宗教や暴力団の凶悪組織犯罪に関わる犯人とその責任者は死で責任を取るべきだろう。

大した意味のない凶悪殺人の罪は大して意味のない死刑で重罪に裁くのはそれなりの意味があろう。犯罪者は犯罪を選択するときに罰を考えるだろう。人権は被害者の人権を尊重すべきもので犯罪者の人権は罪により制限されても致し方ないだろう。

  人の道を外れた犯罪人を法律でその犯罪人を人道や人権で守る必要があるだろうか。守るべきは被害者の人権だろう。被害者の奪われた人権を犯罪者に負担させるのだ。テロで他者の家族を奪ったテロリストは自分の家族で罪を償わせるのは如何なものだろう。テロリストを産んだ遺伝子の根絶だ。

  組織犯罪は個人の犯罪とは質が違う。人として誠実で堅実な性格の人が組織の使命感で犯罪者になるのだ。洗脳される個人の過失もあるだろうが洗脳を解き組織の犯罪を認識させ行った行為の罰を受けるべきだ。組織の幹部を罰する罰など検討すべきものだろう。

  近世の法律の見地から犯した犯罪は犯罪者個人の責任とのことだ。大した意味も無く不特定多数の人々を殺す犯罪の抑止には、その個体を産んだDNAの根絶こそ必要なことではなかろうか。個人の責任でなくDNAの犯罪として捉えDNAレベルで犯罪防止するのだ。

  優性思想ではない。犯罪を犯罪を犯す遺伝子レベルで考え犯罪の抑制をするのだ。

実施は朝鮮人の絶滅につながる可能性もあるが生き残った朝鮮人の中には世界に貢献できる朝鮮人が誕生するかもしれない。誕生せずに絶滅しても単に朝鮮の問題で関わるべき筋合いのものではない。