も生々しい時に記録された史料である。
おそらく、編者が義央の正しい呼び名を知っていて、間違いのないよう仮名をふっておいたものと思う。
さらに、義央の花押の中心に「久」という字が書き入れられてあることを思い合わせ、「ひさ」と読むのがいまは正しいようである』
とある。
どうやらこれからは「きらこうずけのすけよしひさ」と呼ぶのが適切のようだ。