冷静でいられ、客観的事実を認識し、尚且つ
最善の若しくは、最良と思える判断ができるのだろうか?
そんな事を本日は考えておりました。
正直なところ・・・私にはその自信は無いです。
その事象が身近であれば、あるほど・・・。
何故、いきなりそんな事を考えたかと言いますと・・・。
別に、急に思いついたわけではなく、そもそもは、
私自身の事も含めて、悶々と考えていたのですが、
仕事柄・・・色んな患者様と出会い、また、数少ないながらも
比較的、柔軟な考えを持つ医師等の同僚や、
これまた、数少ない友人などとの出会いから
そのもやもやが、少しずつ色や形っぽく見えては、消え
消えては、見えたり(視覚的という意味ではなく)した事
からなのだろうと思う。
考えては、止め、また考えては、・・・・・の繰り返しで、
結局のところ・・・答えは、見つからないし、たぶん、
見つけられないと思うし、そもそも答えというもの
自体が無いのか、目の前にあっても見えていないのか・・。
まったく、トンチ問答のようなものだ。
しかし・・・考える事がやめられない止まらない・・・。
比較的知識層と言われる人や権威者の意見というのは、
信じやすいし、断定的にズバッ言われると、
冷静じゃいられない時などは、藁をもつかむ思いで、
疑う、若しくは一呼吸置いて、もう一度考える事など
出来ない人の方が、圧倒的に多いのだと思う。
身近なところでは、「みのもんた」や「あるある大事典」系の
メディアの言うコレを食べて、○○が良くなった、治ったなど・・・
特に、関心が高いものだと、翌日の外来の患者の数が
跳ね上がったり、商品が品切れになったり・・・
それは、私自身、肌で感じていたし・・・。
一時は、同僚との会話でも、誰かが
「おばあちゃんの知恵袋」のような事を言うと、
「それ、みのもんたが、
言っていましたか?(朝ズバでも可)」
と言うのが、お約束のギャグになっていたこともあり・・・。
ささいなことであっても、その程度の事が起きるのである。
ましてや・・・私が、表題にした、究極の状態ともなると、
結果は、想像がつくのであるが・・・。
話しが、横道にそれまくってしまったが・・・。
よく、学校で使われる「内申」ってやつもしかり・・・
秤じゃないのだから数値化出来ないものに、
点数というか、主観で判断されるのは、たまったものでは
ないと、子供の頃から思っていたわけで・・・。
さらに、脳に関していうならば、器質的問題は、分かっている
部分も多々あるけれど、それより分からない事の方が
多いわけで・・・。さらに・・・その分かっていた部分も
時代や研究者によって、科学的に立証されたかと思っても
実際のところ・・・複雑すぎて、あちらを立てれば、
こちらが立たずのような事もこれまた、多々あるわけだし・・・・。
で、よく言う奇跡というやつにしても、全然奇跡じゃなかったり
するわけで・・・。そんな事を考えていたわけですよ・・・。
暇なものですからね・・・。
くまたろうさんの娘さんの影響で、以前は、殆ど興味の
無かった鳥について、それなりに調べたりする中、
(鳥に限らずなのだけど・・・・)脳~脊椎までを本来、
脳というのだけど、あの物質というか物体。
人間は、もちろんのこと、鳥にも同じような機能があって、
さらに、鳥の場合人間ほど複雑ではないのだが、
それであっても、これまた人に似た器官が存在して、
損傷を受けたり、先天的に本来あまり使わないと思われて
いた部分を実は、使っていて、精神活動に似た行動や
欠損部分を補う役割を果たしたりと、まぁ神秘というか、
機能的というか・・・。そんな事を知ると面白いものだから
手が付けられない・・・。
で、究極の状態というのは、定義として曖昧なのであるけど、
精神的に追い詰められた時と過程してみる。
条件としては、今後の命や精神活動に関わることに限って。
そこで、精神活動をつかさどる脳の話しになるのだが、
それは、また次回・・・
正直、まとめられないし、私の頭の中の色んな部分が
ゴチャゴチャしているから・・・うまく言えないのと・・・。
言いたいことも沢山あるのとで、もうちょっと時間が必要だから。
ただ、一つだけ・・・物事、現象は、必ず二面性があって、
必ずしも答えは一つではないし、一つしかないと断言するので
あれば、私は、それが一番信用出来ないと思っている。
すごく、曖昧で不確実なことだけど・・・。