「叱る」と「怒る」
この境界線を超えてしまったかもしれないな、と。
・・・悶々と福岡に向かう機内で考えていた。
今朝一番で重大なミスが部下Aに発覚。
しかも、二度目。
未遂も含めれば、三回目。
ミスを起こした理由を問うと慢心であったことがすぐに判明。
でも、当人はまるで他人事のよう。
お客様から直接お叱りを受けた先輩Bが私に謝ってきた。
いや、それは違うでしょ?
ミスしたのはAであり、Bが謝るのはおかしい。
なぜ、Bが謝るのか?というと、Aの教育ができていないから。
それはBは自分のせいだと思っている。
その考え方全ては否定しないけれども、ミスに対して反省をし、
再発を防ぐにはどうしたら良いのかを
考え行動するのはA自身にしかできないのだ。
冷静に努めようと自分に言い聞かせたつもりだけども、
Aにはかなりキツイ言い方をしてしまった。
明らかに怒りの感情のほうが勝っていて、声にそれが現れてしまった。
もっと別の言い方があったのではないか。
もっと別の場所で叱っても良かったのではないか。
これが年下の部下ではなく、年上の部下に対してなら
どのように叱っただろうか。
もっと別の方法を選んだのではないか?
なんて後味の悪い終わり方なんだ。
叱ることは上司にとってまさに自分との闘い。
叱る姿は、自分を写す鏡。
こんなふうに後ろめたい気持ちになったり、後味の悪さを感じるのなら、
今一度、叱り方を学んでいかなければならない。
私はこの話を客観的に見てくれそうな、第三者に打ち明けた。
今と昔の若者は違うんだという厳しい意見もあった。
想いに寄り添ってくれる人もいた。
さらに、別の見地から部下を診てみたらどうか?というアドバイスもあった。
ここから解決への糸口が見つかるかもしれない。