東北地方は沿岸に位置する多賀城という地は・・・・
陸奥国府として在った頃、
896年に貞観津波、
そして、2011年平成の大津波に遭ったそうな。。。
貞観では国府多賀城に遣える役人、
そして、今世では猫として生まれついた者がおる。。。
今世の彼女の名は・・・こえり
貞観、平成共に奇跡的にも生き抜き・・・
(あ、スミマセン!! もちろん前者が空想の産物です^^;)
携帯の写メより
この時間に発見され、“救出”される
あの日がやって来る。。。。
あの日のあの時間。。。。
思いだすと震えてくる。。。。
涙が止まらなくなる。。。。
あの日から日本が、この地宮城も大きく変わった。。。。
人も街も動物も変わった。。。。
あの日を忘れたい。。。。
いや!あの日を忘れない。。。。
復興元年のこの年。。。。
地元のパワーを感じた。。。
大丈夫大丈夫!
宮城は東北は東日本はニッポンは復活する!
そう信じて今を生きる!
あの日を忘れちゃいけない!
無念な思いで亡くなった方々への鎮魂と、
あの日味わった辛さを教訓に変えて、
あの日いただいた沢山の方々からのご支援と優しい気持ちを感謝する気持ちに変えて・・・・
明日を生きる!
生かされた命 粗末になんかできない!
一日一日は貴い宝物!
*詳細は・・・ 震災
3月・・・まだ日が落ちるのは早く
あたりが真っ暗になると所在無げにうろうろ・・・
ライフラインが完全復活するまで1カ月近くもかかった
暗く寒い室内・・・とにかく寒くって恐かった
家具が全部倒れて物が散在し、
それらにドアをふさがれて数日開かなかった自分の寝室。
開けてみるとグジャグジャ。。。
倒れた家具を起こし、
割れたガラスを処理し、上を歩けるようになったのも数日後
↑
カメラのフラッシュでのみ明るくなる室内
↓
カメラのフラッシュでのみ明るくなる室内
↓
陽が出る昼間ならなんとか凌げたが、
夜になるのが嫌だった・・・
暗くなると漆黒の世界・・・
屋内外不気味に静まり返り・・・
賑やかだった港の灯りも津波で打ち消され、
息ができなくなるほど辛かった・・・
恥ずかしながら・・・
家では防犯グッズをほとんど備えてなかった
水も電気もガスも電話も止まったまま・・・
今だったら手回し・LEDの製品が出回ってますが、
当時家にはそんなものなし(哀)。
ラジオに入れる電池さえなく、
情報が全く入らないあの時、世の中で日本で何が起きたのか
全く分からなかった。
原発の深刻な事態も下記にある通り川の水汲みの時にご近所から聞いて初めて分かる。。。
災害直後の情報がどんなに大切であるか痛切に感じる。
トイレ事情も深刻だった・・・
断水しているから流せず。。。
まだ濁流している川から汲もうと近所の方数人と誘い合って試みたが、
危険かつ原発事故による放射能も心配され、自治会の方から止められる^^;
今現在、家ではお風呂の残り湯は次の日に入浴時間ぎりぎりまで残すようになった。
備えあれば憂いなしの心構えがライフライン完全復旧の直後から
スタート・・・
唯一、車内に懐中電灯があるのに気付いた。
電池の消耗を気にしながら、夜間の室内の移動に重宝した。
家族で冷蔵庫にある残り物で冷たい食事をしたとき、
あったかな気持ちになったのがクリスマスに使ったキャンドル
何度も続く余震に怯える日々・・・
幸か不幸かちょっとの揺れにも敏感に反応する能力も備わった。
その後物流が回復し、沢山のお仲間から支援物資をいただくこととなり、
感涙しながら過ごした日々・・・
支援物資のひとつ 使い捨てカイロで
命を救われました。
毛布の中に入れて暖をとりました。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
あの日のことを一生忘れません
忘れることなどできません
人生感が変わった3.11
もうすぐでやってくる
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
*復活!セーラの呟き*
震災で大幅遅れた新学期を迎え、いつもと違う1年を過ごした中学3年生の
入学試験がいよいよ明日に!
津波で家や家族を失って石巻から移って来た生徒も、津波で父親の会社が流され
家計が苦しくなった中も通ってくれた生徒も、
家が半壊した生徒も、
震災でPTSDを抱える生徒も、
明日頑張ります!ファイト!宮城の明日を担う中学生!
今日一日も授業がありますが、ほとんどの受験生が2日前の昨日受験対策授業を終えたため、
セーラの仕事も昨日で一段落しました。