昨日のブログを読み返したり、お返事を書いたり

そんな事で思い出したこと・・・・。

確か、私の祖父がラクダの横に軍服姿で写った

写真があったような・・・見たような・・・。

その写真を見たのは、8歳くらいだったと思うのだが、

当時は単純に、いいなぁおじいちゃんラクダに乗って、

私もラクダに乗ってみたいよ、ゾウでもいいなぁ・・。

なんてアホな事を考えていた事を思い出した。


その後私の10代後半くらいに、たまたま祖母と

話しておりまして、私が「おじいちゃんも戦争に

行って、生きて帰ってこれて良かったよね。」

なんて、何の気なしに言いましたら。

祖母ムムム「おじいちゃんが戦争に行ったのは、たった

1ヶ月だよ・・。その後胃癌で、手術したから戦争に

なんて、行ってないんだよ。」

ワカメ「えーーおじいちゃん胃潰瘍だったって言ってるよ。」

ムムム「そんな本当の事言ったらおじいちゃんストレスで

   死んじゃうじゃない。だから内緒なの。それにね、

   その後、身体が弱いからって、戦争に行けませんって、

    証明書書いてもらって、ずーーっと家にいたんだから。

    死にたくなかったんだよ。大きな声じゃ言えないけど。」

ワカメ「いやぁーーおじいちゃんの別の面を見たような気がする。」


そして、祖母の姉も当時大学病院で看護師をしていたが、

従軍看護師をしなければならないなら嫌だと言って、

看護師免許を返納したツワモノです。


いわゆる我が一族は、筋金いりの非国民だったのです。


何だか私のDNAがこの現状の国旗・国家強制体制に拒絶

しているのは、こういう土台があってのことかしら・・・。

なんてバカな事を考えておりました。

由緒正しいお家であれば、家系図などもあるでしょうし、

調べるのも簡単なのですが、今や私のルーツは何で

あったのだろうと、知る術は、なかなか困難である。

何とか、4代前までは、分かっているのですが、

その前は知りません。兄に言わせると、農家か何かの

次男坊以下だったか何かで、きっと本家と縁でも

切ったようなそんなもんなんじゃねーの。

なんて聞くと、やっぱり、はみだし者系だったのかしらと、

ちょいとばかり安心するのである。


家系図のあるお家が羨ましいと思ったそんな木曜日です。