アラフォーの研究職です。

国立大で博士号取りました。

今は大学で教えてます。

4か国語できて、更に今もう1言語習得中。

単著もあり、ファーストオーサーの論文が賞を受けたこともあります。


これらの外的な属性をいくつか言えば、すごいですねって言われます。

たぶんすごいんだろうと思います。羨ましいって思う人もいるよね。贅沢って思う人もいるよね。

でも、私辛いです。


1歳のとき両親が別居。原因は母曰く「彼のプライドを傷つけた」(具体的には不明)から。実父曰く、母の宗教が受け入れられなかったから。

そうです、私は宗教2世です。宗派は仏教系。今騒がれているのとはちょっと違うけど、やはり新興宗教です。

3歳のとき両親の離婚が成立。両親は私が生まれて少ししてから母の両親(私にとって祖父母)と同居を始め、そこから実父が出ていく形になって、そのまま祖父母、母、私の4人で暮らしていました。

私にとっては物心ついたときから祖父母と母と私という世界。今思えばその時間が一番幸せでした。

ちょっとした商売をしていた祖父母はそこそこ裕福。母も仕事をもっていたのでお金に苦労はしませんでした。年に2回は家族旅行。写真もたくさん残っています。祖父母と母、私だけに愛情を惜しみなく与えてくれる家族に囲まれて、何の不安も苦しみもなく笑う私の写真です。

小学校に入っても幸せは続きました。たまたま勉強が嫌いではなく、テストはいつも100点。みんなからは尊敬され、友達もたくさんできて、楽しい学校生活。少し田舎ではあったけど、街へは1時間もあれば行ける。伸び伸び暮らしていました。

そのまま行けばどれだけまっとうで素晴らしい人間に成長したでしょうか。


暗転。

小学校中学年のある日。母は知らない男性と待ち合わせて私を遊園地に連れて行きました。その帰り、「あのおじさんと結婚してもいい?」と聞きました。

私ははっきり「イヤだ」と言ったのです。きちんと意思表示をしました。おじいちゃんおばあちゃんと離れるのはいやだ。名前(当時母は婚氏続称で実父の姓を名乗っていました)が変わるのもいやだ。

でも母は聞いてくれませんでした。

転校、祖父母との別れ、新しい知らない家、知らない「お父さん」、知らない「おばあちゃん」、知らない「おじいちゃん」。地獄の始まりでした。


長くなったので次回続きを書きます。