タイトルは「天寿を全うした大叔母」、にしようと思ったが、

本人がそう思っていたかわからないので、

『100万回生きたねこ』のようなタイトルになってしまった。

 

 

 

長文です。自分の為の備忘録であり回顧録です。

 

 

 

おばさんはいつもニコニコ笑っていた。

 

そして周りの人も笑ってる。

 

みんなが近寄りたくなる人なのだ。

 

いつも幸せそうに見えた。

 

周りの人を幸せな気持ちにする人だった。

 

 

 

 

最後に見た時もおばさんは笑っていた。

 

 

 

大叔母(祖母の妹)に最後に会ったのは8年前のお正月。

九州の実家に帰った時で、祖母の葬式以来6年ぶりだった。

 

 

この頃のワタシは、

自分の存在があやふやだった。

家族のことの全てが行き詰まり。

これまでの自分の人生の足元がフラフラ、確かなものが何もなく、

ただ宙に浮かんでいるような気がしていた。

 

 

大叔母に会いたいと思っていた。

大叔母に会えば、何とかなる気がした。

 

 

 

祖母は享年97、14年前に天に召された。

祖母は戦争で夫と赤ん坊を亡くしている。

微笑むことはあっても声を出して笑うことは滅多になかった。

 

 

 

大叔母は祖母と同様、夫を亡くし女手一つで子どもを育てたが、

いつも明るく周囲を笑わせる人だった。

 

 

 

大叔母は実家の近くの老人ホームに入居していた。

老人ホームに入居し15年くらいだろうか。

 

 

 

部屋は六畳ほどでベッドと小さなテーブルと椅子があり、

半畳ほどのクローゼットがあるだけ。

 

老人ホームに入っている人達は超ミニマリスト。

親にも最後はこうあって欲しい、切実に。

 

 

 

壁にはマリア様の御影が貼られており、

テーブルにはマリア様の御像や十字架、お祈りのためのロザリオ、

湯呑みやお菓子があり、おばさんの日常がそこにあった。

 

 

 

おばさんは身長135cm位。顔も小さく痩せ形で小人のようだ。

目がクリクリして、丸い鼻には愛嬌があった。

髪も昔ほどではないがまだ黒髪がふさふさで、

白髪がほとんどなかった。

 

 

昔、肌は浅黒かったが、この時は少し白くなっていた。

思い浮かべれば目に浮かぶ、あのいつもどおりのニコニコ笑顔だ。

 

 

 

スック と背筋を伸ばし立っている。

1月の寒い時期だというのにお風呂上がりなんだと言って、

素足でサンダルばきだった。

 

 

小柄なのに足は大きかった。

背中で腕を組み、背筋を伸ばして立つその姿は

まるで弥生時代の人のようだった。

イメージです。

 

 

食べるものは米と魚だけ、みたいな。

 

 

ホームではそのような事はないだろうけど、

祖母の食生活はそんな感じだった。

米と魚と野菜、梅干し、漬物とお茶。

時々おやつにふかし饅頭かふかし芋。

 

 

 

若い時は女手一つで子ども達を育てる為に

荷をかついで行商したらしく、畑仕事もしていたから

体の丈夫さが現代人とはかけ離れていた。


 

 

ここから方言での会話ですが、ところどころ標準語で要約します。

 

大叔母との会話は全て方言だったのだが、

夫も娘もニコニコ笑って相槌を打っていた。

 

90%以上何を言っていたのか分かっていなかったと、

あとから聞いて驚いた。😮

…………………………………………………………………

「まー、珍しかもんの来たってー。あっれまあ、

遠かとこからよう来てくれてなあ。まあ座らんね。

まあ旦那さんね、よか男って」

と夫を見て言うが、大概のおばあさんは

自分より若い男性に同じことを言う。

 

 

「そん娘は まあだ この間生まれたばっかりの赤児たい。

ええらしかってなあ」

と10代の娘に言うが、

大概の年寄りは若者に同じことを言う。

 

 

ええらしか=可愛い

 

 

「珍しい人が来てくれたね。遠い所から来たね。

 まあどうぞ座っておくれ。

 旦那さんかい、いい男だね。

 その娘はまだ生まれたばかりの赤ん坊みたいなもんだ。

 可愛いね。」

 

(ベッドの上で何か縫い物をしていた様で、片付けていた。)

 

今、隣の部屋の人が来て、ズボンが長くて自分には着られないから

大叔母にあげるという。

 

裾上げすれば着られるから、ズボンの裾上げをして

その人に返しに行くところだ。

ちょっと隣に持っていくから待っててね、と言う。

 

 

黒っぽいズボンを裾上げし、針に糸を通すのも大変じゃないのかと訊くと、

なんてことない、これくらいすぐ終わると言う。

 

 

 

ホームじゃみーんな死んでしもうてなあ、人も入れ替わるばってん、

私はこがんして生きとっと。ははははは。

 

ホームではみんな死んでしまって人が入れ替わるが、

私はこうしてまだ生きている。ははははは。

 

 

 

姉さん(私の祖母)は97歳までで、100歳を超えられなかったね、

と寂しそうに言う。

 

 

 

今、私ゃ95になるばってんまだまだ生きたかって思うねー。

もう死んでよかっては いっちょん思わん。

 

私は100歳まではなんとか生きるじゃろうばってん、

もっともっと生きたかって思うねー。

もっとあちこちに行きたかって思うったい。

 

今95になるが、まだまだ生きたいと思う。

もう死んでもいいとは全然思わない。

 

私は100歳までは生きるだろうけど、

もっともっと生きたいと思う。もっと色んなところに行きたい。

 

 

あなた達は飛行機で帰るのなら、連れて行ってもらいたいくらいだ、と言う。

祖母も同じこと言ってたなと思った。

 

 

テレビは広間にあるけど、みんな気が合うわけじゃないから喧嘩もあって、

面倒だから広間にはあまり行かない、らしい。

 

 

面倒ごとには極力関わらないらしい。

 

 

そして、私達が持って来たお土産を一人では食べきれないから

職員さんに渡すと言うのでついて行った。

 

 

その途中、バケツと掃除道具を持ったお婆さんとすれ違った。

 

 

大叔母は言った。

あの人はボケている。

なぜか知らないがいつもああしてバケツを持って歩いているが、

好きにさせている。

私より10以上も若いがちょっと頭がおかしくなってしまっている。

 

と、口にしてはいけない事もハッキリと大きな声で言う。

 

 

何というか、もう95歳にもなるとこうも堂々と言えるのか、

それとも大叔母の人柄なのか。

 

 

 

老人ホームではいざこざも多いが、

おばは何でも自分でやるので職員さんにも好かれ、

誰とでも友達になれる人なのだと母から聞いた。

 

 

おばはエレベーターも使わず階段をひょいひょい降りた。

 

 

毎日さ、階段ば雑巾で拭きながら降りるとさ。

 

降りたら上がらんばじゃろう。

 

体はきつかばってん、誰もするもんのおらんけんすっとさ。

 

わが為たい。

 

 

 

毎日この階段の拭き掃除をしている。

降りたら上がらなくてはならないからね。

体はきついけど誰もするものがいないから自分がやるのだ。

自分の為だよ。

 

 

 

そして寒い中、

上着も羽織らず玄関の外まで見送ってくれた。

 

帰り際はいつもとても寂しい。

手を後ろに組むのは祖母と同じ癖だった。

 

真っ直ぐに立ち、寂しさをたたえた目で優しく笑いながら、

手を振ってくれた。

 

次はもうないかもしれないと思いながら、

「おばさん、またね、また来るからね、元気でね」と言って

車に乗り手を振った。

 

 

 

足元フラフラだったが、

自分の原点がここにあった。

 

 

ああ、この人はやはり血の繋がった人だ。

根っこの部分はこの人たちから来たものなのだ、

間違ってない。

 

 

老人ホームにいた時間はほんの1時間にも満たなかったが、

おばさんは自分の人生のほんの一部を

しっかりと見せてくれた。

 

 

忘れられない日になった。

 

 

おばは昨年の春、周りの人に世話になったねと感謝の言葉を残し、

103歳で天に召された。

 

 

足を骨折し入院したが、コロナで家族も親戚も見舞いに行けなかった。

もっともっと生きたかったかなあ。

 

 

でも今も天国でばあちゃん達に冗談を言い、

みんなを笑わせながら、見守ってくれているだろうな。