最後の記録 1月17日 ありがとう
リッキーに、たくさんのお悔やみコメントありがとうございました。今だに皆さんの優しいコメントを読むと、涙が溢れます。お返事ができるようになるまで、お待ちください。 下書きにしておいた、最後の記録です。朝7時、ご飯はカリカリとブッチ。抱いて庭に下ろすと、しっかり立って、チッコと💩。リッキー、偉いぞ。昼は、さつまいも、鶏肉、野菜スープ。ご馳走様。今日は、部屋の中をよく歩きまわつたね。3時頃、もう一度庭でチッコと💩。部屋に帰りマットに横になってから、呼吸が荒くなった。「ウォーン」と、何度も鳴いた。何が言いたいの?苦しい? かあさん? 父さん?横になったまま、頭を持ち上げて、キョロキョロ。かあさんも、父さんも、いるよ。呼吸が、身体中でハッハッとなり、「ウォーン」と鳴く。苦しいの?さようなら?ありがとう?身体全体で大きな呼吸。台所にたった私を見ていたとき、急に身体を二つにおりまげた。駆け寄り寝かせると、足を何度も突っ張った。そして呼吸が止まった。1月17日午後5時52分,リッキー、もう苦しくないね。楽になったね。よかったね。ちゃあくんが何がを感じたように、父さん母さんと一緒にリッキーの傍らに座っていた。別れを知っていたんだね。18日は、マックの月命日。マック、付き添いよろしく。1月18日午後3時.寒い寒い空に、リッキーはマックと一緒に駆け上がって行きました。 11月13日、ミルクランドで仲良しのお友達と待ち合わせ。行っておいてよかったみんなに会えてよかった11月23日、突然動けなくなり、24日の診察で脾臓からの出血の診断。12月15日、二回目の出血。心臓のエコーで、血管肉腫が判明。もう手術は不可能。余命は最初の出血から2ヶ月。せめて免疫力をたかめようと、タンパク質の多いフード、漢方薬、手作りフードと試した。リッキーは、最後まで、一生懸命食べてくれた。そのせいか、痩せずやつれず、首周りのフワフワな毛も元気な頃のまま逝ってくれた。年末には右目に傷ができ、毎日三回の点眼。年明けには、下痢。正月の二日、診療している病院へ。どちらも、よくなったよ。歩けなくなったり、必死に歩いたり。その繰り返しだった。チッコをしようとして、尻餅をついたり。それでも、最期の日は、ちゃんと4本足でチッコも💩もできた亡くなったとき、オネショシーツに大量のチッコが出てた。寝たままのチッコは、この一回だけだった。短か過ぎる55日間の介護だったけど、この上なく濃密な時間だった。リッキー、幸せな時間をありがとう。昨夜、リッキーがソファーに座っていました。身体が弱ってからは上がれなくなっていたソファーです。目が覚めて、リッキーがいたとビックリ。リッキー、上がれたのね。さらちゃんママが、いいお顔と言ってくれたリッキーの最期の写真です。見たくない方は、退室してください。わたしは、忘れないために、記録します。リッキー、大好きだよ。リッキー、またね。