3歳児おてんば娘とポジティブ全開の夫、
石橋をたたきすぎる母の3人家族です。
2020春
娘、幼稚園入園、母パートにて久々の社会復帰!
の新生活の記録やこれまでの育児も
時々振り返りながら日々の出来事を綴っています。
よろしくお願いします♩
(*休園により入園・仕事開始、延期…)

朝、私の母方の祖母から急な電話、
「外に出てない?コロナのニュースで、(私たちが住んでいる)〇〇市と聞いたから」と。
そういうことがあると時々かけてきてくれます。
祖母は東北に住んでいます。
私が小さい頃、せっせと1人働いていたおばあちゃん。県外に嫁いできた私の母も結婚当初から同居していたし、何せおばあちゃん自身が忙しかったから、毎年帰省とかはできませんでした。
物心ついた小学生くらいの時の夏の帰省の時は、
私は早く同居の祖父母に会いたくて、早く家に帰りたくて、トイレに隠れて弟に励まされて涙していました。おばあちゃんの前で泣いたら、それは可愛そう、失礼だと子どもながらに思っていた記憶があります。

そんな私のおばあちゃん、コロナの心配の後は、
昔の話やら、とにかく夫の父母のことを大事にしなさいと毎度お馴染みの話がしばらく続きます。
声は変わらず元気そうだけれど、寂しいんだろうな…と止まらない話をうんうんとききながら、思います。
今は〝〇〇ばぁ〟との愛称で呼んでいるけれど、昔は時々にしか会わないおばあちゃんに緊張して、電話越しに敬語だったの、おばあちゃんはきっと悲しかっただろうな。
その後に帰省したり、冠婚葬祭でこっちに出てきてくれたりして身近なおばあちゃんになったんだけど。そんなことを思い出して、少し涙が出そうになった朝でした。

もちろん、おばあちゃんなので、声だけの電話です、いまどきのオンラインとかはできません(笑)笑い泣き
だけど、ひ孫(娘)のチラッと話す声を聞いて嬉しそうでした!ひ孫とひいおばあちゃんの対面はまだ2回。写真で、〇〇ばぁとわかっているけど、声だけではピンとこなくて、会話にはなっていない…のが何とも残念アセアセ

入園式の写真が撮れたら、色々まとめて送ろうと取りまとめておいた写真、早く送ってあげようと思った朝でしたおねがい
去年の夏、関東から家族3人で弾丸1泊2日のお泊まりで会いに行った時には、娘を寝かせなら出発し、夜中の到着になってしまったのに、嬉しくて嬉しくてプッチンプリンやアイスを出してきて大歓迎してくれたおばあちゃん。
心配していてくれてありがとう。
コロナが無事に落ち着いたらまた会えるのを楽しみにしている、と約束しました。
 
おばあちゃんと行ったお参りした神社から見える風景。

学校の9月入学制の議論とかすごく慌ただしい中でそんな大事なことを急ピッチに進めてしまって大丈夫なの??とか思うことは色々ありますが、、日本全国に平穏な日常が戻る日を願わずにいられません。