ある記事を読んで、人生のピンチ・転換期における

走馬灯を思い起こしてみた・・・・。


ある十代のやんちゃ盛りの頃・・・もちろん、

看護学校兼仕事もしていて、休みになると、

地元の仲間は、やっとぼちぼち車を運転しはじめた。


どうしても大学へ行った奴らとつるむ事が多く、

その日は、男女計4人で、砂利の道路の河川敷を

もの凄いスピードで走っていた、


私は、助手席、他は、後部座席・・・たまたまシートベルトも

していたのだが・・・・。


運転者の明らかなミスで、河川敷までの小高い丘から

車が、3回転半して、逆さまに「止まった」


その時の私の心理状態は、正直、まだまだ失った彼のことも

立ち直れず・・・車の中で、そのまま天国に行ってもいいとさえ

おもうほど・・・私の気持ちは、癒える事はなかった。


そう脳裏に思い描いた途端の、カーアクシデント。


もちろん、数針を足首付近に20針近く縫い、筋の断裂もあり、

そんな状態だったのに、受傷後感じたのは、足が、重だるい、

痛みは、一切無かった・・・これが脳内麻薬の凄さだと実感した。


その後運ばれた病院の麻酔注射の方が、よっぽど痛かった。

みんなは、殆ど怪我もせず・・・私だけが受傷した。


私ね。車が回転している間・・・ほんの10秒弱あったかな?

その時に、はじめて、人生の走馬灯を見ましたよ・・・

大げさかもわかりませんが、死ぬかも?ってこの時、

はじめて思いました。


その時は、まるで時間がゆっくりで、楽しかった事、思いを

残してしている事、友人・知人の顔が浮かびました。

その一瞬、一瞬が長かった事を覚えている。


運がいいのか?その車の中は、ロールバーがあって、

支柱になったため、ぺしゃんこにはならなかったけど、

あの時、心底死を感じ、死神がいたのだろうと・・・思えて

仕方が無い。


当時は、抜け殻のような人生を送っていたし、

生きる事自体が辛すぎたけど、あの一見で、私の人生観、

言葉にするネガティブさを改善するキッカケになった。

しかし・・・ほんの数秒が、1時間近くに感じるほど、

ゆっくり、人生の回想をしたのは、後にも先にもこの時だけ。


何かを失いかけると・・・あのときを思い出す。

究極の状態じゃなかったから・・・見られなかった何とも

不思議な、脳内スローモーション体験。


幸か不幸か、それ以来死にたい願望は、無くなった。

さらに、言えば・・・これで死ぬのは、バカバカしい。


色んな思いがあって、今の自分がいるけど・・・。

私は、娘のために、死ねないのだ。

彼女を守り通して、彼女が幸せになるまでは、少なくとも・・・。


ってことで、無駄なアガキでは御座いますが、

セルフツボマッサージとか・・・ストレッチをしながら・・・

ヨボヨボになっても・・自分で歩いて、自立出来るように、

頑張りたいのだ。


私が、今、生きていられるのは、娘と言う究極の

愛する家族のおかげだろう。

バカが∞につくほど、愛して、いとおしくて・・・

この子が、いるという存在だけで、活力が沸く。


感謝する心、愛する心は、そこらじゅう転がっているけど、

若いうちは、なかなか錯覚が多く、気がつかないものだ。


やっと、親っぽくなれたのかと最近思う。