奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられている岩谷堂は、岩山に幾つもの石洞が掘られ、その洞窟に数多くの仏像が浮き彫りにされています。
古くは、横穴式の古墳と思われますが鎌倉時代の「やぐら」形式の岩洞もあります。
明治時代の石碑には、数馬村大悲山岩谷堂清巌寺と記され、本尊は十一面観世音菩薩のお寺です。
線刻や浮き彫りの五輪塔、大黒様に不動様、庚申塔に弘法大師、縄文時代の石棒と首だけのお地蔵様など、長い間、村人の祈りや集いの場所として在り続けた村の博物館です。

天羽作観音霊場三十三番
 南方のむくの世界の岩谷堂
  まいる心は清巌寺
 今朝までは親とたのしみいおいずるを
  ぬいで納めるきよいわの手
(平成18年8月吉日 数馬区)

岩谷堂やぐら群のやぐら(中世の墓地・供養堂)のいくつかは古墳時代の横穴を利用して造られ、重層的である。
回廊の壁面には中世から江戸時代までに彫られたものと考えられる多数の摩崖仏があり、一巡りすれば全国の霊場を巡礼したのと同等の御利益があるとされた。
(富津市文化財マップより)

 住所:千葉県富津市数馬字岩井
 特徴:
 撮影:2020年7月24日