この古墳は、一辺35mの方墳である。
記録によれば、元禄年間以前には開口しており、築造年代は7世紀中葉(約1300年位前)と推定される。
古墳の主体部は、玄室・前室・羨道からなる横穴式石室で、いずれも1~2枚の雲母片岩系の板石を用いて構築されている。
特に、石室の奥壁および西側壁面には、赤色と白色の顔料を用いて靫(ゆぎ)や鞆(とも)、帯状文等の壁面が描かれている。
船玉古墳は茨城県内最大規模の横穴式石室をもち、東国を代表する貴重な壁面古墳である。
(平成11年2月 筑西市教育委員会)

鬼怒川の左岸の河岸段丘上に立地し、一辺約35m、高さ約4mの方墳で横穴式石室があります。
横穴式石室は、羨道(せんどう)部、前室(ぜんしつ)、玄室(げんしつ)からなり、羨道部から玄室までの全長は約11.5mです。
石材は、雲母片岩の板石で、県下でも最大規模の巨石が用いられています。
当古墳は、古くから石室が開口しており、また、玄室の奥壁と西壁とに壁画が描かれていることから、明治時代には鳥居龍蔵らによって調査・報告もなされています。
赤や白の顔料でもって、靱(ゆぎ)と思われる武具や円文、舟などが描かれていたといわれていますが、永い間の開口とともに、その内容は不明となってしまいました。
(筑西市ホームページより)

船玉古墳は、一辺35m 高さ4mの方墳です。
以前は墳丘上に船玉神社が鎮座していたため、墳頂部の一部が削平されたものと思われます。
参道の石段横に南面して横穴式石室が開口しています。
横穴式石室は羨道部(せんどうぶ)、前室、玄室(げんしつ)からなり、全長11.5mです。
筑波系の雲母片岩の巨石を使用しており県下では、最大規模です。 
石室内の壁には、玄室奥壁と西壁を中心に紅白の顔料を使用して武具等を描いた壁画が確認されています。
しかし、江戸時代から石室が開口していたため石材表面の剥離がひどく、絵柄の判別は困難です。
また、石室には「隠里の膳椀由来」と称する椀貸の伝説が伝えられています。
(茨城県教育委員会ホームページより)

 場所:茨城県筑西市船玉247
 特徴: 
 撮影:2020年8月2日