基本情報 
 場所:栃木県小山市梁2075-4
 電話:0285-49-1151
 開館:9:00~16:30
 休館:月曜日、祝日の翌日、年末年始(12/28~1/4)
 料金:無料
 特記:無料駐車場有

国指定史跡 寺野東遺跡
 国史跡寺野東遺跡は、平成16年(2004年)10月に「おやま縄文まつりの広場」として開園しました。
 環状盛土遺構や水場遺構、石敷台状遺構が復元され、併設されたガイダンス施設では、発掘された貴重な遺物の数々や模型、映像などを通して遺跡についてやさしく学ぶことができます。
 寺野東遺跡は、小山市東部の絹地区にあります。
 ここは、田川の西岸の台地に広がる遺跡で1990年からの5年間、工業団地造成にともなう発掘調査が行われました。この調査の結果、旧石器時代から平安時代までのムラや墓地であったことが分かりました。この中でも特に注目された縄文時代の様子について紹介します。まず、縄文時代中期前半から後半(4600年から4300年前)に東側の台地に径およそ190メートルの範囲の大きなムラが営まれました。竪穴住居跡74軒と木の実などをたくわえた袋状土坑がたくさん見つかりました。
 後期初頭(4000年前)になると、ムラの規模は小さくなり、やや低いところに営まれるようになります。このころに水場遺構がつくられます。木の実のアクぬきを目的とした水さらしの施設が見つかったことにより、後期には谷の水を積極的に利用し始めたことが分かります。
 後期前半から後半(3800年から3000年前)になると、村は谷の東西に営まれます。東側には、関東地方では初めて確認された巨大な環状盛土遺構がつくられます。これは、後期前半から晩期前半までのとても長い間つくり続けられたものです。また、谷の小川から見つかった木組遺構は、多くが後期後半から晩期にかけてつくられたものです。
 晩期(3000年から2300年前)のムラは、環状盛土遺構内側のけずられた部分に営まれたようです。また、小川の中にはひときわ大きな木組遺構がつくられました。大型の木組遺構はトチの実のアクを取りのぞくための施設と考えられます。このように、寺野東遺跡は縄文文化の水準の高さを実証する貴重な遺跡であるため、1995年11月8日、国史跡に指定されています。
(小山市ホームページより抜粋)

訪問記録
 訪問日:2024年3月16日
 展 示:常設展